ニューヨーク滞在記⑨

Aug/28/2008 THU 快晴

睡眠21:00→6:00

6:00にセットした目覚ましが鳴る前に、自然に目覚めて朝風呂に入る。昨日は疲れていたのだろう。今日はもう、ぐっすりだった。昨日は軽くしか入っていなかったので、今朝はしっかりと髪を洗いに、シャワー室へとそろそろと抜け出す。相方は昨日、知らないうちに帰ってきてたみたいで、すやすやと眠っている。昨日は早く寝たおかげで、今日は余裕を持った朝となった。

シャワー室に入ったときに、トイレから香る今までアンモニアだと思っていた臭いは、もしかしたら芳香剤の香りなのではないかということに気が付いた。ドライヤーを終えて、ベッドに横たわりながら、余裕を持って宿題に取り掛かる。内容は簡単な文法事項なんかの選択問題で、10分ほどで終わった。

起き出してきた相方が、「あ、そう言えば」と、昨日カードキーが使えなくなったので新しくしたと切り出してきた。昨日、俺が新しく作り変えたからなんだろうな。相方と俺はそれぞれ部屋のカードキーを1枚ずつ持っている。どちらかが使えなくなったときに一方を更新すると、他方のカードキーが使えなくなるって話は、以前バリ島に滞在した時もそうだ。試しに俺のカードを使ってみると、鍵は開かなくなっていた。やっぱりどっちかが更新すると使えなくなる仕組みだったんだ。

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今日は充分に睡眠も取ったし、存分に余裕のある充実した朝に思えた。1ドル札を枕元に置いて、早めにホテルを出る。そしてフロントに2人並んで、2枚のカードを一緒に更新してもらった。これで両方とも使えるようになったはずだ。

今日は充分に睡眠を取ったにもかかわらず、電車に乗ると頭が働かず、考えが浮かばなくなってきてしまった。これは嫌なことに向かうときに感じる感覚だ。なんだかボーっとして、考えるのを止めてしまうのだ。悪いことを考えると日本が恋しくなり安定を求めてしまいそうだ。悪いことは考えちゃあいけない。今を過ごすこの一瞬、一瞬のすべてを大切にしなくちゃいけないんだ。

キャナルSt.駅に到着して、昨日とは別のスタンドに並んでみる。ここは初日に頼んだベーグル屋さんだった。こないだと同じおじさんに、こないだと同じエッグ&ビーフ ソーセージを注文した。料金は、2.75ドルだった。うそ、こないだは3ドルだったよね?何で0.25ドル安くなってるの?おじさんの気分??

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相方とラウンジに行くと、コウとユウキがそこに座っていた。授業が始まるまでの少しの時間を、4人で会話して過ごした。話題は、昨日、センチュリー21で再会できなかったことや、彼らも同様に自由の女神を見に南端に行ったとのこと、などだった。彼らはユウキと俺の断念したセンチュリー21をしっかり見て回っていたようで、良さそうな服があったと言っていた。

授業では昨日に引き続いて、リアルのイントネーションで発音する訓練を扱っていた。それはここニューヨークで英語の日常会話を必要とする俺にとっては、すごく大切な項目であるように感じられた。授業ではまた、have to、must、 shouldについても学んだ。意味の強さがshould<have toであること、そして「have to」「has to」「had to」はそれぞれ「ハフトゥ」「ハストゥ」「ハットトゥ」と発音が濁らないことなどを教えてもらったのだった。

1時間目と2時間目の間には10分ぐらいの休憩が設けられている。その間に、1階の正面玄関に赴くと、そこでもまたコウとユウキに会った。1階の正面玄関には喫煙所があって、休み時間や昼休み前には待ち合わせなどのたまり場となっているようであった。相方は初日から仲良くなった例のカレンと2人っきりでいることが多く、授業中に隣に座ったり、休み時間や放課後を図書館で過ごすらしく、校内でほとんど顔を合わせない。コウにドーナッツを半分もらって、それを頬張りながら、ユウキに「やっぱ俺らは英語を勉強しに来たわけだからさ、授業よりも放課後が大事だと思うんだよね。午後までに外国人に声を掛けて、放課後に外に連れ出して英語を話そうぜ!」と誘ってみた。ユウキも同じ考えらしく、お互いに頑張ってみようって話になった。

2時間目の授業に戻った。モエは買い物に行くと言って2時間目は出席せずに、教室から出て行ってしまった。彼女はいつ話をしても買い物の話ばかりをしていた。毎日、ジュリーは朝の雑談では「昨日は何したの?」と、そして帰りの雑談では「今日は何するの?」と聞くんだけれど、彼女の場合ここんとこずっと必ず「ショッピングした」だの「ショッピングする」だのと答えるほどに、彼女は買い物が大好きのようであった。

授業中のゲームでは、席を立って2人組になったりパートナーを見つけて与えられた質問をしあう時間が、授業の半分ぐらいを占めているのだった。俺はなるべくそのときの雑談のなかで、「放課後はどうしてるの?」なんて話題を振るように心がけた。そうして一緒に行動できそうなパートナーを探していたんだけど、今日は上手くクラスメイトに誘いをかけることができなかった。

さっきの休み時間に、ユウキに教室の位置を教えてもらっていたので、放課した13:00に相方、ユウキ、そしてコウのいるクラスの教室を覗きに行った。もちろん約束の外国人…、ではなく残念な結果を引き連れてだったけど。

すると教室では相方とコウがおらず、ユウキだけが残っていて、授業のゲームで扱った同音異義語カードを集めながら、先生や外国人と雑談しているではないでしょうか!ユウキは彼らに俺を紹介してくれた。「彼も一緒に良い?」とはにかんで。ユウキはなんと同じクラスのトルコ人の男2人と、昼ごはんを食べる約束を取り付けていたのだった。ナイス!俺は彼らに挨拶をして、4人でそのトルコ人が行きつけの、学校の近くのピザ屋さんに行くことになったのだった。

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行くと他にトルコ人の女の子が2人いて(一人は後のサリハ)、彼らと共に、ピザとダイエットコークを食べた。6ドルほどだったけれど、なかなかの大きさとボリュームだった。トルコ人同士はトルコ語で話し合うものの、たまに英語で俺らに話を振ったり質問してきたりしてくれた。

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彼らの話では、トルコ語はフランス語に近く聞こえるらしいという。「フランス語っぽく聞こえるでしょ?」なんて言われたんだけど、フランス語なんて分かんないからなんとも言えないんだなぁ。彼らとは大学での専攻やLSIのクラスについての話をした。向こうが日本語の「こんにちは」などを知ってくれていたのがものすごく嬉しかった。俺も外国の挨拶を覚えて、喋ってあげたいって心から思った。母国語を少しでも知ってくれていて、しかも喋ってくれる人がいるなんていったら、すごく嬉しいもんね。そこでお返しに、「俺もトルコ語を一つだけ知ってるよ」と、トルコ人の男たちに、出国前に高校の友人が教えてくれたトルコ語の卑猥な単語をこっそりと耳打ちしてあげることにした。大爆笑だった。

食事を終えて、彼らと店を出るときになって、ちょうどもう一人のトルコ人が現れた。彼もLSIの生徒で、これまでいたトルコ人たちの友人であった。彼は俺らの事情を聞いたらしく、自己紹介をすると「これから暇か」と尋ねてきたのだった。俺達はもちろん、「うん」ってなわけで彼と再び店内に戻ることにした。

彼の名はアティーと言った。すぐに彼の男友達が3人来て、しばらく一緒に話をできた。専攻の話、大学の話、LSIのクラスの話、って、まぁ誰と誰が話しても同じ話題なんだね。誰もが先生や授業のレベルやらを気にしているのであろう。彼らの中に中国にいたトルコ人がいたので、彼に少しだけ中国語を話した。彼らはサッカーの稲本のことなどを話題にしてくれていた。あー、ヨーロッパのサッカーに詳しくないと、国際的な会話についていけないんだな。アティーはユウキのクラスメイトだったらしく、ユウキもリラックスして会話を楽しんでいたようだった。

後から加わったトルコ人4人は、食事を終えると、それぞれ「帰る」と言い出して、店を出て別れることになった。しかし、お店を出て、アティーは信号を渡ろうとしている現地のアメリカ人のお姉さん3人を見つけたようで、教科書を片手に振りかざして言ったのだった。「英語の勉強に、僕たちとお話しようよ」。

彼女たちの笑顔に振り切られてしまったトルコ人たちは、やはり「家に帰る」ということだったで、お別れすることになった。短い時間だったけれど、お話してくれてありがとう。ユウキもこの場を設けてくれて、ありがとう。

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時刻は15:00を回っていた。そこで、やることのなくなったユウキと俺は、目の前にある学校に戻って、ラウンジと図書室に行ってみることに決めたのだった。ユウキは図書室に行って、パソコンのメールをチェックをすると言った。

ユウキは今日、ホームステイ先に洗濯の仕方を教えてもらう約束をしていて、17:00に帰ると伝えているらしく、あと一時間して16:00になったら帰るんだと言った。やはりホームステイ先のご飯は、朝夕問わずアメリカナイズされていて、脂っこくてボリュームがあって食べきれないそうだ。その点、ホテル生活は自分で選択や調節ができるのが嬉しい。昨日みたいに、今日は食べないで早く寝ようと思ったら、早く帰って寝られるところも自由に思えた。

図書室から北の窓を見下ろしてみる。やはり12階だけあって、眺めが素敵だと思う。俺の教室にも北側に大きな窓が一つあって、同様に北側の景色が見下ろせるのだった。窓が閉まっていては閉塞感があるものの、やはり高いところから世界を見下ろすとなると、世界がいつもと違った見え方をするのだった。北の通りからトンネルに沈んでいく車たちは、東に流れるハドソン川をくぐっていくらしい。

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ついでにラウンジ行ってみたりなんかして、東側にある南北に走るヴァリックSt.も眺めてみる。そこからは東西に走るキャナルSt.との交差点が望める。どちらも、いつでも交通量のある通りのようであった。今日も良い天気だ。ここんとこずっと良い天気が続いている。

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ユウキに倣って図書館のパソコンを開いてみる。図書館のパソコンには日本語の表記は一言もなかった。キーボードの入力も全てローマ字なのだった。

ウェブメールを開いてみると、先日、韓国人がクラスにいたことを理由にホテルから彼女に韓国語を教えてもらおうと送ったメールの返信が届いていたのだった。彼女は以前に彼女の大学の韓国人の友人から、いくつかの韓国語を教わっていたのだった。それらをメールから授業用のノートにメモしておいた。

「チョウン ブッケスンニダ(初めまして)」、「チョウン~インニダ(私は~です)」、「ギョロン ヘージュセヨ(結婚して下さい)」、「キヨンネヨ(可愛いですね、正確にはキヨォネオ)」、「ベニゴパッ(お腹が空きました、正確にはペゴパ)」

うん、クラスの韓国人を相手に、きっと役に立つさ。特に結婚を迫るときにね♪

図書室では近くに、独りで勉強している韓国人の女の子がいた。彼女は以前にも独りでいるのを見かけたことがあった。取りあえず、帰りがけに少しだけ挨拶をして、韓国人かだけを確認して立ち去った。しかし、先ほど韓国語をメモしたのを早速彼女に試してみることにした。彼女には一通りの意味が通じて、一部は訂正をしてもらえた。

彼女にお礼を言って、ひとまず図書室の前でユウキと駄弁っていた。2人でこの後どう過ごそうかと話していると、先ほどの韓国人が出てきた。これからどこに行くのかと尋ねてみると、彼女は特に用はないけれど、どうやら帰るらしかった。

そこで、英語の勉強に喋らないかと誘ってみた。すると、即座にOKがもらえた。さっきアティーが放った言葉に近かったような気もしないでもなかったけれど、でもやっぱ外国語の習得のためには、外国人との交流も一つ大切なんだよねぇ。。。

彼女は郵便局に家族の手紙を出しに行く予定があったらしく、取りあえず郵便局まで着いて行くことになった。しかし、彼女は郵便局の位置を把握してはいなかった。俺は、初日にガイダンスでもらっていた案内の地図に、郵便局も載っていたのを思い出したので、そこから探してあげることにした。こうして3人は、LSIの校舎をあとにしたのであった。

郵便局までの道のりのなかで、彼女とは歳やクラスや留学期間などについてを、簡単に会話した。放課後にいつも何をしているのかと尋ねると、彼女は独りでとにかく街を歩くと答えてくれた。場所によって景色が違うのを見て、とにかく歩くのだという。

3人はすぐ1ブロック離れた先の郵便局に入った。彼女が列に並ぶのをユウキと2人で待っていると、今日はお金が無いからと言って彼女は手紙を出すのを諦めて戻ってきたのだった。俺達が貸してあげるよって言ったんだけど、申し訳ないからと、それもやんわり断られてしまったのだった。

ユウキはホームステイ先の約束があったため、いったん洗濯をしに行って、また戻ってくることになった。それまでコーヒー屋さんにでも行って喋って粘っててくれと頼まれた。彼はこれからが楽しそうなのにもどかしいといった風で、早く戻ってきてくれそうな印象であったのだった。

3人は、ひとまずレッドラインにユウキを送るために、LSIの方角に戻っていった。なんとも、そのときに先ほどのトルコ人たちが、3人でつるんでいるのに、再び出くわしたのだった。アティー、さっきあれほど帰るって言ってたじゃないか(笑)

彼らとは簡単に挨拶を交わして、そのまま別の方向にすれ違っていった。やはりトルコ人には韓国人の女性と日本人の女性の見分けがつかないようであった。俺は韓国人は微妙に目つきと頬の感じが違うと思うんだけどね。でもこれは、現地の人には分かっても、俺らにとってはフランス人とイタリア人を見分けられないのと同じような感覚なんだと思うよ。

1時間後に帰ると言い残して、ユウキはレッドラインを上って行った。俺とその韓国人はLSIのラウンジに戻ってしばらく喋って彼を待つことになったのだった。

彼女の名はゴウン(서고은、KO EUN SEO、SEOは漢字では徐という字らしい)と言った。外国人には発音が難しいらしく、呼び名は頭文字のk(ケイ)でもいいと言われたのだった。歳は21歳だけれども、日本やアメリカの年齢で言うと20歳の1コ下だった。韓国の年齢ではお腹の中にいる期間を1年に数えるため、日本では産まれた時点が0歳なのを、1歳とカウントするらしい。

彼女は今年は韓国の大学を1年間休学して、ロンドンやスコットランド、そしてニューヨークへと、英語を学びながら旅をしていると言った。ニューヨークの次には直接ドミニカ共和国に友人に会いに行って、それが今年最後の旅になると言った。親には留学を目的にお金を払ってもらっているけれども、実際は授業なんかよりも、滞在した先々を歩いて回るのが好きなんだそうだ。今年は丸1年を自由な年として過ごして、それから韓国に戻ってCPA(certified public accountant)という、会計士になるための大きな試験を受けるつもりなのだそうだ。

彼女は英語が堪能で、そして優しかった。ラウンジで椅子に腰掛けながら、2人で他愛のない会話をしてユウキを待ちながら過ごした。学校のこと、留学のこと、ニューヨークの街の様子、他の国でどんなことを感じたかについてを、俺はインタビューしていった。俺は不足した英語だったけれども、一生懸命に会話を引き延ばし続けた。俺が「どうだった?」と聞くと彼女は「interesting」などと返してくれた。しかし、それはあまりに漠然としていて、抽象的な表現であったのだった。悔しい。僕らの語彙力では、それらは形容詞の何単語かでしか修飾できない、表面上の会話しかできないのだった。僕らは深い表現では会話できない。欲を言えば、「これこれこうこうで、こうだからこういった理由で、interesting」って話をしたかったし、そして聞きたくもあったのだった。もちろん彼女は英語が俺よりできるのだけれども、それは単に表現力の問題だけではなかった。そういう言葉しか僕らはまだ扱えないのだ。話したいことや伝えたいことなんかよりもずっとずっと、言葉の語彙が少ないのだ。分かっていても、伝えたくても、言葉に出来ない。より詳しい感情を表現したいのに、言葉に出来ない。もっと喋れる英語を勉強しなくっちゃいけないんだなぁ。。。

それでも俺達は笑って過ごせた。彼女はいくばくかだけれども、日本語を知っていたのだ。「お金ないんだよねー」「ご飯おごって」「そうだよねぇ」「うんうん」なんかと。それから、日本語の50音表は読めるらしかったのだった。んでお互いにノートを取りながら、互いの言語を教え合った。時折、英語や日本語、教えてもらった韓国語で冗談を言った。そして笑った。それは無理のない、心から通じた笑いだった。

彼女は俺が言葉に詰まるとゆっくり考えるようにと促してくれた。言葉に詰まって「うーん」、と悩むと「うーん」と真似して返してくれた。「Sorry.」というと「Why sorry?」と聞き返し、そして「Thank you, thank you.」と重ねて言うと「Your welcome, your welcome.」と重ねて答えてくれた。俺はフィーリングで表現を押し切ったり、英単語を並べただけの会話しか投げかけることが出来なかった。だから確実に、彼女にとっては英会話の練習にならなかったに違いなかった。でもそんな俺にでも申し訳なさをあまり感じさせないくらい、優しい接し方をしてくれたんだ。

ラウンジで2時間ほど喋った。ユウキが来るまでなんとか粘って途中途中、会話が途切れないようにいそしんだ。しかし、日が暮れかけて、18:00になって暗くなってきても、ユウキは戻って来てはくれなかった。「彼はどうしたんだろうねー」って話に何度もなった。しかし、ユウキは携帯を持っていなかったので、彼がここに来ない限り連絡手段がないのだった。結局、2人は仕方なく、諦めて帰るということになった。

帰りがけのエレベーターで「今度、どっか行くときは誘ってよ」と伝えた。交差点の角に着いて、地下鉄のホームに降りる最後に「カムサ(ありがと)」と「アンニョン(じゃあね)」を言って別れた。それは彼女が教えてくれた言葉だった。

思うに、語学留学はできればもっと早い段階で経験しておきたいものだった。でもまだこの年齢で経験できて良かったとも強く思う。若くても世の中を知らなさすぎると貴重な経験も受け止められず、無駄になってしまうだろうから、今ぐらいの能力で留学するが丁度良い具合だったのかも知れない。しかし、もうこれ以上歳を取ってからでは遅かったような気がする。もっと年を取ってからここに来ている大人もチラホラと見られるけれども、彼らは大人としての建前があるから、弱いところを見せるのが難しいに違いない。今の年齢ではまだまだ恥がかける。失敗も、間違えも大して恐くない。知らない人に対しても違和感なく声がかけられる。それから、英語はできないと分かってもらえた後の方が、気張らずに自分のペースで喋れるんかな。そして、相手が女の子の方が他愛ない会話に付き合ってもらっても悪い気がしないかもしれないな。

ゴウン、今日は付き合ってくれてありがとう。にしても、ユウキからは何の連絡がなかった。一体ユウキは大丈夫だったんだろうか…。連絡が取れないと毎回毎回、心配になってしまう。

帰りがけにいつもの24時間営業のドラッグストアで、ゴディバのバニラコーヒーを2.16ドルで買って、部屋に持って帰ることにした。最近もずっとそうなんだけど、今日も脳味噌が英語にフル回転だったから、甘いもんが飲みたくなったんだよね。

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帰りに見た電光掲示板によると、夕方の気温は22度だった。この時間帯は薄手の長袖でなくっちゃ、外では少し肌寒いぐらいだ。8月ももう27日になってしまった。ここでも日本でも、そろそろ夏は終わりなんだね。

19:00に一端YMCAに戻ると相方が先に帰っていた。彼もついさっき帰ってきたようだった。それからお互いの1日を報告しながら21:00まで日記を書いた。相方とは最近行動を一緒にしてない。彼は、最近はカレンやコウなどと午後を過ごしているらしい。しばらくベッドでゆっくりしたので眠くなってはきたけれど、そろそろ洗濯物が溜まってきていて、残りの下着の枚数を数えると、パンツが足りなくなることが導き出されたために、相方を誘って22:00に地下のコインランドリーまで洗濯物を持っていくことにした。

コインランドリーの表記を読むと、25セントが7枚以上必要であるらしかった。そういえば、これは、以前同じLSIに留学した高校の友人に、前もって聞いていた話の通りであった。洗濯機には25セント6枚の1.50ドルが必要で、乾燥機は1回25セントを投入すると適当な時間、ドラムを回すと表記がなされていたのだ。そこで、俺は25セントを持ち合わせていなかったのでフロントに両替に行くことになってしまった。相方はやるよな。彼も同じように高校の友人から話は聞いてたんだけど、洗濯のことも事前に視野に入れていて、空港のバス停の両替機で両替したときに、25セントを多めに確保していたというのだった。

実は、その高校の同級生というのは、今年の春に、俺をここLSIに留学するのを誘ってくれた人のことであった。彼は俺より先にこのLSIとYMCAで1ヶ月間を過ごしていたんだけれど、彼はここで面白いエピソードを持っていたのであった。彼もコインランドリーで25セントが必要になって、フロントに両替をお願いしに行ったんだそうな。んで黒人のフロントの人に、必死に「マネー」を「チェンジ」だの「コイン」だのと言って「両替」してもらおうとお願いしたんだそうだ。だけど、フロントではそれが通じず、お兄さんに挙句の果てに「I don’ know Japanese.」と顔をしかめられたのだという。

今回、俺が両替を申し出たところ、フロントでは「外のお店で替えて来い」との反応を示された。もう、レジを閉め終わった時間だったのかもしれなかった。そこで、ビーチサンダルに部屋着のままで、表に出て近くに両替してくれそうなお店を探しに彷徨ってみた。いつものドラッグストアの方を目指すと、そこよりも手前に、まだこの時間でもやっているベーカリーが視界に入ったのであった。そこのお店の方がドラッグストアよりも近かったので、そこで1ドル札2枚を25セント8枚に交換してもらえるかを頼んでみることにした。

「Could you change this money into 8 quarters?」。すると店員は快く両替してくれた。ここの店員にとってみれば、買わずに両替とは迷惑な要求だったのかも知れなかった。でも久しぶりに日本でやりとりされるような爽やかな対応で、両替に応じてもらったような気がした。その対応に、ほんのちょっぴり嬉しくなった。何も買わなかったのは申し訳なかったんだけどね。思えば、明日の朝食のパンでも買えばよかったんじゃないだろうか。

帰りがけに見た近くのアイス屋さんのマスコットが目に付いたので、激写。25セントも確保できたし、これでランドリーも突破できるぜ!

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コインランドリーでは、日本から持参した洗剤(というより柔軟剤)を流し口から注いで用いた。そして洗濯機を回しながら、その間に22:30からシャワーを浴びに離れた。少々物騒だけども、ホテルでわざわざ洗濯物を盗む泥棒はいないと考えた。洗濯機の時間は読めなかったんだけど、おおむね30分ほどでできるようだった。

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シャワーを浴びて、ランドリーに戻る。そして、洗濯機から取り出した洋服たちを乾燥機へと移していくのだ。乾燥機では、相方は1回の利用では満足しなかったらしく、3回も回していたけれど、俺は1回だけ回すことにした。乾燥機といっても遠心力で水気を飛ばすだけだったので、あまり役には立たなかった。さすがに3回もやれば差は出てくるのであろうけれども、完全に乾かすことはとても望める代物ではなかったのだ。

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1ドルはチップとして配るのに必要。でもって25セントはコインを使う機械に必要。どっちも率先して作らなくちゃあいけない。レストランなどではチップも考慮してキリよく支払うことも多いし、割り勘で端数はいいよってことで、キリ良く払っちゃうってこともよくある。だからそれ以外の機会のときに、例えばレジでのお会計のときには、面倒でもお釣りを考えて、25セントをもらえるように計算して支払わなくちゃならないんだのね。。。

23:30には部屋に戻って、前に買っていた板のミルクチョコをかじって、まだ半乾きのジーパンを、備え付きのハンガーで部屋干しして、残りの衣類はスーツケースに広げて置いておいた。このままこのジーパンを履いたら気持ちが悪そうだ。

相方は夜に寝るまでの間はパソコンを広げてニコニコ動画と2ちゃんねるを見て過ごしている。てか相方はクールに読書とかに興じているイメージがあったので、ネットにハマってるのは意外だった。一方の俺はこっちでは、いつも家で見ているmixiなどは、ほとんど見て過ごさない。それはわざわざこっちで見るのは勿体ないからであって、その分の空いた時間はここまでの通り、メールや滞在記に費やしているのだ。

一緒にパソコンを広げながらそれぞれのベッドに横たって、相方と予定や、最近の活動や情報なんかを同期していった。そして、0:30に床に就くことになった。相方とは日中にあまり会うこともなく、ともに行動をしていない。これもやはり、俺としては、ここでは外国人と過ごさないと勿体ないと思っているからってのが理由なのかもしれない。相方と過ごすのは日本でも出来ることだし、それじゃ留学が観光になってしまうから、もともと示し合わせてのことだ。相方もカレンとともに留学生活を楽しんでいるようで、特に問題はないようだった。俺は過度に日本で出来ることはしないつもりでいるんだろうね。どうしてもつい、せっかくだからここでしか出来ないことだけをしたいっていう強迫観念があるんであろう。

あ、そうそう、パソコンを開いたらユウキから謝りのメールが来てたよ。まだ揉めてるんだね、ホームステイ先と。大変そうだなあ…。今日のノートをもう一度読み返して、今夜はおやすみアニョハセヨ♪

「お金ちょうだい」は「トンジョンジョ」、「ご飯おごって」は「パッサージョ」、応用して「ご飯ちょうだい」は「パッジョンジョ」。「知らない」は「ボラ」、「何?」が「モエ?」で、「あなた元気?」は「ニネモエ?」、「何見てるの!」は「ボルバ!」。あと韓国人が好んで冗談で使うのが「コジマジェニー」、これは「嘘つきー」って意味らしい。挨拶は「ありがとう」が「コマプスニダ」と「カムサムニダ」、「どういたしまして」が「チョンマネオ」、「アニョン」は若者言葉で「バイバイ、こんにちは」、「カムサ」も若者言葉で「ありがとう」、「アニョハセヨ」は「こんにちは」、「さようなら」は自分が立ち去るときが「アニョンヒゲセヨ」、相手が立ち去るときは「アニョンヒガセヨ」って使い分けるらしい。あと、「きれいです」は「イプネョ」「イポヨォ」「イプダ」、「可愛いです」は「キョッダ」「キョワョオ」「キョネォ」のように、「です」には語尾が3種類ぐらいあるみたい。

明日からは韓国語も使いこなせると良いなー、なんて。

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