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高専ベンチャーの概要については以下をご覧ください。
目次
今回は秋田高専OBの鈴木さんのインタビューです。
高専卒で就職したのち
スポーツ系ベンチャーに転職
現在は医療系ベンチャーの管理職を担われており
独特のキャリアを積まれています。
現状に物足りない高専生は必見です!
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■略歴をお聞かせください
2010年に秋田高専の機械工学科を卒業しました。
卒業後は、花王(株)に就職し、生産技術開発を行っておりました。
その後、スポーツ系ベンチャー企業にてスポーツ事業の立ち上げを行い、
現在は医療系ベンチャーである(株)ワイズにて管理職として勤務しております。
脳血管疾患の後遺症に特化した「脳梗塞リハビリセンター」を5施設、
リハビリ&フィットネス型デイサービス「アルクル」を6施設、
整骨院・リラクゼーションを7店舗、
合計18施設を全て直営で運営しています。
自費・介護保険・医療保険という兼ね合いの事業です。
設立2年が経ち、社員も100名を超え、
営業推進室 室長として、
今後の更なる事業発展・施設開設のため奮闘しています。
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■高専へ進学した理由
小さいころから好奇心が強く特に車が大好きでした。
何事も最初からうまくできたわけではなく
失敗から学びながらtry and errorを繰り返しいろいろなことに挑戦していくのが好きでした。
高専との出会いは、高校受験のタイミングで
とにかく早く家から出たいという気持ちが強く
高専=自由というイメージもあって高専に進学することを決めました。
受験に際しては、それまで全く勉強してきておらず
一日中勉強をしました。人生で一番勉強したかもしれませんね(笑)
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■高専生活はいかがでしたか?
私は1年生から入寮していたのですが、
寮生活は、物凄く楽しかったです。
毎日がほんとに修学旅行みたいな(笑)
ただ、何か物足りなさはありましたね。
高専という枠内だけでなく、
もっと広く色々なことが知りたいな~と。
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■進路に関してはどのように選択されましたか
早く社会に出たいなと強く思っており、4年生の段階で就職することに決めていました。
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■鈴木さんはとても独特なキャリアを積まれていると思いますが,その原点はどこにあるのでしょうか
漠然としていますが、楽しいことがとにかく大好きで、
「あったらいいな」という”何か”を作りたい気持ちは昔から変わっていません。
また、1を10にするより、0を1にするほうが得意というか、好きでした。
私の両親が、とにかく何でもやってみろ!というタイプだったのが大きいかと思います。
しかし、介護施設での祖父の死をキッカケに、
「あったらいいな」ではなく、
「なくてはならない」何かを考えるようになりました。
“今後、超高齢社会に突入するにあたり、
もし自分が高齢になった時はどうなっているんだろう。“
そう思ったときに、動かずにはいられませんでした。
医療介護という畑がまったく違う世界なので、
知識が全く無かったのですが、
とりあえず大阪の介護ベンチャー企業にアポを取り、
社長に会いにいきました。
どこの誰かも知らない23歳の若造が突然伺ったにもかかわらず、
介護の現状・将来性・就業状況など、
細かく色々教えてくれ、凄く影響を受けました。
そこで、自分の医療福祉業界での挑戦を決意しました。
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■現役生に向けてメッセージをお願いします
「高専生に、もっと自信を持って数々の挑戦してほしい」
と強く思います。
・高専を卒業し、大企業に就職できりゃそれでいいや。
・大学行ってないし、社内じゃ身分が低いし…。
・仕事に不満があっても、高専卒なんだから仕方がない。
・転職してもどうせいい仕事はないだろうな。
などなど、本当は何かしたいと思っていても、
学部・出身校などの環境を理由に、諦めてしまう人がいると思います。
「高専生の底力」
高専でしか学べない人間性・知識・強さ
学歴なんて関係ない、この高専生というブランドに自信を持ち、
もっともっと自分の可能性へ挑戦してほしいです。
私の経験談で少しでも
高専生のヤル気を上げれたらなと思います。
本日はありがとうございました。
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熱い気持ちを前面に出し
高専生の可能性を語っていただきました。
学歴や肩書にとらわれず、自分がやってきたことに自信を持ち
前向きに進んでいき鈴木さんから学ぶことはたくさんあると思います。
直接、現役生の皆さんと話してみたいと鈴木さんから機会をいただきましたので
鈴木さんの熱量を感じてみたい!という方は
高専ベンチャーまでお問い合わせください。
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今回のインタビューゲストは、工学院大学で工学部機械工学科の助教をされている長谷川浩司さんです。博士前期課程を修了後、経営コンサルタントでの職歴をお持ちの長谷川さん。高専や大学時代のお話から、長谷川さんの考える、これからの研究者に必要なことまで、様々なお話を伺いました。
学歴
2006年3月 茨城工業高等専門学校 電子制御工学科 卒業
2008年3月 筑波大学 工学システム学類 エネルギー工学主専攻 卒業
2010年3月 筑波大学大学院 博士前期 システム情報工学研究科 構造エネルギー工学専攻 修了
2013年3月 筑波大学大学院 博士後期 システム情報工学研究科 構造エネルギー工学専攻 修了
職歴
2008年4月-2009年3月 (株)イーオン・イーストジャパン
2010年4月-2012年3月 プライスウォーターハウスクーパース(株)
2012年4月-現在 工学院大学 工学部機械工学科 助教
普通高校に行くと、大学入学に向かって勉強をしていくと思うのですが、高専の場合は、ほんの2年の差ですけど、選択の自由が与えられていたと思います。
15歳から20歳の5年間は、いろいろな事を考える年頃だと思うんですね。その5年間の途中で、地元の友達が18歳で大学に行ったり就職したりという選択をしているのを見るのは、自分はどうするんだろうと考えるきっかけだったりはしますよね。そこで、さらに進学なのか就職なのかというのを19歳とか20歳のタイミングで選べ、進学するのであっても受験勉強に惑わされず、「この研究室に行きたい」という理由で大学を選ぶことができるのはよかったと思います。
大学は筑波大学に編入しました。理由は3つありまして、1つ目は宇宙関係の研究がしたかったんです。筑波だと研究施設が近くにあり、JAXAもあるので共同研究などでお会いできる事があるのではと思っていました。2つ目は、実家から近いということ。近いと何が良いかというと、高専時代から通っている英会話学校に、金銭的な面でも引き続き通えるということでした。3つ目は、総合大学がよかったんです。なぜならば女性がいた方が良いなと思って(笑)。
あとは、どこに行くかより何をしたいか、自分の軸がちゃんとあるのが大事だなと思いました。研究だとどの研究室がよいか、各大学に絶対に各分野随一の人はいるじゃないですか。また、高専の5年生の時には既に研究者になろうという気持ちがあったので、編入前に大学のシラバスをみて教科書を読み、大学に入る前に全部勉強しちゃって、入学後の大学の授業中には大学院の勉強をして、論文を読んで、という事をしていました。今でもそうですが、特に当時は学問に恋をしてましたね(笑)。
大学時代は、筑波大学に編入した同期がとても優秀かつ仲が良くて、一緒にHERCULESという団体、今でいうビジネス系、起業家サークルを立ち上げました。毎週プレゼンテーションやグループワークして、長期休暇中はビジネスコンテスト等の他団体での活動に参加をしてました。
また大学4年生時には、STeLA(科学技術におけるリーダーシップスキルの育成、ネットワークの構築を理念に掲げている団体)が実施した1週間程度の合宿形式のフォーラムに参加しました。STeLAでは、MITとかハーバード大学に在学している様々なバックグラウンドを持った学生たちと朝から晩までのディスカッションを通して交流を深めました。
研究者になりたいと思ったときに、多分これからの研究者は1つの専門性だけでずっと研究していくだけでは世の中で戦えないと思いました。
そこで何が必要なのかと考えたら、研究を産業化する力、さらにいえば資金調達する力や、ビジョンを構築する力、つまり経営者の考えだと思ったんです。そうなると、研究以外のものも自分で積極的に学び、研究と他の分野のかけ算をしていかないと、視野が狭窄してしまうんじゃないかと思ったのがきっかけです。
修士の1年の時に、ずっと通っていた英会話学校で週2で非常勤講師をやっていました。いわゆるバイトではなく、入社試験を受けて契約社員として働いていました。研究室の先生には、「長谷川はまた何をしてるんだ」と言われましたけど(笑)。大学院では熱流体工学の分野を研究していました。もともと高専では電子制御工学科だったのですが、なんとなく熱流体分野がかっこよく見えて専攻を選びました。
その後、修士を出て経営コンサルティング会社に入社し、2年働いた後、今の大学で助教になると同時に博士課程に入学をしました。運任せで結果的ですが、標準的には3年間の博士課程であるところを、経営コンサルタントの2年と助教での1年かつ平行して博士課程の1年のパッケージを勝手に作って博士号を取りました(笑)。
そうですね。それこそ、入社してすぐの4月の人事面談で、研究者になるための前段階としての修行として入りましたと明言していました。博士課程に修士からそのまま進まず、一旦外に出て、多くのものを吸収したいと思ったんです。
私は30歳までにはドクターとりたいなと思っていたので、超短期でいいから超集中して働きたいと思い経営コンサルタントになりました。
自分のポジショニングを確立することは意識していました。どこの市場で戦うか、研究をどの分野でするか。王道中の王道でトレンドになるのも良いんですけど、そこは競争が激化して後から参入しても勝てないので、トレンドになる前のところを自分でちゃんと分析して、どの方向性に舵をとってどういう課題に取り組んでいくかを、人より半歩先くらいでやらないと、とは思っています。
研究分野では、新しい研究領域を作りたいなと思っています。新しい何かを生み出していきたい。プロダクトというよりは、新しい領域、概念を作りたいなといつも考えています。今の研究者という仕事は、研究成果を出して世界を記述していくことだと思うんですね。なので、研究者としては今まで誰も発見していない何か、予測式や方程式みたいな物を作りたいですね。
また教育でいうと、私自身が、友達や周りの人から誘われて、怖さを乗り越えて新しい1歩を踏み出すことで何かが生まれて、今から振り返るといい経験できたなと思う事が多いんです。なのでそれを教育として学生に還元して行きたいですね。学生からすると国際学会での発表やディスカッションなど怖いとは思うんですけど、怖さを乗り越えてこそ次につながるんで、目標を常にたどり着くかたどり着かないかぎりぎりのところに設定して、チャレンジしてもらいたいと思っています。今年30歳になったので、20代の過去の10年間で得たものを踏まえて、今後の10年は、この先につながる何か、種探しをする期間になりそうですね。
マイノリティであるという武器を意識してほしいなと思います。高専生であることに悩む人もいると思うんです。高専出身って言った時に、相手によっては高専そのものから説明しなきゃいけない時もあったり。しかしそんな高専が、皆さんのオリジナリティのある思考を育んでいるし、キャリアとなり、交友関係を生み出していると思っています。
高専生は少ないし、変わっている人が多い。それが時にはおもしろいと形容されていると思うんですけど、同時に武器となる事を知ってほしいなと思います。
全寮制×オール英語授業
金沢高専の目指す先とは?
先日、力強い記事を目にした。
「全寮制×留学」で人材育成 金沢高専(読売新聞 金沢版 平成27年6月11日付)
金沢高専(石川県金沢市)が、新キャンパスを建設し、1、2年次に入寮生活を送り、3年次には全員が海外留学するという革新的な将来構想を明らかにした。
これはぜひとも直接お話を聞かなくてはと思い、お忙しい中、ルイス・バークスデール校長とお話しする機会を得た。
金沢高専2020visionを中心に、今回の取り組みのお話をお聞きした。
■今回の取り組みの背景をお聞かせください
金沢高専は数少ない私立高専として独自色を打ち出してきました。金沢高専といえばグローバル人材教育に特化してきていた歴史があります。
現在では、25%の先生が外国人教員です。
・アメリカ
・ニュージーランド
・ベトナム
・エジプト
・イラク
などさまざまな国から採用し、グローバルという観点では、非常に多様性に富んでいると思っております。
高専設立から50年余りの時間が経ちました。
高専は実践的な技術者の育成を目標として設立されていますが、ここ最近、高専の得意なところに大学教育が入り込んできたり、専門高校が専攻科を設け5年生の実践的な教育を開始するなど高専とほか教育機関との同質化が散見されるな、という印象を持っております。
そのような競争環境の中で、さらに加速化していくグローバル化に対応するためには、高専だからできるイノベーション人材の存在が不可欠であると考えております。イノベーション人材を育成するために、金沢高専2020visonを作成いたしました。
■なぜグローバル化なのか
金沢高専は地元からの入学者及び、地元の企業への就労者が多いのが特徴の一つと思っております。
その就職先の企業さんが海外に工場を建てたり海外に販路を拡大していくに当たり、金沢高専にもグローバル化への対応の要請が多くなってきたことも一つの要因であると思います。
地元に密着している金沢高専としては、支援してくださる地元の企業さん方と連携して、地域としての競争力もつけていきたいと思います。
■グローバル化への取り組み
現在は、
・ニュージーランドへの1年間の留学
・アメリカへの語学研修
・ラーニングエクスプレス
など海外と触れる機会を増やしております。
特にラーニングエクスプレスというシンガポールポリテクニクとの取り組みは、実際に海外の学生と途上国の村に出向き、その中で学生自身が課題を発見し、解決するという「デザイン思考」を養うために非常に効果的なプログラミングであると考えております。
■教育の方向性
多様性を尊重している金沢高専としては、学生主体型のアクティブラーニングを目指します。
従来の教育方法は少しマニュアル的であったかなと感じています。
学生には、変化の激しい現在社会の中でイノベーションを起こすリーダーになってほしいですね。
また、高専と大学の立ち位置を見直し、5+4年(高専5年+大学・大学院4年)をスムーズに学べるようにすることで、研究の時間を延ばすなどの取り組みを考えております。
大学生と交流しやすいように、4・5年の授業を90分授業にするなど対応しやすいようにしたいとも思っています。
現在は、金沢工大との連携を強化しておりますが、いずれ、海外の大学へ編入するような学生が増えてくれるとうれしいですね
一方で、帰国子女や留学生の受入れを検討しています。そうなると入試の方法も変わってくるかもしれませんね
■新しい取り組みなので、先生方のコンセンサスをそろえるのは大変ではないか
よく聞かれる話なのですが、金沢高専2020visionは私がトップダウンで決めたものではなく教員と一緒になって決めたものです。私が就任したのは昨年度のことであり、それ以前から指導してきた教員の思いが形となり、前に進んでいると思います。なので、実はすでにコンセンサスはそろっていたのかもしれませんね。
ただ実際に、いきなりすべての授業を英語で実施することは非常に難しいなと考えております。
金沢高専は数年前から、授業の英語化に向けて外国人教員と日本人教員がペアを組みながら、教員自身も授業の勉強ができるような仕組みをつくり、来たるべき日に備えております。現在はハンズオン形式だけですが、今後は、一連の授業すべてを外国人教員にも任せられるようにしていきたいと思います。
■このような魅力的な取り組みをすると他県からの応募者が増えるのではないか
基本的には地元密着の方向は変わっておりません。
他県から来た学生さんには、地元の企業さんなどとのインターンや、交流を通じて金沢が第二の故郷のように思っていただけると嬉しいですね
■インタビューアー手記
高専でグローバル、英語の話をしようとすると
よく「その前に考える力を」となることが多いと感じられる
金沢高専においては金沢高専2020visonにおいて
順番としてまずは「多様性を受け入れた教育」、「デザイン思考」、「グローバル人材育成」ときている
単純に授業のすべてを英語で行うといった表層的なことではなく
その裏には
不確実性、多様性が高まる現在のエンジニアリングの現場において
必要な人間力を涵養するようなプログラムを作成していると感じた。
日本においても
・トヨタなどが中心となって設立された海陽学園(http://www.kaiyo.ac.jp/life/index.html)
・寮×グローバルのISAK(http://isak.jp/jp/about/ourmessage/)
など
これからの時代に必要な人材を育成する学校が登場してきている。
金沢高専は
明確な意思を持って
外国人であるバークスデールルイス校長を学校のTOPに据えた。
私立高専の挑戦は確実に歩みを進めている。
今回のインタビューゲストは高専から経済学部、MBAへ、そして参議院事務局へ入局された熊谷さんです。
高専で得たもの、大学編入から将来の事まで、様々なお話を伺いました。
プロフィール
2003年3月 茨城工業高等専門学校 電子制御工学科 卒業
2005年3月 信州大学 経済学部経済学科 卒業
2007年3月 筑波大学大学院 システム情報工学研究科 経営政策科学専攻 修了(MBA)
2007年4月 参議院事務局 入局
現在、環境省に出向し、総合環境政策局 環境計画課 計画調整係長
高専に入ったきっかけは何だったのですか。
中3の夏まで高専という存在は知りませんでした。大学に楽をして行きたいという発想があって(笑)。当時、両親と進路の話をしていた際に、高専からは大学に編入学ができ、センター試験等を受験するよりも楽な形式で大学進学ができるのではないかという事になりました。当時は、必ずしも理系に進みたいと思っていた訳ではなく、高専の説明会で文系の大学にも編入学できるということを聞いたので、理系と文系どちらにも行けるのなら、「じゃあやってみるか」と。将来は、政治や行政に関わる職場で働きたいと漠然と思っていたので、そうした職場では珍しいであろう、理系ルートから入るのもおもしろいかなと思っていました。「人と違う」ということは強みになるのでは、とポジティブに考えていましたね。
高専時代、印象に残っている事はありますか。
やっぱり一番は寮生活ですね。同じ寮で毎日、同級生・先輩・後輩と過ごした日々は思い出深く、今すぐにでも戻りたいですよ。最大4歳差の先輩と後輩が何人もいる環境で毎日を共に過ごすのは良い経験でした。5年生の先輩なんて自分が入学した時にはおっさんですよ(笑)。そんな年上の人たちと色んな話をしたり、遊んだりするのはおもしろかったですし、逆に自分が5年生(20歳)の時に中学校卒業したての後輩と遊ぶっていうのもおもしろかったです。世代・考え方の違う多くの人と接することで、自分の視野が広がりました。社会人になると、人とのコミュニケーションが非常に大事です。人付き合いや人当たりの良さは、勉強以外に重要な要素なんですけど、一朝一夕に学べることではない。そういう意味で、寮生活は良い経験をさせてもらったなと思います。
逆に、高専時代に何かやっておけばよかったなと思う事はありますか。
それは勉強です。あまり大っぴらには言えませんが、寮では遊ぶ事が楽しすぎて、次の日の授業に影響することも多々あり、勉強を疎かにしちゃいました。高専で学ぶ内容は、大学や大学院はもちろん、社会に出てからも結構使えるんですよ。同僚やお客さんと仕事の話や雑談をしている際に、何かの流れでロボットやら機械やら理系の話になった時に、「名前は聞いた事あるけど思い出せない」ということが多々あるんです。「しまった、ちゃんと勉強しとけばよかった」と後悔しています。高専の勉強は社会に出てからも意外に役立つので、「遊びながらでいいのでしっかりとやった方がいいよ」という事は、後輩たちに伝えたいですね。
大学、大学院はどうでしたか。
好きだった数学をいかせると思い、経済学部に3年次編入学をしました。高専時に大して勉強していなかったくせにと言われるかもしれませんが、これまでに学んだことがない経済学という分野を学ぶのは非常に刺激的で、講義にも真面目に出席しました。大学院ではMBAコースを専攻したのですが、これまた刺激的で、工学部や外国語大学出身等の様々な分野からの入学者、社会人経験者や現役の官公庁・地方公共団体の方、さらには、中国の留学生や中東の行政府の方など、色々な人がいたので、先生からだけでなく、クラスメートから今まで見たことも聞いたこともないことを多く学べました。これは自信をもって言えるんですけど、「みんなに遅れないように、追いつくように」と思い、本当に勉強をがんばりました。
お仕事はどのような事をされているんですか。
参議院事務局に入局して一番初めは、議員課という部署で、国会議員の方々の身分等に関する仕事をしました。次に、財政金融委員会調査室という部署で、国会議員の方々からの調査依頼等に応えるシンクタンクのような仕事をしました。その次に、議案課という部署で、法律案等の受理・審査先の整理等を担当しました。私たち国会職員は、裏方として黒子に徹しているのですが、自分が担当していたものが国会議員の方々を通して表に出る時もあり、そのような時は非常にやりがいを感じます。そして、現在は環境省に出向しており、環境計画課という部署で、審議会の運営や、「グッドライフアワード」という平成25年度創設の賞の運営を担当しています。環境省は、他省庁、地方公共団体、民間企業など、色々な職場からの出向者が多いので、高専の寮を思い出す感じです。仕事の後や休日には、同僚と一緒にお酒を飲んだり、アウトドア活動を楽しんだりしています。
お仕事をする中で、どのような動きをされていたのですか?
国会職員としては、情報収集を多くやりました。電話だったり直接歩いたりして、リアルタイムの情報を収集していました。といっても、自分自身で新たな情報を取るというより、2次情報をいただくという形が多かったので、信頼関係が大事でした。信頼を損ねたら、誰も情報くれませんよね。高専の寮生活で得た色々な人との付き合いという経験が生きていると思っています。
夢や目標など教えてください。
分野に関係なく、日本のためになる仕事を支えていきたいっていう考えを持っています。これまでの社会人経験の中では、どの部署に配属されても配属先の担当事項に心を奪われて、その仕事が楽しくなるくらいハマっていきました。抽象的な回答で申し訳ないですが、これからも、その時々の関心事項の中から、「日本のために良いこと」を探していきたいと思います。100点満点のクオリティは難しいですが、やろうと思えば何でもできるはずです。
後輩への一言をお願いします。
自分が寮生活で学んだことですが、高専には幅広い年代の人がいるので、同学年の人だけでなく、色々な人とたくさん話をして、いっぱい遊んでください。ただし、高専の勉強はやっておくと将来的に損はないことを実体験したので、遊びつつも勉強をしていただきたい。また、私自身に対してですが、高専生は専門分野をいかして進学・就職する人もいれば、私のように違う分野に進む人もいるので、様々な将来を見据える高専生のために役立つ何かをやってみたいと思います。このインタビューがその一つかと思いますので、何か知りたいこと等ありましたら、ぜひ、高専ベンチャー経由で何なりとお問い合わせください。
(インタビュー:河内あゆ)
今回は
金沢大学編入会の武内さんにお話をお聞きしました。
中学生時代に理数系が得意であったために
先生に勧められて高専に進学することにしました。
3年生くらいまではどちらにするか非常に迷っていました。
しかし、インターンシップに参加したとき
高専の先輩の話を聞くことができ
高専の段階で就職すると早く技術を覚えることができる反面
給与面での差がついたり
希望していた研究職はほとんどが大学院卒の方ばかりという話を聞きまして
進学を選択しました。
大学を探す軸は
自分で何がしたいかを考えて
私の場合は機械工学のエネルギー関連だったので
その中で
試験の方法なども考慮して金沢大学に進学することに決めました。
私の高専から金沢大学に進学された先輩が少なく
研究室見学くらいしか情報を取得する機会がありませんでした。
その結果、大学ではコースに即した授業が少ないなど少しギャップはありますね(笑)
入学後のイベントをメインに活動しております。
編入生は入学した後、友達ができにくいので
入学後の生活を楽しくするために
月に一回のBBQなどの活動や年に2回程度のパーティを企画しながら
コミュニケーションの円滑化を図っております。
今後は、金沢大学の魅力を各高専に話に行く機会など増やせたらいいなと思っております。
編入前の活動が最近増えてきたような印象でしたが
編入後のコミュニケーションを増やすイベントを
きちんと実施されている編入会は少ないかなーと感じていたので非常にいい取り組みだと思いました。
今回のインタビューゲストは読売新聞東京本社・社会部で、警視庁担当の事件記者をされている加藤哲大さんです。
「学生時代にいろんな人に会って話を聞いてほしい」と語る加藤さん。
高専から経済学部へ進んだきっかけ、記者という仕事についてもお話を伺いました。
2006年3月 茨城工業高等専門学校 電子制御工学科 卒業
2008年3月 国立大学経済学部 卒業
2008年4月 読売新聞東京本社 入社
5年間のびのびできる環境であるから、というのが1番の理由です。
当時、”普通科の高校は中学校と同じような3年間を繰り返す”というイメージでした。高専から大学に編入ができるという話を聞いていた事もあり、高校に3年行き大学で将来をある程度決めてしまうよりは、高専に5年間行くほうが柔軟で選択肢が広いのではないか、と思っていました。
しかし理系が大の苦手で…。高専の入試でも社会は自己採点で100点、数学と理科は低空飛行でした。苦手だけども自分の将来にとって理系の知識は必要だろうと思っていたので、高専に行けばもしかしたらできるようになるのでは、という期待もありましたね。学科を選ぶときも、周りの高専生のように「機械がやりたい」、「コンピューターを作りたい」というのはなかったので、一番学べる課程の幅が広いといわれていた電子制御工学科を選びました。
高専に入ってすぐに先生から、「理系はごまかしがきかない」「君たちも技術屋になるのだが、技術屋は人の命を預かる」と言われたのが印象的で今でも覚えています。また、自由と責任が非常に明確で、大人の扱いをしてもらっていたな、という印象も強いですね。極端な話、授業に出なかろうが寝てようが、ある意味試験の点数で進級が決まるという点などは特に。自己管理、自己責任という感覚が強かったです。
また、高専時代は教官室をよく回っていました。放課後とか、場合によっては授業を抜けていろんな先生の部屋を順番にノックして話をしにいっていました。茨城高専も当時は既に実業の世界から来ている人が多くて。仕事の話とか、会社はどういうものなのか、働くとはどういうことなのか、という事をコーヒーを飲みながらよく話していました。そういう話を聞くのが楽しくて、授業で関わっていない先生のところにも行っていました。先生も学生が来ると受け入れてくれたし、学校としてもどんどん教官室に行けば良い、と言っていましたし。
視野を広げる、就職の選択肢を広げるという意味で経済学部を選びました。僕の場合は特に、技術屋になるつもりはなかったので、ある意味立場をフラットに戻すという意味でも。そのなかでも、実は種明かしをしてしまうと文系の編入先は選択肢が少なくて、さらに茨城高専の先輩が経済学部に編入をしていた、というのもあって自然に選びました。
学校に関しては、僕は推薦で編入したのですが、大学側が高専用の枠を設けていて、それは歴代の先輩が大学でそれなりの成績を収めていて高専への信頼があるという事だと思うので、高専すごいな、と思っていました。
授業に関しては、経済学部は文系に分類されてはいるけれども数学を使う事が多くて、高専時代に既に学習しているものもありました。暗記的なものもあるけれど、統計学やミクロ・マクロ経済など、微積分を用いるものもあり数学的な要素も強いので、高専で学んだ応用数学や解析などは非常に役立ったと思います。
子供の頃から一般紙とスポーツ紙を読んでいました。純粋にニュースを見るのも好きだったし、政治や経済、社会の話題に対して、非常に関心が強かったと思います。いろいろと企業を見ていくなかで、記者の仕事を説明会で知って、かっこいい仕事だなと思いました。他の選択肢はなかったです。
新聞を読んでいると時々、「どうして、こんな事が起きるのだろうか」とか、「この記事の出来事は、今後、どうなるのだろうか」と思うことがあって。そうであるならば、自らがニュースの中に飛び込んでいって、納得するところまで調べられる”新聞記者”を目指そうと思いました。裁量も責任も非常に大きく、青臭い事を大人になってもできそうだなという気もしました。大人になると『大人の事情』などで飲み込まなければならないものもある、と思っていたけれど新聞記者は大人になっても、正義感というと言い過ぎかもしれませんが、筋を通しているところに惹かれました。
取材を尽くして記事を書き、世に投げかけるというのは責任も大きい事ではあるけれど、これ以上にやりがいのある仕事はないだろうと思っています。就職を目指す時点で、一生かけてこの仕事ができるという思いはありました。
高専をキーワードとして話すと、僕は高専を非常に誇りに思っています。勉強も大変苦しいし、ついていけないんじゃないかと思ったこともあるけれど、周りにいた人たちは優秀で人間的にも魅力的で、それぞれみんな夢を語っていて前向きだった。周りの高専の人間を誇りに思っているから、自分も高専出身だということを誇りに感じられていました。だからこそ今こういう仕事をしている中で、技術屋として日本のものづくりを支えて世界と戦っている人達を、社会部の記者として記事を書きたいと思っています。よく言われますしね、記事を書いてと。(笑)
今の仕事に関連して言うと、学生時代にいろんな人に会って話を聞いてほしい。
『新聞記者は名刺一枚で誰にでも会う事ができる』と言われているけれども、会って話を聞けるかというと、そうはいかない。「記者に話すと記事になってしまう」と緊張感が出てしまい、本音を聞くのは非常に難しい。もっと言うと、人によっては雑談すらしてくれないという事もあります。記者に限らず大人になると企業の利益が絡むし、立場があるので、そう簡単に人と会って話をしたところで本音を聞ける、聞きたい事を聞けるとはならないんです。
でも学生はその特権があるのだと、大人になってこの仕事をするとより強く感じます。当時教官室を回っていた事を思い返すと、いきなり行って、何でも教えてくれる、諭してくれるというのは二度とない貴重な機会。学生のうちにいろんな人に会って話を聞くのは非常に大きな財産になります。また、人脈として大人になってもずっと生かせると思います。それが社会に出たとたんに今までと同じ顔では会ってもらえない、という現実もあるので、学生というのはすごく限定された、すばらしい身分であることを伝えたいです。
執筆者:河内あゆ
今回は、群馬高専 専攻科2年
鈴木さんにお話をお聞きしました。
進学先 東大 大学院 化学システム工学専攻
■高専に入った理由はなんですか?
理由は大きく3つあるのですが
1つ目は、中学生のころから理科、特に化学が好きでした。
2つ目は、受験に際して、目指すべきところとして高専が偏差値的にちょうどよかったということもあります。
3つ目は、就職が安定しているということを聞きまして当時は就職か編入か決まっていませんでしたので選択肢が増えると思いいいかなと考えました。
■高専に入学してみていかがでしたか?
私個人としては実験の回数が多かったのは非常に魅力でした。
中学生のころにはできなかった、なぜこうなるのかという現象の理解ができたのはよかったです。
さらに、実験も週一以上あって、自分でやってみて実験ができ満足度は非常に高かったです。
■進路に関して就職か編入はどのように選ばれましたか?
数多くの実験を重ねていく中で、将来研究職についてみたいという気持ちが非常に強くなりました。
そんな中、先輩方の話を聞くと、すぐ就職してしまうと研究者になるのは難しいということがわかりました。
よって進学の道を選びました。
■専攻科に行くか大学に編入するのかはどのように選ばれましたか?
正直、4年まで大学編入か専攻科か悩んでいました。
そんななか、研究室選びの際に先生と話をしていくなかで
今研究しているテーマが非常に面白そうで、さらにその研究をやるんだったら専攻科まで行ってやってみないかと
勧められたことで最終的には決めました。
特に5年から考えると3年間実験できるのでそこが魅力的でした。
大学に編入すると継続的な研究という観点で考えると1年時間が空いてしまうので私にとってはデメリットであると感じました。
今となっては、早い段階で学会とかも出させてもらったり、学部生だとできない経験も非常によかったですね。
後は、経済的にも半額なので助かってます。。。w
■専攻科の後の進路はどのように選ばれたのでしょうか?
研究者となるために、専攻科に行くのであれば、大学院に行こうと思っていたいたので特に悩みはしなかったですね
大学院は、自分で調べたものと指導教員の先生にもいくつか候補を出してもらい選びました。候補の基準として広い意味で、エネルギー関連分野の研究を行っていることを考慮しました。その中でも特に、光触媒を用いた水素生成とそれに関連する研究に興味を持ったためこのような形になりました。また、東大を選んだのも、高専生特有のおしり叩かれないと頑張れないこともありw
レベルの高いところで研鑽してみたいと思い選択しました。
今後に関しては、博士課程はあまり考えておらず、企業の研究部門で研究を続けたいですね。
■後輩へ一言あればお願いします
そうですね。。。高専生だけというわけではないですが、英語がネックになる場面が多いかなと思います。
特に5年の卒業研究の際は非常に忙しくてあまりそこに時間を割くのが難しかったです。
私は、3,4年の時に先に英語の勉強できたのが専攻科に入るときも大学院を受ける時も大きかったかなと思うので早めに英語は手を付けておいた方が良いです。
専攻科を選ぶにあたり、群馬のことしかわからないですが
10番以内に入っていれば問題なく進学できるかなと思います。
専攻科はいろんな意味で一定の期間のモラトリアムかなと思います。
自分のペースで研究できるという反面
先生が調整しないところだとバイトばっかしてる人がいるのも現状です。
専攻科のメリットは研究がたくさんできるところかなと考えているので、私はそのチャンスをつぶさないで研究した方がいいと考えています。
設備は必ずしも大学にはかなわないかもしれませんが、早い段階から研究に取り組めること、継続して3年間行えること、また研究室によっては学会発表も経験できることは大きなアドバンテージになると思います。
そのような積極的な理由で選ぶと専攻科は非常に素晴らしい環境だと思います。
頑張ってください!!
今回のインタビューは香川高専出身の田坂祐太さん
高専ベンチャーの合宿イベントに参加した話や、現在の九州工業大学での活動についてお話いただきました。
◼︎高専ベンチャーの開発合宿について
ー高専ベンチャーの開発合宿に参加したきっかけは何ですか?
高専ベンチャーを知ったのは本当に偶然ですね。高専の5年の春に高専ベンチャーの開発合宿に参加させていただいたのですが、
それまで高専時代にWebサービスを開発していてtwitterから情報を収集している時に偶然、高専ベンチャーのことを知りました。
私の参加した合宿は高専ベンチャーとして初の合宿イベント(IGNITEイベント)だったのですが、参加する前は得体の知れない団体で大丈夫なのかなという気持ちもありました(笑)
しかし、全国から選抜された高専生と開発ができることは魅力的でしたし、今まで地方の高専にずっといて外に出て行ってみたいという思いから応募させていただきました。
あの時、勇気を出して応募したのは良い決断だったと思います。
ー合宿で得たものは何ですか?
まず、アイディアを練っていく方法とデプロイまでの一連の流れの二つですね。
合宿に参加するまでは「思いついたらとりあえず作る」というスタイルでしかモノを作ったことがなかったのですが、合宿に参加して初めて、ブレストからアイディアを練ってサービスへと形付けていくという流れを経験しました。
私としてはチームでものづくりするということは始めてで、一人でつくる時と全然違って全てが新鮮でした。
開発においては、ソースコードを管理するgitのことからAWSなどのインフラまで、サービスを一から作りデプロイするまでの流れを経験しました。今となってはそれらは全て日常のように開発に利用していますが、高専の時に知っておけたことでそれからの勉強に役立ちました。
最後に、最もこの合宿で得たものがあります。
自分は母校の高専の中ではそこそこ開発能力はあるけど、全国の高専生はどんなものなんだろうくらいに思っていました。
合宿に参加してみると他の参加者との技術力の差が顕著にあって正直めちゃくちゃ悔しかったですね。
負けるもんか、これから絶対追いつき追い越してやろうと思いました。
この合宿が自分の今までの成長のルーツになっています。
今でもそうですが、いろんなイベントに参加すると、やっぱり上には上がいますし自分はまだまだだなって思います。
でもそれが楽しくて良い目標にもなったりしますし、そういう時技術者で良かったと思いますね。
◼︎九州工業大学での活動について
ー就職率が高いといわれる香川高専から、なぜ大学進学を選択しましたか?
大学へ進学したのはまだ自分が将来何をやりたいか迷っていたからという理由からです。
もともとものづくりが好きだったんですが、インターネットにつながっていれば誰でも利用することができるWebサービスは特に面白そうだと思っていました。
しかし、Webサービスといってもその中でもいろいろあって、それらを網羅的に勉強して自分が本当にやりたいことを見つけようと考えていました。
まず大学でそういう活動をしている団体を探したんですが、ありませんでした。じゃあ、そういったサークルを作りましょうかと、高専生ならではの無ければつくる精神ですね。
ーなるほど、それはおもしろいですね。立ちあげた団体について教えてください!
学部4年生の時にWebサービスを開発するサークルP&Dを立ち上げました。
このサークルでは単に開発をするだけでなく、リリースし運用することを重視しているサークルです。
サークルでは主にチームでなんらかのサービスを開発しており、今までもいくつかのサービスを開発してきました。
また、活動の一環で技術を学ぶための仕組みがあります。
たとえば、インフラを勉強し、サークル内のネットワークなどを管理するインフラ部をはじめ、開発する内容にそって、iOS部、Android部、Web部などです。
そこでは、個々の得意な専門スキルを伸ばしてチーム開発に活かしていけるようにしています。
サークルのメンバーは15人いますが、なぜか8割が高専からの編入生となっています(笑)
ほとんどが高専生ということもあって、ある程度技術をかじってる人もいて他のサークルと比べると全然レベルは高いと思いますね。
サークル部屋には、机やラグがあったりで充実しています。なぜか部屋で常に生活しながら開発している人もいたりします。
ーストイックに活動されていそうですが、とても楽しそうですね。実際にサークルで開発しているものを紹介してください!
今最も力を入れているのは、学園祭アプリ 学フェス です。
このサービスは、学園祭の実行委員がWeb管理画面から情報を入力することで、専用のアプリに学園祭の情報が配信されるというサービスです。
2014年度はお試しで4つ大学と高専に導入したのですが、非常に反響がよかったので2015年度は全国レベルでもっと普及を進めていこうと考えています。
学園祭の実行委員ってお金に余裕がないんですよね。そこで、このサービスを利用する学校やアプリのユーザに対しては一切、課金をしないことにしました。
多くの学校に学フェスを導入してもらうことで、他の学園祭との連携など、今までで距離的にできなかったことを実現させたいですね。
現在、学フェスのWebページやアプリを大幅アップデート版の開発中で、アップデート版は6月中にはリリースする予定です。
学園祭実行委員の方、興味があればまずこちらに相談してみてください!
Twitter : @planningdev
Mail : gakufes@planningdev.com
執筆者 : 坂本時緒
今回は松江高専の川本さんにお話をお聞きしました。情報が少なくかつ偏在している高専生の編入。
その苦労を後輩にさせたくないということで
仲間を集め編入のガイダンスを独自に実施された取り組みです。
松江高専 情報工学科 5年
編入先 北海道大学 工学部
■なぜ北大を志望したのですか
生体情報をやりたかった
いろいろ大学を探しているなかで、学ぶことだけではなく
学習する環境として街の雰囲気なども考慮して選択しました。
■なぜ高専に入学されたのですか
中学生の当時はゲームを作りたいなと思っていまして
プログラミングなどをしてみたいなと思い入学をしました。
■入学していかがでしたか
正直なところ入学後ゲームに興味がなくなっていきましたね。。。
高専に入るまでプログラミングをしたことがなかったので、実際に構造を理解し始めたらゲームに対する情熱が冷めていったんですよねw
■進路の選択はどのように考えられたのですか
最終的には研究をきちんとやっていきたいと考えておりまして大学院に進学したいなと思っています
そのために大学進学を選択しました。
■高専生活はいかがでしたか
今回の編入のためのガイダンスや割とやりたいことをさせていただく環境だったために
いろいろなことをすることができました。
■川本さんの取り組みをお聞かせ願えますか
実施したこととしては、松江高専にて編入希望の学生向けに編入ガイダンスを開催しました。
松江高専には編入会はなかったのでこのような機会は非常に希少なもととなったと思います。これは私自身の経験からなのですが
北大には松江高専から編入した方がほとんどおらず編入情報がありませんでした。
別の機会のインターンで知り合った函館高専の子に過去問等の情報をもらったりしていました。
その際に、北大近くの高専生には情報があって距離的に遠い自分たちに情報がないという状況を
後輩にさせたくなかったので何かできることはないかと動き始めました。
まだ必ず編入!という、スイッチはいってない状態でも事前に編入の情報をもっているといいかなと思います先生方に協力してもらいながら1~4年生60人ほどに集まってもらい
編入の話をさせていただきました。特にこだわったのが
実際に編入された先輩にアンケートを取り
編入の満足度や編入後の良かった事悪かった事などを取得し
情報量を増やすことをしていました。これは、編入ガイダンス自体は過去にもやっていたらしいのですが
過去のガイダンスとは一味変えたかったというところからも来ています。アンケートに答えて下さった皆様、ありがとうございました。
■一言お願いします!
松江高専での取り組みをぜひ引き継ぐ現役生を募集しています!
ご連絡お待ちしています!
今回のインタビューは鈴鹿高専OBの川野晃太さんです。
川野さんは鈴鹿高専の在学中から、様々な海外経験をされています。
専攻科の卒業後は、グローバル企業に就職し、現在はモノづくりの現場で生産技術を学び、今後は営業企画に携わるそうです。
また、仕事以外でもLiDS(リッズ)という団体を立ち上げ、これまでの海外経験を活かして様々なイベントを開催しています。
今回は、そんな川野さんに海外での経験と、LiDS(リッズ)の活動についてお聞きしました。
―川野さんが最初に海外に興味をもったきっかけは何だったのでしょうか?
一番最初に興味を持ったのは鈴鹿高専の学校内で募集があった、アメリカへの短期学生派遣に参加したことでした。
それまで「グローバル化だ!英語は必要だ!」なんて言葉をよく耳にしてましたが、いまいちピンときていませんでした。
しかし、実際にアメリカに行き経験したオハイオ州立大学での講義などで、日本との違いに圧倒されました。
―なるほど、短期学生派遣でのアメリカ生活では、イメージとの違いがあったのですね。
そうですね。
例えば、日本では学校の授業では、先生が板書しながら学生は書き写すスタイルですが、アメリカでは学生が先生に積極的に質問をする能動的な学習スタイルでした。
また、個々がそれぞれ違うことを良かれとする考え方に、共感を覚えました。
短期学生派遣では、いかに今まで自分が小さいコミュニティの中で、狭い考えで生きて来たのかを思い知らされ、海外へ興味をもち留学に挑戦してみたいと思うきっかけになりました。
―その後、実際に一年間の休学をしてギャップイヤーにも行ったんですね。
そうです。その後は、専攻科の入学前にイギリスに行きました。
その時は、ロンドンで有料と無料の2種類の学校に通いながら、様々な国籍の学生さんと一緒に英語をどっぷり学びました。
学校では、ディスカッション形式の授業がとても刺激的でした。
宗教や人種差別、貧困、戦争などのテーマでディスカッションをして、毎日、好奇心や学習のモチベーションが上がっていきました。
英語力はもちろんつきましたが、多様性のあるクラスの中で、異文化や色々な考え方があることを学べたことが一番よかったことだと思います。
色んな国出身の生徒がいる国際的なクラスの様子
―学校以外での生活はどうでしたか?
学校生活以外では、レストランのウェイターや現地での日本語教師のアルバイトをしました。
あとは、2ヶ月ほどイギリス人の家にホームステイさせてもらった後に、外国人同士のシェアハウスに住みました。
シェアハウスでは、リトアニア、インド、韓国、フィリピンなどの様々な国の人たちと一緒に生活しました。
他には、クラスの友達とパブやカフェに行ったり、土日に無料で入れる博物館や美術館に行ったり、あとはサッカーやテニスを観に行ったりしました。
プレミアリーグを一試合2000円くらいで観たり、ウィンブルドンで至近距離でシャラポワを見たりもできました(笑)
詳細がもし気になるという方は、高専ベンチャーと一緒に海外経験オンライン座談会というのを無料でやってますので、ぜひ参加してみて下さい。
金曜の夕方から学校の友達とパブにいく様子
―刺激的な生活でとても楽しそうですね。逆に、苦労したことや、学んだことなどはありましたか?
正直、苦労したことはたくさんありました(笑)
留学って聞くとロマンチックなことや、楽しいことをイメージしがちですが、実際には大変なこともたくさんありました。
私の英会話のレベルはとても低かったので、最初の2ヶ月間はとても苦労しました。
何を言っているのか早くて分からないし、意見を言わないと相手にされなくなってしまったり、言いたいことがあってもすぐに出てこなくて、言葉のキャッチボール成り立たない日が続きました。
また、特にシェアハウスで共同生活をしていたときは、日常的なやりとりで言葉のキャッチボールが必要不可欠だったので、慣れるまではいつも異文化間でのコミュニケーションの難しさを感じていました。
そして、イギリスで生活をしていく上で、日本の考え方が通用せず、犯罪にあったり、理不尽な扱いをうけたりと、日本にいたときには直面しなかったことが、日々起こったのが一番の苦労だったと思います。
まわりに知っている人も居ないですし、今のように日本にいる家族や友達に気軽に連絡することが難しくて孤独を感じたこともありました。
それから、学校の授業で宗教や政治についてのディスカッションをしたときに、意見を求められたことがありました。
そのときは、自分がいかに日本のことに無関心で生きてきたのかを知りました。
それからは日本についてもっと興味を持とうという意識が生まれましたし、日本を外からみた良さや悪さに気づくことができました。
日本から外に出て困難に直面し、そこから乗り越えるためにたくさん考えることが出来たことが、何よりの財産だと思っています。
―そのような海外経験を経て、グローバル企業に就職するようになったのですね。
そうですね。海外で様々な経験をした結果、日本に限らず色んな国で色んな人と働くことを夢みるようになり、グローバルに事業を展開する企業に就職しました。
そして、社会人1年目をすぐに会社が実施している休職する制度を利用して再度ドイツでギャップイヤーを実施しました。
―なるほど。そういったたくさんの海外経験をもとに、LiDS(リッズ)という団体を立ち上げたのですね。
はい。今回、LiDSを立ち上げようと思ったきっかけもギャップイヤーの経験からでした。
自分のこれまでの経験から、一人一人に日本の未来について考えて欲しいと思っていますし、その未来は子供たちだと思っています。
LiDSという名前はLove and Idea create Dreams and Smiles (想いとアイデアで、一人一人の夢、笑顔を創造する) の頭文字をとってきました。
今は仕事と両立しながらで大変なこともありますが、現在は、社会人と大学生・院生が中心となり活動をしています。
―次回開催のイベントについて教えてください!
「親子で「国際人」になれる!国際スポーツ交流イベント」を開催します。
次回は国際スポーツ交流イベントを、3月14日の13時〜16時に新宿NPO協働推進センターで開催します。
このイベントでは、スポーツ交流のレクリエーションを通して、子供たちや保護者の方々に、流暢な英語が話せなくても、海外の留学生と楽しく交流出来るということを実感して欲しいと思っています。
一人でも多くの子供たちに、異文化に触れることが出来る体験を提供し、英語を学ぶ意味を実感してもらうことで、新しい「世界」を踏み出すきっかけを作りたいと思います。
現在、READYFOR?でクラウドファンディングもしていますので、是非、支援をお願いします!
https://readyfor.jp/projects/kidsxlids2
―最後に、海外での経験を通じて、あらためて高専生に伝えたいことを教えてください。
高専生に限らずに言えることかとは思いますが、学生時代には理論などの詰め込みにこだわりすぎないことが大切だと思います。まずは色んなことに挑戦してみて、必要だと感じることが学習へのモチベーションに繋がると思います。
私のように海外に出てみることは一つの選択肢に過ぎませんが、やってみたいと思うなら絶対に行動に移した方が良いです。失敗を恐れて挑戦しないことを一番、恐れないといけないです。
高専生は失敗した時に自分で起き上がれるだけの底力を備えていると私は思います。
ぜひ、時間のある今のうちに有意義な学生時代を謳歌してください。
今回は
九州工業大学、編入生委員会 酒井さんにお話を聞きました。
システム創成情報工学科3年生
北九州高専出身
■なぜ高専に入学されたのですか?
中学生時代から、ものづくり、パソコンが好きでして高専に入学を決めました。
ロボコンが好きでやってみたかったというのも大きいですね。
■実際に高専に入学してみていかがでしたか?
私の学生生活は、ロボコン一筋で学生生活をロボコンで塗りつぶされたような感じですねw
授業などは専門的で非常に役に立つものが多かったです。
■進路に関してはどのように選択されましたか?
就職という意識を当時はまだ持つことができませんでしたので編入という選択肢を選びました。
もうちょっと学生のままでいたかったというのもありますね。
■九州工業大学への編入の理由
シンプルに言えば、やりたいことがあり、実家から近いからですかねw
福岡は、ほどよく都会、ほどよく田舎なんですよ。
■編入生委員会を知ったのはいつ頃ですか
九州工業大学の編入試験は6月にあるのですが
合格後に生協へ資料請求をすると、送られてくる資料の中に「編入生の集い」というイベントの案内が入っていまして、そこで初めて存在を知りました。
その後8月に開催された「編入生の集い」に参加していろんな話を聞くことができました。
■編入生委員会の活動内容をお聞かせください。
編入生委員会は、編入生独自の悩みなどを解決し、縦横のつながりを作れる場を提供することを目標としています。
活動としましては主に、編入試験に合格してから入学する前までのサポートを行います。
夏と春に編入生に向けての交流イベントを実施します。
また、FGL(For Good Life)という編入生向け情報冊子を7,11月に発行しております。
■悩みなどはありますか?
そうですね。。。あえていうと編入生委員会に入ってくれる編入生が少ないことですかねw
興味がある方がいましたらご連絡お待ちしています!
編入生委員会のFacebookページもありますので、是非ご覧ください。
今回のインタビューは株式会社jig.jp代表取締役社長の福野泰介さん
福野さんの座右の銘が「一日一創」という言葉である通り、クリエイティブであることを人間の価値だと考え、日々創造活動を続けておられます。また、単に「創る」だけでなく、自分が創造したものに価値を見出してもらうという事の大切さも教えてくださいました。今回のインタビュー記事は「創る」ことの喜びや、その重要性を再認識できるものだと思います。
―福野さんは福井高専卒業後にいくつか会社を設立されて、現在に至るということですが、会社を設立して自分で進めるというのはリスキーではありませんでしたか?
会社って意外と潰れないんだよね。会社が潰れるときって大きく二つの場合だけなんだけど分かるかな?
―お客さんがいなくなった時や市場が変わりその変化に対応出来なかった時ですか?
もっと単純なこと。実は、不渡り(借入金の返済が出来ないこと)を二回以上してしまうことそして自分で会社をたたむ場合の二つなんだよね。業績の云々はあるかもしれないけど、会社というのはそう簡単には潰れないんだ。
―ソフトウェアの分野では差別化が取りにくいと個人的に考えているのですが、何で差がつくのですか?
「スピード」だね。同じようなアイデアを持っていても、それを一番早く現実のものにした人が勝つ。語弊があるかもしれないけれど、実はアイデアそれ自体には価値はあまりない。何かアイデアが浮かんだとしても、それを現実的なものに出来なければあまり意味はないんだよね。そういう意味で、アイデアを一番早く形にするということが大きな差を生むんじゃないかな。
―だからこの分野は変化が激しいのですね。
だからこそ、変化に早く気づいて、利用者に価値を見出して貰えるものを創っていかないといけない。そのためにはやるべきことを絞って、決めて、早く実行するということが重要なんだね。
―やるべきことを早く決めて実行するのは重要ですね。それに関連して、高専ベンチャーでは「どのプログラミング言語」を学べば良いのかと言う質問をよく受けます。それに対するアドバイスのようなものはありますか?
一つ言えるのは「なんでも良いから、一つの言語を使いこなせ!」って言うことかな。どのプログラミング言語が一番良いということは言えないよね。だからまずは自分でこれっていうプログラミング言語を決めて、それを使いこなして欲しい。それを使って好きなものを創るという経験をして欲しいな。自分のプログラミングで好きなものを創って、それを提供して価値を見出して貰う。この一見すると単純な経験が自分の中の喜びにもなるし、その経験はどのプログラミング言語にも応用できるんじゃないかな。だから、とにかく一つの言語に夢中になって欲しいな。
―自分で好きになるっていうプロセスが重要ですね。
日本でプログラミング教育をする時に、それを教える先生の方があまりプログラミングを好きではないというのが課題に挙がったりする。それはその通りだと思っていて、やっぱり教える人もそれを好きでなければならないし、教えられた方もそれを好きになって欲しいよね。プログラミング教育の時に重要なのは、「プログラミングが好き!」という人をどれだけ増やせるかだね。だから、これからプログラミングを学ぶ人には受け身ではなく自発的にどんどん学んでいって欲しい。そうすれば自ずとプログラミングを使って何かを創りたいと思うようになると思うし、次から次へと学んでいけるんじゃないかな。
―受け身ではなく自発的というのは特に響きます。
大人も含めて今は「創る楽しさ」というのがどこか忘れられているんじゃないかな。例えば、最近ソフトバンクがペッパーっていうロボットを出したでしょ。秋葉原のあるお店で、ペッパーにプログラミングをして自分の好きなように動かせることが出来るんだ。創造が好きな人はペッパーに「何をさせるか」という事を考える。だけど受け身な人は、ただただペッパーを消費して終わるだけになってしまう。ゲームでもそうだよね。みんなは出来上がったゲームを楽しむようになったけど、プログラミングが出来れば自分で創れるようになるんだよね。そうやって何かを消費していく代わりに、何かを創造するということが忘れられたんじゃないかな。
―何かを創造する。もの凄く深くささります。
人間は本来何かを創ることが好きなんじゃないかな。それは工業系とかそういう領域だけじゃなくて、どの領域でも同じ。例えば営業という職業でも、相手が価値を見出してくれるようなストーリーを創っていく訳だよね。どの分野でも、いつでも「創造する」ことが根底にある。大企業が何かを作って、それを多くの人間が消費しているのが今の社会だけど、実は消費者にならずに自分で作れるものって沢山あるんだよね。だから、ただただ受け身になるのではなくて「創造する」ということを常に忘れないようにしたい。
高専生には「ものづくり魂」のようなものがあると思うけど、それはもの凄く価値のあることなんだと自負して欲しいな。常に何かを創ることを全面に教えられている訳だし、きっと創ることの方が何よりも楽しいと思う。その「ものづくり魂」だけは必ず忘れずに心に置いていて下さい。
―インタビューを終えて
「創造する」こと。長らく自分から遠ざかっていたことだった。私は勉強を受け身でやり、いわば消費がメインの生活になってしまっていた気がする。今日のインタビューの中で出てきたペッパーの話は衝撃的だった。私はペッパーを消費することだけを考えており、「何をさせるか」など考えたことも無かった。ただ、そこで心が揺れ動かされたのは私も本来「創る」ことの方が好きだったからだと思う。図工でもなんでもそうだが、自分で創造することの方が何よりも楽しかった。「創造する」ことを忘れてしまいがちな自分に改めてその意義を教えてくれたインタビューであった。 今はただただ人に認めて貰える何かを創りたくて仕方がない。
今回のインタビューゲストは西嶋悠貴さん(木更津高専卒、東京農工大学卒、pivotal labs)
第四弾のインタビューは、木更津高専OBで、日本を離れ海外で活躍されている西嶋さんです。
今回は座談会形式で、海外での働き方や、日本と海外の違いなどを伺いました。
—今勤めている職場について
pivotal labsという会社に勤めています。
1989年に創業されて、最近はRuby on Railsでの開発を主に行っています。
アジャイル開発を行った初期の会社で、ここ数年はアジャイル開発を続けています。
この会社はPivotal Trackerを開発、運営している会社としても有名ですが、クライアントの作業を手伝ったり、スタートアップの支援を行ったりする会社です。
例としてスタートアップ支援を挙げると、まず最初に起業した方がPivotal labsから2人ほどエンジニアを雇って、起業したときのアイデアを形にしていきます。このとき、Pivotal labsのエンジニアは開発しながら起業した本人たちにシステム開発などを教えます。そして、開発が進んできたころにPivotal labsから来ているエンジニアが面接官になって、その会社のエンジニアを雇います。最後に、このエンジニアに対してPivotal labsのエンジニアが教育して、クライアントがもう自分たちでやっていけると判断したらPivotal labsのエンジニアは離れます。
会社のオフィスがさまざまなところにあり、来年にはシアトル・ワシントン・東京にできます。
日本人はニューヨークオフィスで自分ひとりですが、さまざまな国籍の人たちが働いています。
—日本と海外の違いについて
日本の人というのは仕事に重きをおいていて、なんとしても大学を卒業したら働かないといけないって言うところがありますが、身の回りのアメリカの人たち(ソフトウェアエンジニア)は家庭、家族の幸せが一番っていうところを感じています。たとえば、今日奥さんが風邪引いたから在宅で仕事しますといっても周りの人たちは変な顔をいっさいせずにどうぞどうぞという感じになります。これはリモートワークが他業種と比較して浸透しているからこういうことができるんですよね。
また、ソフトウェアを作るうえで、日本人が日本向けに作るわけではなく、いろんな国の人たちが集まって全世界向けに開発していくとなったときに、今まで気づかない、または置いておいた問題などを見なければならなくなるっていうことがあります。例を挙げると名前のフォーマットであったり、電話番号であったりです。
そして、やはり多くの人々が集まるので、多様性がありますね。住んでいる地域から始まり、各々の生活スタイルの話とか。例として挙げると、ユダヤ教の教徒さんは、毎週金曜の昼からは何もしてはいけないらしいんですが、金曜の昼になるとユダヤ教の人たちは帰りますし、ユダヤ人が経営者だと予め金曜は自宅出勤になっていたりします。
—西嶋さんと高専時代
高専在学中は、大枝先生の研究室で研究をしていました。授業以外では、野球部に所属していたり、近くの牛丼チェーン店でアルバイトをしていたりしました。
—西嶋さんと海外のなれそめ、大学生活、卒業後
私が最初に海外に渡ったのは、大学に編入した後のフィリピン留学です。姉がその時既に1年間アメリカに留学した後で、当時iOS Developer programの手続きに英語が必要で、それを姉がさらさらってこなしてくれたのを見て、ああ来年は休学して留学しようと決意しました。それで、留学するのにもアメリカに行っても費用が高く、アメリカで英語を勉強してもしゃべれるようにならない人が多いという話もあって、その時に話になったのがフィリピンでした。
そして、留学から帰ってきた後はもう一年休学できるというので、もう一年休学して、ベンチャー企業で働いたりしていました。
最初は3ヵ月くらいとある企業でアルバイトしていましたが、そのあとにLang-8に移りました。この時、開発に使用していたRuby on Railsのバージョンが2.3ぐらいだったかなと思います。1年くらいここで働いていたと思います。また、このころに高専カンファにも参加させてもらって、茨木さん(この座談会に来てくださって、以前木更津オフィスのlinux講習会の講師をしてくださった方)とかともここでお会いしたと記憶しています。
そして二年目の休学が終わった後は、大学に戻りました。留学生が多い研究室がよかったので、そこに行きました。ここでは、さまざまな言語の手書き認識を研究していました。
また、卒業後はpenguin digitalという会社で仕事をしていました。ここでは、写真を撮って、その写真が印刷とか、マグカップになったりとか・・・というサービスに携わっていました。先ほどお話しした通り、アメリカでは家族の幸せを大事にするので、結構売れるんですね。また、この会社では大学のドクターとかがアルバイトでいたりして面白かったです。
〜インタビューを終えて〜
今回は、座談会ということでインタビューというより西嶋さんの回顧録のような形でお送りさせていただきました。
西嶋さんのお話のほかにも、座談会参加者のOBたちのお話であったり、プログラムレビューであったり、開発アルバイトという新たな動きに対するフィードバックであったり、いろいろとお話を伺うことができてとてもいい時間だったと思います。
執筆者:須藤明
今回は大阪大学編入会の三浦さんです。
■高専に進学した理由は何ですか?
中学校の先生に理工系で進んでみたらどうかなと進められて高専を初めて知りました。
実際に調べてみると非常に面白いと思いました。
特に沼津高専は1,2年生が全寮制で最初から理系の学校に行きたいと思ったのでちょうどいいと思いました。
■高専生活の感想は?
全てが新鮮で5年間寮生活は兄弟みたいな関係性でとても楽しかった。
寮が大きく、他の学科の友達ができるのもよかったですね
■情報収集はどのように行ったのですか?
学科のHPをよくみましたね。
基本的には、ネットでの情報収集でした。
しかし、学科のHPは編入生向けの情報にはなってないので限界はありましたね。。。
編入のための塾とかがあまりないので、基本的には編入に関して教えてくれる人はいなかったですね。
外部と競い合うとかがない環境はモチベーションを維持するのが大変でしたね。
■編入会にはどのように参加されたのですか?
大阪大学の基礎工学部の先輩が紹介してくださいました。
編入会強制とかではなくて気づいた人が入るのですが結局9割くらいは加入してますね。
■今回のイベントはどのようなものですか?
今回のイベントは編入の情報交換会です。
同じ学校であれば情報交換しますが、他の高専と情報交換する機会は少ないです。
編入生と現役生の交流するための会です。
ZENPENさんと協力しながら合同編入説明会を実施することになりました。
是非ご参加ください!
関西合同編入説明会の詳細は以下URLにて↓
http://handaimitten.com/#reserve
大阪大学編入会の活動は大きく分けて、大阪大学の学士編入に関する情報提供、編入学生の学校生活の支援の2つです。
編入学に関する情報提供は、大阪大学に在籍している編入学生にアンケートをとり高専生へ向けて配信しています。
また新編入学生歓迎会などを通した学生同士の交流や、編入学生の卒業後の進路などの情報を提供しています。
今回は、ZENPEN 広報 鈴木さんです。
約半分の高専生が編入する現在、高専ごとに編入に対するスタンスがことあり、情報格差がまだまだ存在していると鈴木さんは言います。
そんな現役生にリアルな編入の情報を提供し続けるZENPENの鈴木さんより今回のイベントについてお話を聞きました。
■なぜ高専に入られたんですか
中学生のころ理科がすきで先生から勧められ高専に進学しました。
■高専生活はいかがでしたか
気心知れた中で生活を行うことは非常に楽しかったです。
しかし
閉鎖的な環境はストレスが多かったかもですw
■進路はどのように決めましたか
群馬高専は8割ほど進学なので、なんとなく進学という流れでしたね
最初は専攻科に行くつもりでした
大学選びは、 先生の勧めで東工大を受けることになりました
関東近辺のレベルが高いところを受けてほしかったようです
過去問も学校にあったのであんまり困りませんでしたね
■大学生活はいかがですか
やはりというか、なじむまでに時間がかかりました。
■編入会に入った理由は
編入の先輩が新歓オリエンを開いてくれてそれに参加しました
何かよくわからないうちに入ってましたねw
■なぜZENPENに
編入会をより活用できないかと思い
合同説明会を開催することとなりました
昨年度の一回目の合同説明会は関東近辺からではなく全国から応募がありびっくりしましたねw
全国の高専生がそのような情報を求めていることに確信をいだきました
東工大だけのくくりにすると問題が起こりそうでしたので
新たにZENPENとして立ち上げることとなりました。
まあメンバーは東工大生が多いんですけどねw
■第二回関東合同編入説明会に関して
当日来れない学生からの要望が多かったので
今年は当日の説明会を後日動画にて配信する予定です
■今後の目指すところ
関西の合同説明会も実施することが決まりましたので
今後は九州や東北などにも拡大していきたいと思います!
ZENPENとしても、きちんと組織を拡充していきたいと思います。
スタッフも随時募集しておりますので興味がある方はご連絡ください!
当日イベント参加申し込みは以下のURLにて↓
http://zenpen.miraiserver.com/kanpachi2/
今回のインタビューは寺本大輝さん
寺本さんは、この春高専卒業後に大学への編入はせずに起業することが決まっている。プログラミングをしながら遊べるゲーム―Hack for Playを事業化するのだ。高専を卒業したら就職あるいは進学という考え方がスタンダードになっている中、起業という選択をした背景にはどのような思いが詰まっていたのか探っていきたい。きっと、現役の高専生にとっても”選択肢”の幅が広がるはずである。
―まずは、寺本さんの今後のビジョンについて教えて頂けますか。
ゲーム感覚でプログラミングが学べるHack for Playを事業化させることです。プログラミングを学ぶのには難しい面も多くありますが、Hack for Playの中では、そういった難しさを隠しながら楽しんでプログラミングが学べることが出来れば良いと思っています。そうすれば、プログラミングが学びやすくなり、もっと身近なものになりますし。
―なるほど、ビジョンは明確なのですね。でも、起業という選択をするに当たって何か不安なことはないのですか。
正直、経営に関するノウハウ不足や資金調達と言った面で不安は残っています。ただ、「やるしかない」という決意も同時に出来ています。なぜなら、経営って結局のところ、実際に進めていく中でしか身に付かないと思うからです。確かに大学や大学院で経営学とかって学べるかもしれません。けれど、それらは理論でしかなくて、結局は実践で積み重ねていくことしか出来ないと思っています。だからこそ、「やるしかない」のです。アイデアに自信はありますし、技術に関しては心配していません。
―起業するに至った経緯はどのようなことがキッカケだったのですか。
あるコンテストで評価して頂いたのがキッカケです。そこでの賞の一つとして、オフィスを借りることが出来たのです。世の中では、社会が若者の挑戦を妨げているとか色々言われていますが、少なくとも僕が起業をするに当たって否定をされたことはありません。もちろん、アドバイスとして厳しめの言葉を頂くことはありますが。要するに、挑戦できる環境って意外と整っているということだと思います。あとは、本当にそこで挑戦するかですよね。自分の中で壁を作ること、「勘違い」が自分の挑戦を妨げることってよくあると思うのですが、それほど無駄なものはありません。
―高専に入って良かったことはどんなことですか。
全部です(笑)。個人的に特に良いと思えるのは、「閉じている空間」ですかね。要するに、普通の高校生とは少し世界が違うということです。普通の高校では、やっぱり大学受験がメインに置かれるじゃないですか。早ければ高校二年生、16歳くらいで受験戦争みたいなのが始まってしまう。「こんな勉強して何になるの?」って言いながら勉強している人も多いと思います。そうやって受験戦争が始まってしまうから、(学外で)何かに挑戦しようと思っても挑戦出来ないことの方が多いのではないですか。少なくとも私は、高専ではそういったことは無いと思っています。受験戦争にも巻き込まれませんし、学歴を気にすることもありません。高専だからこそ出来ることって沢山あると思います。僕は若い時からプログラミングを学べました。プロコンやロボコンと言ったコンテストが用意されているのも特徴のひとつです。そうやって若い時から挑戦できる環境が整っているのが高専なのだと思います。
―高専ベンチャーは何で知ったのですか。
僕がお世話になっている先生の紹介です。高専ベンチャーの企画に参加して変わったことは”人生観”です。会社見学、特に急成長中の会社に行くことで、現場でしか感じることのできないその会社の文化や雰囲気といったものを感じ取ることが出来ました。他の高専生との出会いも刺激的でした。いい意味で”濃い”人間が沢山さんかしていました。それぞれに個性があり、学校やクラスでは決して見られないような人たちに出会えたことが良かったです。そうやって外の世界で得るものは大きいと思います。
―高専在学中に一番頑張ったことってどのようなことですか。
同人サークルですね。中学時代から仲の良かった友人たちで集まりました。一番うれしかったことは、外のイベントで出した作品が覚えられていたことです。そうやって、(高専の)外で活動すると様々な刺激に巡り合うことが出来ます。また、学ぶことが多いのも確かです。例えば、僕はモノづくりを勘違いしている節があって、とにかく手を動かすことを考えていました。けれど、重要なことは手ではなく脳みそを有効活用していくことなんです。こういう学びの体験は学外の方が多いですね。
―最後に、高専の後輩へ向けてアドバイスがあればお願いします!
僕はいつも後輩に、やりたいことが見つかったら相談するように言っています。後押しをさせてもらいたいなと思って。さっきも言いましたけど、自分で作る壁―「勘違い」ほど無駄なものはないんです。だからこそ、そういう「勘違い」をはずせる環境が必要なのだと思います。そのためには、行動することが必要です。高専の外に出たり、凄い場所で凄いことをしている人や尊敬できる人に会いに行くことをお勧めします。そうすれば、どんどん環境が変わっていき、自分自身の視野や世界を広げられるからです。「勘違い」を頭の中で理解することは出来ません。そうやって挑戦する機会が増やせれば良いと思います!
インタビューを終えて
今回のインタビューの中で一番ポイントになっているのは「チャレンジする」という所だと個人的には思った。自分で勝手な壁を作って、挑戦権を放棄することは多分にある。ただ、そのような事が起こるのは”狭い範囲だけで考えているから”ということに尽きる。だからこそ、自分で視野を広げていくことが必要なのだろう。視野を広げることで、自分にとっての選択肢も増え、よりよい決断がきっと出来るようになる。ただし、視野を広げようと思うと「チャレンジすること」が必要不可欠だ。広い世界、幅広い選択肢というのは挑戦した者だけが得られる特権であるような気がする。チャレンジすることの大切さを学べたインタビューだった。
今回のインタビューゲストは戸塚拓伸さん(沼津高専卒、大阪大学大学院情報科学研究科、回路師)
第三弾のインタビューは、ニコニコ技術部でも有名な”回路師”さん。
そんな異名をもつ戸塚さんへのインタビューです。戸塚さんは、高専時代から現在まで凄いモノづくりをしています。
■高専時代
—何故高専に入学しようと思ったのですか?
父や祖父がモノ作りの好きな人で、父が部屋の棚をつくったり、庭をつくったりしているのを見て、そこからモノ作りっていいなと思い、当時ロボットがもてはやされていたので、ロボットが特にいいなって思って、高専に入ろうと思いました。
—どんな高専時代を過ごしていましたか?
ロボコンに力を入れていました。ロボコン部では、授業では学べないようなモノづくり、実際に設計してつくったり、プログラミングしたりしたことが特に良かったです。多足歩行ロボットをつくったり、無線で操作するための回路をつくったりしていました。また、五年間寮生活をしていたので、集団生活は楽しいって素直に思うようになりました。
—もし、高専時代に戻れたら、何をしたいですか?
正直に言うと、ロボコンや勉強ばかりだったので、彼女を作ったりして年相応の青春を送りたかったです。先生からの評価はありましたが、女の子からの評価がなかったです。製作物に関する質問や技術的な相談を受けることはありましたが、そういったやりとりはあまりなかったです。
■現在の活動
—大学院生活の中で自分は高専生だなと感じる瞬間はいつですか?
全国の高専出身者と友達になれる時ですね。考え方も学部生とは違ったりするので、自分は高専生だなって感じます。他の高専出身でも親近感がわきます。就活後の内定者懇談会でも、高専生同士で仲良くなれました。先生にもこの人高専生だよって紹介してもらうこともあって、高専生同士ならすぐに仲良くなれて、絆みたいなものを感じます。
—高専出身で良かったことは何ですか?
大学院の研究室では、“高専生だから実装系できるよね”みたいなところはあります。実際に手を動かす時は高専生の出番ですね。
高専生は、底力を秘めていそうな「いざというときに役に立つ」イメージです。
普段、研究室とかで高専生だからパソコンとかプログラミングに詳しいイメージを持たれていて、そういう部分で頼りにされるときに高専出身で良かったなって感じます。「一家に一台ほしいやつ」ですね。
■ものすごすぎるモノづくり力
戸塚さんの作成した3つのロボット、①ペンプロッタ ②全自動引きこもり機 ③朝快適に起きるマシンについて紹介したいと思います。
①自動でレポートを書くロボット「ペンプロッタ」
【感謝殿堂入り!】全力でレポートを自動で書くロボットをつくってみた:
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7687446
—なぜ作成しようと思ったのですか?
高専4年生の時、ある先生のとんでもない課題のなかに、200枚のレポートを手書きでやる課題があって、それをどうしてもやりたくなかったので、自分の代わりに書いてくれるマシンをつくりました。
—実際動かしてみて、どうでしたか?
作成には7、8ヶ月かかったのですが、マシンが完成した後に、実は結局手書きでレポートを書きました。文字は書けるということで完成したつもりでしたが、紙送り機能がなかったんです。しかも、すごく遅くてこれに書かせるのは無理だなと判断しました。
②2014年12月下旬より全国ゲーセンで採れる!!「全自動引きこもり機」
全力でスイッチをONするとOFFするロボットと戦ってみた:
の「スイッチをONにするとOFFにしてくるマシン」が最近の一番の自慢です。
大学4年生の時に作成していたマシン(*1)をよりバージョンアップして、最近念願の商品化することになりまして、年末年始に日本全国のゲームセンターでプライズ化することになりました。生産台数が1万2千台で、それだけたくさん世に出せるということで、貴重な経験をさせて頂いています。
(*1)大学4年生の時に作成していたマシン:
—なぜ作成しようと思ったのですか?
元々、スイッチをONにするとOFFにするマシン「Ultimate Useless Machine」が海外で有名で、それに顔とか、怒って暴れる機能とかつけたらおもしろいと思って全自動引きこもり機を作成しました。
—どのように作成したのですか?
秋葉原の秋月電子で、基盤とかモータドライバとかばらばらで買ってきて、ハンダ付けをして回路を作ったり、ピックマイコンにプログラムをかいてソフトウェアを作ったり、ホームセンターで材料を買ってきて自宅の工具で加工して外装を作ったりしました。ちなみに、加工するためにアマゾンで電動のこぎりを買いました。全部で、4ヶ月かかりました。
—今後このマシンをどうしたいですか?
自分のつくったものを手に取ってもらえることが一番嬉しいです。
全自動引きこもり機に関しては、第三弾、第四弾ができて、キットとかできて、ものづくりの学習材料とか、子供のおもちゃとかになるといいと思います。
③朝快適に起きるマシン
『The Most Useful Wake Up Machine』 全力で確実かつ快適に朝起してくれる装置を作ってみた:
—なぜ作成しようと思ったのですか?
急につくろうと思いました。朝起きるのがだるいなと思って、どうしたらだるくないかなと思い、自動で起き上がるベッドをつくって、自動でカーテンをひらくようにしたらいいなと思ってつくりました。
—今後はこのマシンをどうしていきたいですか?
ゆくゆくは朝食の自動化をやってみたいです。朝食をつくるマシンとか、朝起こしてくれるだけでなくて、コーヒーを入れる延長で、卵を割ったりしてくれたら更に快適になりそうです。
■現役高専生へのメッセージ
—大学編入のよさは何ですか?
大学編入して、すごく良かったと思っています。大学に出ることによって、高専生以外の人とも関わることになりますし、大学は高専より勉強や研究の規模が大きくなるので、大学編入はオススメです。例えば、自分がこういう研究がしたいから編入するといった目的があれば、編入して2年間学部で勉強したあと大学院までいくと、更に2年間やりたいことができるので良いと思います。
—どのように勉強のモチベーションを保っているのですか?
“これは将来ぜったいやりたい!”と決めてやっていたので、モチベーションを保てました。大きい目標に対して、自分が実現できそうな小さい目標を用意して、いくつもクリアしていくとモチベーションを保てると思います。
—夢はどのように見つけることができると思いますか?
ある瞬間にこれをやりたい!とか、これが好きだから叶えたい!みたいな気持ちを見つけることが、夢を見つけることかもしれないですね。
■今後は、どうしていきたいですか?
みんなに幸せになってほしいです。10年後、20年後を考えて人型の汎用性のあるロボット、人がいけないような所や人ができない作業など、そういうところで人の代わりになるロボットをつくるために、自分がもっている技術で貢献できるといいなって思います。
〜インタビューを終えて〜
今回は、沼津高専の後輩から先輩へのインタビューでした。高専時代から様々なモノをつくり、現在も夢に向かって走り続けていました。そんな戸塚さんのお話を聞いて、やりたいことをカタチにする実行力や発信力が大切なのだと感じました。これからの活躍もすごく応援しています。
現在、戸塚さんがつくった「全力でスイッチをONするとOFFするロボット」がゲーセンでゲットできるので、ちゃっかりゲットしました!
スイッチのしまわれ方が、すごく素敵だと思いました。
ゲットできるゲーセン:
https://www.taito.co.jp/prize/item/0000000075
執筆者:堀口梨佳
今回のインタビューゲストは島田一雄さん(都立航空高専元校長、高専ベンチャーアドバイザー、HNK顧問、高専カンファレンス顧問)
プロフィール
都立大付工高(都立工業高専前身校)電気科卒・電通大卒。上智大助手、東大宇宙航空研究所助手・工学部講師を経て、88年航空高専電子工学科教授、02年同校校長。05年(財)日本無線協会参与、11年同専務理事、12年(公財)日本無線協会専務理事、14同特別参与。08~09芝浦工大非常勤講師、衛星設計コンテスト実行委員、JAXAH2Aロケット第1回相乗り小型衛星選定委員、高専ベンチャーアドバイザー、HNK顧問、高専カンファレンス顧問、航空高専名誉教授、工博(東大)。永年、高専衛星作りを推進、09年航空高専・産業技術高専衛星「KKS-1」打上げ成功を見る。
頭より手足の方が先に動く高専生は強い!
強い高専人が繋がれば、鬼に金棒!!
―今日は、島田先生にお会い出来て良かったです。是非とも高専に関するお話を聞かせてください!早速ですが、高専に対して感じていることを率直にお聞かせ下さい!
高専って本当は凄く大きな可能性を秘めているんだよ。
―と言いますと??
「高専OBよ、繋がれ!」と言いたい。OBネットワークがしっかり構築できれば、いろんな可能性が広がるってことだ。高専は50年以上も前から時代を先取りした高大一貫の早期技術者教育、「鉄は熱いうちに打て」教育を施して来た文部科学省ご自慢の教育システムで、世界的にもユニークな高等技術教育機関として高い評価を得ているんだよ。そこで鍛えられた有能なOBが縁の下の力持ちとしてこの国を支えてきてくれているんだよ、間違いなく。すでにリタイアしている60歳代の大先輩から未だ卒業したての若いOBまで40万高専人が手を携え、力を合わせて、高専の発展のために、後輩高専生のために、日本のために、高専魂を発揮して活躍して行って欲しいと願っているんだ。
同様に、各高専の“モノづくり”等での地域との繋がりを、全国規模まで広げてもらいたいね。いま、私が関係している事例を紹介するよ。
―どんなお話しですか?
一つは10年前に私がキックオフした高い波でも使える水上飛行機づくりだ。2人乗りの初号機を沖縄に2年前に納入したのを見て、沖縄で開発・運用をやりたいと手を挙げた人が出てきたんだよ、モノづくりは大学よりも高専と嬉しい話になり、6月頃から水上飛行機につけるフロート用のFRP材料製造法を開発した八戸高専にも参画願い、製造は沖縄高専にお願いする計画が進んでいるんだよ。水上飛行機づくりをトリガーにして、沖縄を航空機づくりならびに航空技術者養成のメッカにしようとの計画も進行中で、それを担う若い技術者の育成は高専のミッションとの熱い要望が私に寄せられているんだよ。一方、戦後初の国産機YS-11の製造中止以来40年以上途絶えていた国産航空機製造が再開と期待されていた小型ジェット機MRJのロールアウト(完成披露)が10月に華々しく行われたね。来年5月頃の試験飛行を経て、2017年に1号機がANAに納入される予定だそうで、科学技術立国日本にとってその技術力を世界にアピールすることになり、とても嬉しいね。日本の航空産業の担い手は“モノづくり”を看板にしている高専から輩出しなければと強く思っているこの頃だよ。
―水上飛行機おもしろそうですね。まだ他にもありますか?
二つ目は、未だほやほやのホットニュースだよ。私が22年間携わっている「衛星設計コンテスト」絡みの人工衛星づくりだ。航空高専では私が15年も旗を振り続けて、やっと5年前に3kg の小さな衛星をJAXAの第1回H2Aロケット相乗りで打ち上げてもらっているんだけど知っているかな?
衛星設計コンテストには毎年、どこかの高専が最終審査会に出場しているんだけど、丁度1年前に、出場の高知高専の先生から「‘高専スペース連携’という、宇宙に関心を持っている高専の先生方でMLを創るので、顧問として入って」と言われ、入れてもらったんだよ。あいさつを頼まれたので、「皆さんの協力で国立高専衛星を打ち上げるべし!」とエールを送っといたんだ。そしたら、神は見ているね!今年の10月に文科省が「宇宙航空科学技術推進委託費」の公募をやったんだよ。“国立高専超小型衛星実現に向けての全国高専連携宇宙人材育成事業“というテーマで、8高専の先生方が短期間に連携プレイで説得力のある書類を作成して応募したんだ。11月末に書類審査をクリア、文科省からヒアリングの呼び出しが来て、私も応援に馳せ参じたんだよ。1週間後に結果発表と聞いていたのに翌日には3年間3,000万円の予算の内示があり、先生方も大喜びで、いま予算書作成におおわらわなんだ。計画が進展して、宇宙を指向する多くの高専の学生や若い先生が育ち、国立高専衛星が宇宙を舞う日がとても楽しみだね。
いま話したのは、私が関係している通信分野のほんの一例だけど、高専には多くの教育研究分野があるんだから、パワフルな高専人の皆さんが協力、連携すれば、いろんなことが展開できると思うよ。
―でも、そんな可能性を秘めているのに、高専の人のネットワークが広がっていかない。
そう、そういうこと。私が応援している“HNK”は20年の長い歴史を持つ全国高専OBの会でこれまで日本各地で年一回の総会を毎年開催したり、東京では月例会を開いたりしているんだけど、なかなか会員が増えないんだよね。今年の9月末には産業技術高専荒川キャンパスで、現役学生や若いOB諸君に運営委員に入ってもらい、多彩な分野で活躍中の20名を超す有名なOBを登壇者に迎えて、拡大高専OB大会(第17回総会)を開催したんだ。高専ベンチャー代表の弦本さんにもパネラーをお願いしたんだけど知っている?高専機構の高月理事も最初から最後までお付き合い下さり、高専ネットワーク拡張をとのエールをいただくなど、かなり盛り上がったので、しめた、これで行けるぞと意気込んだ私、会員増を期待したんだけど、いまのところ増えてないんで、どうしたものか悩んでいるところなの(苦笑)。いいアイデアないですか?
一方、6年前のロボコン全国大会の時に、全国の高専同窓会の役員の方々が集まり、同窓会連合会をつくるための準備会がスタートしたので期待したんだけど、これまた、毎年開かれているけど、なかなかことは進まず、今年の集まりでも連合会結成に至らなかったとのことで、がっかりしているところ。
最近「高専を考える議員連盟」というものが設立されたとの情報もあり、高専がクローズアップされつつあるのだから、当事者のOBも各校同窓会の繋がり、いわば縦糸に対して、それら結ぶ横糸の役割をする同窓会連合会を一日も早く創り、議連に働きかけをするぐらいやりなさいよと強く思っているだけどねー。
その点、高専生の力を社会にアピールしてくれている“高専ベンチャー”や数年前から活動している高専生・若手OBの勉強会“高専カンファレンス”の諸君のアクティビティは頼もしいね!大先輩OBが中心の同窓会やHNKは見習って、早急に広範、かつ強固な高専ネットワークを構築し、OBの連携を深め、高専ならびに高専生を支援するとともに、高専の良さを社会にアピールして欲しいね。
―次に、高専はどんなところが強みだとお考えですか?
三つ上げるとすれば、‘寮生活’、‘実践的’、‘学習環境’かな。
まずは、‘寮生活’について。
多くの高専生が寮生活なんだよね。都立高専には寮がないし、寮生活を私は経験してないんだけど、人格形成上とてもいいと言われているよね。5年間あるいは専攻科を入れると7年間も寮で共同生活を経験することは、他の学校では経験できず、意義深いことだと思うよ。出身高専は違っても高専OBは寮生活をしてきた仲間として何か相通ずるものがあり、初めて会っても非常に親近感があるとよく聞くよ。この点は、高専ヒューマンネットワークを拡げるには好都合なんだけどね。
二つ目の‘実践的’というのは、高専は最初に”モノありき”だっていうこと。
例えば、大学教育は理論から入る、対して、高専はモノに触れる実践から入る。大学生は理論を主に学んで、モノにはほとんど触れないが、高専生は手を動かしモノに触れる教育を先に受け、後から理論を学ぶカリキュラムになっているんだ。ある研究所のトップの方から「新しいシステムを設計開発試作することになった時に、大学出は、何社からもカタログを取り寄せパラパラとめくっているが、高専卒は、則、秋葉原に部品を買いに走り、モノづくりを始める。高専の教育は実践的で素晴らしい、いろいろな方が同様なことを言っていますよ」という高専の良さを端的に表す嬉しい話を聞いたことがあるよ。
三つ目は一番大事な‘学習環境’についてだね。
高専は、感性豊かな若い時に専門の道に入り、基礎から応用まで、じっくり学ぶことができる環境が整っているよ。受験勉強に毒され、中断されることのない5年間、あるいは7年間の連続した青春を、勉強や部活に専念できることは素晴らしいことだよ!
最近は大学編入の実績を売りにする高専もあるようだし、大学に入り易いからと高専に入学してくる中学生もいるようだけど、高専教育の本質から外れていると思うよ。高専では“虚”の紙の上での受験勉強から解放されて、“実”のモノを扱う専門の勉強に打ち込めることが最大のメリットなんだから、常に頭に大学合格がちらついていては、“実”の勉強がおろそかになり、あぶはち取らずになってしまうよ。高専では“専門に打ち込む”ことを大事にして欲しいね。大学側で高専での学習成果の評価にウエイトをかけた、過度な受験勉強不要の選抜をしてくれる限りにおいては、大学あるいは大学院でさらなる研鑽を積むことを否定する積りは全くなく、むしろ理想的なキャリアパスの1つだと思いますよ。
―高専の”強み”って重要ですよね。では、最後に現役の高専生へ向けて一言お願いします!!
世界に冠たるユニークな教育システム「高専」で学んでいることに誇りと自信を持ち、5年間、あるいは7年間の連続した青春を浪費しないで、グローバルに活躍できるエンジニアを目指して、歯を食いしばって日々研鑽、実践力を磨き上げるとともに、人格も磨いて欲しいね。
今回のインタビューゲストは三好章一さん
三井物産から高専へ
三好さんは、日本が世界に誇る商社、三井物産を退社し、茨城高専で教鞭を取られた異色の経歴の持ち主だ。民間企業から茨城高専が採用した文系教授第一号である。2002年、インドのニューデリーで機械情報部門インド側統括責任者として勤務されていた時に、社内専用ホームページで茨城高専の募集を見つけたのがきっかけだった。世界で活躍された三好さんだからこそ見える”高専の価値”、今回はそれを熱く語って頂いた。
高専生が持つ価値って?(以下、インタビュー記事)
―三好さんから見た高専生はどのような感じですか?
高専生は”目的意識”がハッキリしているよね。つまり、何かをしたくて高専に入ったっていう子が多いように感じるね。例えば、「自分でロボットを作って、ロボコンに出たい!」とか。いわゆる普通の高校っていう選択肢もある中で高専を選んだ訳だから、皆何かしらの理由を持って入学しているはずだよね。そういう”目的意識”とか”夢”を持っているのが高専生だと思うね。
―普通の高校に比べて、高専っていう選択肢は確かに稀ですからね。だからこそ、高専という選択肢には必ず理由がある気がします。では逆に、高専生に欠けている部分って何か思い当りますか?
あえて言うなら”遊び”が足りない(笑)。 彼らは、要は5年間かけて一生懸命知識を詰め込んでいく訳でしょ。専攻科まで行けば7年も。その間のレポートだって当然忙しい。そうしている中に、”視野”言い換えれば”世界”がどんどん狭くなってしまうんだよね。目の前の研究や課題に没頭してしまうから。 だからこそ、”視野”を広げるっていう意味で、”遊び”が必要なんだ。
―”視野”を広げるための”遊び”は重要ですね。でも”遊び”って具体的にはどのようなことなんですか?
要するに色んな経験をするっていうこと。僕なんかは商社で働いていたから、色んな経験をしてきたよね。例えば、NYでは電車が6時間も来ないなんて事もあったし。パリでタクシーに乗ろうとしたら、助手席から犬が出て来たなんてこともあった。日本じゃ考えられないよね。だけど、いろんな経験をしていれば”何が起こっても”打たれ強いでしょ。それが重要なんだ。エリートのように、ゴールまで一直線っていう人は強そうに見えるけど実は違う。そういう人は、壁に当たるっていう経験をしていないから、何か壁に当たった時、つまり”不測の事態”に陥った時に本当に脆い。だから、今の高専の子たちには色んな経験をして欲しいよね。そうすれば、視野が広がるから。特に海外にはどんどん出て行って欲しいな。「百聞は一見に如かず」っていう言葉通り、現地に行ってみないと分からないことって沢山あるからね。
―海外っていうと英語が大変そうですね。
英語は現地に行けば体で覚えられる。僕が商社時代にニューヨークに行った時も、英語は話せなかった。だけど、好奇心があれば体が勝手に覚えてくれる。 重要なのは、まずは日本語でちゃんと理解をするってこと。だって、まず日本語で中身を理解出来ていないことって、絶対に英語でも理解出来ないでしょ?政治、経済、文化、どの話を取っても、まずは日本語で理解していないと英語で話すなんて出来ない。だから、日本語で基本的なことを理解する方が大切だと思うし、英語が出来るか出来ないなんてそこまで気にする必要はないと思うな。
―そうやって挑戦して視野を広げられると、可能性もどんどん広がりますね。
そうだよね、高専生の可能性って本当に限りないよね。例えば、僕が高専で教えていた学生や卒研を担当した学生もいる。今ANAでパイロットとして活躍している人、読売新聞の記者になって活躍している人、金融関係の仕事でシンガポールにいる人、様々だよね。そうやって活躍していく高専生を見るのは本当にうれしいことだよ。
―可能性に満ち溢れた高専生ですが、彼らの強みってどのようなところだと思いますか。
本質・原理・基本というのをしっかり学んできたところなんじゃないかな。 面白い話があるんだけど、大学では高専編入生が居なければ実験が成り立たないなんて言われているところが多いんだよ。なぜかって言うと、普通の高校から上がった大学生は実験とかそういう基本的なことを丁寧には学べていないからだよね。高専の設備って古くて、いわゆる”きつい・汚い”ものだけど、だからこそ基本的なことを一から学べるんだ。今はITも普及して実験の設備も大分と便利なものになったけど、本質的なことを学ぶのには適していないよね。 僕は普段から「なぜ?」っていうのを必ず考えている。例えば、「なぜモーターは回るの?」とか「なぜ電気はつくの?」とか。そういう本質的な所が一番重要だからね。高専では、汗水垂らしてそういう本質・原理・基本を学んでいるよね。それが一番の強みだと僕は思うな。
―なるほど、確かにそれは高専生の強みですね。では、最後に高専生に向けて一言お願いします!
先程も触れたけど、“遊び”をとにかく大事にしてください!どんどん視野を広げていけば、いろんな可能性が見えてきます!
―インタビューを終えて
「思い描いたことはすぐに実行していきなさい」 インタビュー後の三好さんとの会話の中で、最も印象に残った言葉だ。三好さんから頂くからこそ、納得できたのだと思う。今は三好さん自身も一つのプロジェクトを進められているが、そのプロジェクトは着実に実現へと近づいている。それは、思い描いたこと実行し、目の前にあるチャンスを決して逃さないからだろう。 自分自身で”切り拓く”こと。それが何より重要なのだと僕自身が学べたインタビューだった。
執筆者:宮崎真人