Aug/24/2008 SUN 晴れ
睡眠6:15→9:00、21:30→1:00
1:00に目覚めて空港のトイレに立つ。いやぁ、立ってする便器の股上が、高い、高い。きっと日本人の半分はあの高さじゃあ届かないよ。ニューヨークに降り立った日本の男の大半は、まず空港ではじかれるっていうね(笑)
空港は24時間開放されているらしかった。お土産屋さんや食べ物屋さん自体は閉まっているものの、通路は夜通し明るく照らされていて、寂しくない。俺らのようにテーブルを囲んで朝を待つ外国人もチラホラと見られる。そんななか、俺は相方の待つフードコートに戻り、しばし落ち着いてノートパソコンを開いて、日記を書くことに集中する。
そして、3:30まで相方の買った情報誌を熟読して、暇つぶしにニューヨークの歴史なんかを学んだりして過ごすことにした。市の中心にあるセントラルパークは、大きくて歴史ある公園のようだ。相方の雑誌は、特にお店の情報に富んでいて、圧倒的に情報量が多かった。俺のガイドブックは写真が多くてビジュアル的には楽しめるんだけれど、薄っぺらく、1ヶ月分の情報は到底得られそうにない。
もう明け方の4:00近くだ。少し寝ておかないと、時差ボケか寝不足化かで明日がキツいかも知れない。それでも空き時間を見つけるたびに、また30分ほど日記を書いた。日記を書きながらここまでを振り返るに、アメリカはやはり完全に英語の国だということなのだ。この国では否が応でも外国人と対話をしなければ生きていけない。外国人とのやり取りを避けてしまうと、レジで買いたい物すら買えなくなってしまう。
いやぁー、間違えや恥をかいたりするのが、怖い。でも、そこに躊躇してしまってはいけない。次に海外に来るときまでには、レジで冗談の一つでも飛ばせるようになってやるんだ。きっと、帰国直前の俺は「帰りたくない、もうちょっといたかった」って思うんだと思う。だったら今のうちから、最大限を楽しまなくっちゃいけないんだな。
それから、5:00まで相方と今日の行き先について話し合った。相方は取りあえず初日には、高いところからニューヨークの街を見下ろしたいと提案してきた。これは名案だ。初日に街全体を眺めて、ニューヨークの全体図を掴もうではないか。帰りにも高いビルに上って、ニューヨークの夕陽とバイバイするっていう計画にして、今日は2番目に高いビルに登ることにする。取りあえず2人で話し合った結果、ラガーディア空港からマンハッタンに向けてM60というバスに乗って、30分ほどかけてハーレムと呼ばれる少し治安の悪いといわれる地区でニューヨーク入りして、降りることに決めた。それがここからマンハッタンに入るための、最短のルートのように思われる。
5:00をまわると、2人は朝食を食べるためにフードコートを立って、そろそろと移動をはじめる。朝食の時間になったのだ。センターターミナルの西ウィングにも別のフードコートがあったので、取りあえず西ウィングに移動してみることにした。んでできたてのパンをずらっと並べた美味しそうなパン屋さんがあったので、俺はチーズと卵を混ぜてハムとパンで包んだパンを注文することに決めた。今回はメニューの名前を看板から類推することをしなかった。「This one.」と指差して注文した。今回は特に注文の上でトラブルはなかった。店員のお姉さんも違和感なく、指定したパンを大きなオーブントースターで温めてくれた。ティーパックの紅茶もプラスして、6.69ドルを支払った。余裕を持って1セントを消化しながらお釣りをきれいにもらえるように済ませた。
パンはチーズと卵との食感がふんわりと絡み合っていて、美味しかった。生地もモチモチしていて歯ごたえがいい。このお店は、よく見ると昨日の夜に食べたピザ屋さんと同じ名前のお店だった。なんだ、フェーマスファミリアはアメリカでは有名な、ピザ屋のチェーン店なのかも知れない。
紅茶をすすり終えたころに、相方がしばらくゆっくりしたいと切り出してきた。相方は時差ボケのようで、イマイチ元気がない。そこで、昨夜の中央のフードコートに戻って相方を休ませて、せっかくなのでその間にしばらく一人で空港内を散策することにした。ぶらぶらとセンターターミナルの中を放浪して歩く。もう、一部のお店ではシャッターが上げられ、営業がはじめられているようだ。お土産屋さんでアメリカの物価や土産物の相場を想像してみたり、本屋でどのような本が流行っているのかをチェックして歩いたりなんかをして過ごす。本屋ではSUDOKU(日本発の「数独」)が流行っているようだ。本棚は日本と同じように、すべてのジャンルの書物が、学問やエッセイ、ビジネス書や雑誌、アニメなどと、分類して陳列されていた。ビジネス書のコーナーでは、お金の稼ぎ方や時間の使い方についての本をパラパラとめくってみた。どの本も挿絵が1つもなく、文字列の羅列ばかりの本だ。一見して分かりづらそうで、つまらなそうだ。最後に雑誌コーナーでアメリカの芸能人の顔やスタイルを見てまわる。やはりどんな時代の世の中でも、左右に均整のとれた顔が美男美女と呼ばれるようだ。万国共通のイケメンの定義を少し理解できたような気分で、ふらふらと冷やかした店を後にした。
約束の7:30になったので、相方の突っ伏せるフードコートに戻った。彼は少し休めたようで、頭も少し冴えてきたようだった。しかし、まだ完全に元気ではない。それでも相方はバスに乗ろうと言ったので、2人でM60のバス乗り場まで移動することにした。そして、外のバス停にて30分ほどバスを待ちながら、ボーっと過ごした。
バス乗り場の近くには、「支払いは”exact charge(no papers, pennies, half )”」と書いてある柱があった。相方が推測するに、どうやらそれは「25セントを8枚で支払うように」と記してあるようであった。確かに、文法的には「ぴったりの料金(ドルはダメ、1セントもダメ、50セントもダメ)」と読み取れる。しかし、25セントを8枚で支払うような決まりなら、そういう風にちゃんと書けばいい。2人で当惑してじっとしていると、相方は、今度は別の柱に「バスの支払いは現金ならターミナル内で両替できる」と書いてあることに気がついた。そこで、彼の意見が正しいと判断して、その看板の示すターミナルに戻ってみることになった。すると、そこには1ドルか5ドル札を25セントに両替する両替機が立っていたのだ。おお、25セントを8枚払うってのは本当だったんだ!そこで俺たちは1ドルの新札を2枚くずして、25セント硬貨を8枚ずつ入手した。これでバスの支払いができる。
俺は普段からなんとなくで動くことが多いから、必ず英文を読んできちんと意味を理解する癖をつけなくちゃあいけない。もし1人で行動してたら困り果てていただろう。
ひとまず安心してバス停に戻って、柱をもう一度よく読み返してみる。すると先ほどの看板の下に、「メトロカードであればターミナル内のニューススタンドで手に入る」と書いてあった。
メトロカードとは、ニューヨーク市内の地下鉄やバスで使える共通のカードのことだ。それは事前に読んでいたガイドブックによると76ドルで買えて、1ヵ月間マンハッタン市内の地下鉄とバスを乗り放題できるという、旅行者にとって大変お得なカードなのだ。
俺らは元々そのカードを買う予定だったので、再びターミナル内に戻って、そのニューススタンドとやらを探して歩くことにした。案内図を駆使して、行ったり来たりを繰り返して、やっとのことで目的のスタンドにたどり着くことができた。そこでスタンドのおじさんに、カードについて話しかけてみた。すると、「ここには30日用のカードは置いていない」とあっさりと断られてしまう。なので、ここでは必然的に、メトロカードは購入しないことになった。
結局、なんだかんだで、当初の話し合いでは7:30に出発するはずだったはずのバスが、1時間を費やして8:30に乗るハメになってしまった。今日は早めの出発を予定していたので、助かった。これからも、何が起こるか分からないから、早めの行動を大事にしよう。
やっとのことで現れたM66のバスに乗り込んで、さも乗り慣れたベテランです風な表情をして、前の人に倣って25セントを8枚、バス車内の機械に投入して、バスに乗り込んだ。ガイドブックによると、ニューヨークの市内のバスは、一律2ドルでどこまででも乗れる決まりになっている。乗客は前のドアから乗車して、運賃を先払いする。そして、降車は後ろのドアからするという仕組みであった。また、バスの前後のドアの間は、優先席だ。そいこらを避けて座るとよい。
市内に向かうバスは、車窓に外国の町並みを映して走った。ここは確実にアメリカだ。ここに広がるのは、日本にはない海外の風景だ。そこでは道路も草木も、はたまた車や人物までもが日本とは違う歴史を物語っていた。今まで行ったことのある海外でたとえると、バリ島やジャカルタというよりは、乾燥して熱射の強い、オーストラリアに近い街並みだった。車は右側通行で、信号は「止まれ」がオレンジ色の手のひらで、「歩け」が歩く白い人間で表されている。
これらはきっと、ここに住んでいる人にとっては当たり前の光景に違いない。しかし、初めてアメリカにやって来た俺にとっては、それらのどの景色も特別な映り方をする。そんな新鮮な刺激をきっかけに、何か思いつくことがあれば、それはアイデアになりそうだ。率先して多くを見て、多くを感じようと改めて心に誓う。
ニューヨークの乗客は、互いに初めましての関係であっても、気軽に声をかけて日常的な会話を楽しむようだった。さっきから若い外国人たちが、初対面にもかかわらず他愛もない会話に混じりあって楽しんでいる。気を抜いたりボーっとしたりせずに、彼らが何を喋っているのかにこっそり聞き耳を立ててみる。こういう状況でも、せっかくの機会を利用して、リスニングの能力をつけておきたい。んで、理解して使えそうなフレーズがあった場合には率先して盗もうと思う。ここでは本場で使える英語がぎょうさん流れているのだ。今回は「Do you wanna seat?」と席を譲るおばさんがいた。よし、それ、頂き。いつか使ってやるぜー。
途中、道路の向こうに墓地が見えた。天使のオブジェが墓石にくっついていて、なかなかユニークな代物だった。日本にはありそうもない、一度も見たことがないような造りのお墓だった。
ニューヨークは①マンハッタン、②ブルックリン、③クイーンズ、④ブロンクス、⑤スタテンアイランドの5つの区に別れている。ラガーディア空港はクイーンズにあるから、もうここは既にニューヨークなのだ。
ハーレムで無事にバスを降りて、歩き始めてすぐに大きくて広そうな何でも屋さんが交差点の角に現れる。そこは日本にあるロヂャースを1階建てに平べったく伸ばしたような、だだっ広い建物だった。特に当てのない俺らは手始めに、Path markと呼ばれるそのお店に入ってみることにした。
Path markの店内では、陳列された商品のほとんどが日本よりもビッグサイズだった。家族で切って分けるような大きさの食パンが山積みにされているし、洗剤や柔軟剤だって何リットルもボトルに詰めて販売されていた。ここではまるで家族4人分が1単位であるかのように、商品が並べられ売られている。驚いた。絶対にここで一人暮らしをたら、食べ物が余って腐って食べられなくなってしまう。
その分、単位あたりの値段は高くはなかった。たとえば少々大き目のベーグルは、8個入りで200~300円で売られてる。あとは、ケーキや食料品、飲料にいたっては毒々しい着色がとても多い。日本には絶対に置かれていない、赤や青、緑やオレンジ黄色といった、着色バリバリの原色系の飲み物ばかりが置かれている。
店内では周囲に生活しているとおぼしき黒人のおじさんやおばさん方が、商品をカートに入れて大人買いして徘徊していた。大きなかごの中で賑わうたくさんの商品から、周辺の住民の生活を伺い知ることができた。きっと彼らは有り余るような肉で焼き肉をして、飲みきれないほどのコカコーラで腹を満たすのだろう。そして、今日のような日曜日に一週間分の食品や生活用品を大量に購入するのだ。んで、残りの一週間を、それらを中心に過ごすつもりなんだろう。レジにも相変わらず列ができていた。俺たちは結局何も買わなかったけど、充分にインパクトのある大型のスーパーだった。このお店ではレジをセルフサービスで通して払うシステムも導入されていたようだった。そちらも4、5人の買い物客が1台のレジに並んでいたようだ。
外に出て125St.をまっすぐ歩いていると、交差点の角には必ずゴミ箱が設置されていることに気がついた。全てのゴミ箱には、「ポイ捨ては100ドルの罰金」と記されている。ゴミを捨てるだけで1万円なんて、なんとも高い罰金だろう。しかし、街全体は明らかに汚れていて、汚い。そこらじゅうにガムのついた跡やら、ちり紙、空き缶などのポイ捨てが散在していて、それこそ何日か前に捨てられたんだろうっていうゴミまでもが散見された。そのため、歩いていると時折、悪臭が鼻をツンとする。通りの隅に座り込んだ浮浪者のような方々から、日本でも漂う浮浪者特有の臭いが放たれていることもあった。また、125St.と書かれた赤色のジャンバーを着た職員のようなおじさんは、箒とちりとりを持って、通りの掃除に専念していた。しかし、街は依然として、臭く、汚い。
到着が日曜日の9:00近くだったこともあって、まだ人通りは少ないようだ。衣料などを扱う店のほとんどは、シャッターを開けていない。通りでは日差しと外気があたり、気温が高いものの歩くまで汗が出てこない。ここニューヨークは日本よりも乾燥しているのだ。
そうそう。2人で並んで歩いていたら、黒人のおじいさんに不意に話しかけられたことがあった。そのとき、「君はブルースリーに似ている」といわれた。俺のことかな?指をさすそのおじさんの指先が溶けているように見えたのは気のせいだったと信じたい。
15分ほど歩いたところで、情報誌にも載っていた、アポロシアターという建物が視界に入った。ガイドによると、アポロシアターはハーレムを代表する有名な建物で、HIP HOPの登竜門的な場所のようだ。今回は早朝のためまだシャッターは閉ざされていたんだけれど、そこでパシャリと1枚だけ写真を撮った。
ハーレムには教会が多いといわれている。日曜日の早朝は礼拝やゴスペルの時間なので、もしかしたら教会からゴスペルが流れてくるかも、と期待してやってきた。けれど、歩いてきた限りでは教会も歌声ひとつもなさそうだ。こんな道沿いでは礼拝はやっていないのだろうか。ともあれ、街が閑散としているのは、休日の早朝だからに違いない。
ここ、マンハッタンの市内は、碁盤の目のようにきれいに区画整備がされている。電車は主に市内を縦に走り、バスは横に走っている。1駅は電車で1~2分で、縦横に1ブロック歩くには3~5分ほどかかるらしい。駅は、区画の至るところに設置されていて、どの場所からでも近くに地下鉄があるように設計してあるらしく、移動がラクにできるように敷設されているようだ。電車もバスも、乗り放題のメトロカードがあれば、期間限定でどんな区間でも無料で乗れるが、メトロカードがなくても、2ドルで好きな区間を乗ることができる。
ブルーラインの125St.駅に辿り着いた。ここで、この地に来てはじめての地下鉄の駅に降り立つ。
地下鉄ではどの駅でも、タッチパネルの券売機でメトロカードが購入できるようになっているらしい。今日がはじめての地下鉄なので、先に30日乗り放題のメトロカードを買うために、券売機にタッチする。「日本語」ボタンを押すと日本語での説明が出る。ラッキー。どうやらカードは値上がりしたらしかった。1ヵ月の乗り放題はガイドに記述されていた76ドルではなく、81ドルだった。予定通りブルーラインのダウンタウンの電車に乗って、59St.駅に向けて発車する。ホームに入る方法は、乗るときにカードを通して一人ひとりがゲートを通る仕組みになっていた。一律の料金のためか、降りるときにはそのまま出口のゲートから出られて、カードを通す必要はなかった。
地下鉄の車内は少し薄暗かった。走るのは地下なので、当然『世界の車窓から』みたいな光景があるわけではない。ホームも炭鉱の中にいるかのようなオイルの臭いで、車内も薄汚く感じられた。
まずはホテルに行こうということで、ブルーラインに乗ること20分ほどで目的の59St.駅に到着した。59St.駅は、別名コロンバスサークル駅と言われていた。ここは地球儀のモニュメントで有名な、セントラルパークの角にある駅だ。駅から出た地上の59St.から63St.までの通りをブロードウェイに沿って北上していく。語学学校のLSI指定のホテルWest Side YMCAは、63St.のWest5番地にあるのだ。そこまでの道のりは、道路が碁盤の目のようになっていたお陰で迷うことはなかった。すんなりとセントラルパーク西側の、West Side YMCAに辿り着くことができた。
時刻は9:30を回っていた。ホテルに入り、すぐに受付のフロントで、黒人の男性に英語で「スーツケースが2つラガーディア空港から届いていないか」と聞いた。けれども、英語が上手に伝わらなかったようで、あまり相手にしてもらえなかった。即座に、「スーツケースを預けるなら1個に付き1ドルだよ」と回答された。でも、もし荷物が届いていたんだったら、不正確な英語でもそれらしい反応を示したであろう。きっと彼に思い当たる様子が見られなかったのは、荷物がまだ届いていなかったからに違いない。
朝からスーツケースがないことに萎えていた俺らは、ホテルから表に出て、日曜日で賑わうセントラルパークの公園内でベンチに座っていたのだった。そして、市民のするジョギングや野球を見ながら、2人で他愛のない会話をしてしばらく気を紛らわせた。早々とホテルにチェックインして少し横になろうかって思ったんだけど、さっきフロントでチェックインさせてくれって頼んだときに、14:30以降じゃないと受け付けないと断られてしまう。
相方は公園でも無線LANが使えると教えてくれた。なので、取りあえず着いた報告を日本にしようとパソコンを付けてみた。すると起動して直ぐに電池が切れる。あー、もう何もできない。ツイてないなぁー。携帯も電池切れ、パソコンも電池切れ、充電器もない。相方も俺もお金しか持っていない。もしもスーツケースが返ってこなかったら、この異国の地で、どうやって1ヵ月間を暮らせって言うんだろうか。。。
まぁきっと今ホテルに荷物が届いていないのは、昨日の夜にスーツケースがラガーディア空港に届いたとしても、朝一で宅配便に出してもこんなに早くに届くはずないからだろう。とにかく今は荷物を待つしかないない。ホテルに届くのは今日の昼か夕方ごろになるんかもしれないもんなぁ…。
10:30になりお腹も空いたので、相方が行きたいと言ったチャイナタウン付近の日系のラーメン屋、モモフクヌードルバーに赴くことに決めた。取りあえず気を紛らわそう。何て言ったって、ここはアメリカなのだ。
ラーメン屋の最寄りのアスタープレイス駅にはグリーンラインが通っている。アスタープレイス駅は、地下鉄の路線図によると、ここからしばらく東に歩いて、グリーンラインの59St.駅でダウンタウンの電車に乗れば着けるらしかった。場所を確認して、重い腰をベンチから起こす。そして、日本人2人はリュック一つでセントラルパークを東に突っ切って、グリーンラインの59St.駅に向かっていくのだ。うん、皮肉にも、身軽だ。
セントラルパークは、とにかくやたらと広い公園だった。ここでは池や広場やグランドが、園内の随所に点在していた。
ここには動物園や美術館、そして遊園地までもが入っているらしい。見渡す限り果てしなく、賑やかな自然が園内に広がっている。
ちらほらと人が見られるセントラルパークを突っ切って、しばらく59St.を東に突き進む。
そして出発から15分が経ったころに、グリーンラインの59St.駅に到着することができた。
予定通りにダウンタウンの列車に乗って、アスタープレイス駅で降りる。そして地図で方向と距離感を確認しながら、モモフクヌードルバーに向かって歩いた。
電車はさっきよりもさらに薄暗く印象が悪い。電車によって通る方面が違うから、この列車の通る地域は、少し治安の悪い地域なのかもしれない。そうそう、地下鉄の路線図を見て分かるように、地下鉄の種類は、赤がレッドライン、青がブルーライン、緑がグリーンラインってな感じで識別されている。ダウンタウンは南に行く縦の移動を示していて、南に行くほどSt.の数字が小さくなっていく。反対にアップタウンの方面はSt.の数字が大きくなっていく方向だ。いわゆる北上に進む電車を意味する言葉なんだ!ニューヨークの鉄道は分かりやすいっていうのは、こういうことなんだと思う。
ガイドブックによると、アスタープレイスは日本人街のある街らしかった。日曜日の朝の閑散とした街並みを、2人の日本人が並列して歩く。そして、駅から15分ぐらい歩いたところに、目的のラーメン屋さんに辿り着いた。店は改装されたばかりのようで、店内を日本風に演出しているようだ。木が素材として用いられていて、ヒノキのような香りが、テーブルや椅子やカウンターから漂ってくるのだった。
俺らはカウンターではなく、木板のテーブルのある方に座ることにした。ラーメンは16ドルで日本円にして1,800円と高かった。けれども、味は今までに食べた中では2番目ぐらいの、それでも俺の中では1、2を決めかねるほどの、僅差で美味しい絶妙なラーメンだった。こんなに美味しいラーメンに、こんなところで、しかもいきなり初日に出逢えるなんて思ってもみなかった。鶏がらのダシに角煮の肉汁が旨い。店員さんは常にコップを気にかけてくれていた。そしてグラスの水が少なくなると、しょっちゅうオカワリを注ぎに着てくれる。日本語が通じないことをいいことに、きっとチップをたかってるんだぜ、なんて相方と冗談を言っていた。
黙々とラーメンをすすって満腹になると、「ところでラーメン屋でのチップっていくらなんだろう」という話になる。ガイドブックでそこそこに確認しながら、ひっそりと相方と密談をおこなう。店員さんには水をいっぱい注いでくれたし、俺らは美味いラーメンを食べれたことに満足だったので、キリよく20ドル札を出すことに決めた。そのため、このラーメンは日本円にして2200円のラーメンとなった。
会計が済んで店を出ると、相方がショックを受けているような表情をしていた。彼はレジで代金を支払った際に、100ドルという比較的大きなお札を払ったことで、店員に嫌な顔をされたらしかった。さらに、細かいチップが出せなかったので、支払いの後にお釣りの中から3ドルを渡したという。すると、店員は会計が終わった後だからと、渋い顔をして受け取ったんだという。実に理不尽な話だ。わざわざチップをあげたのに嫌な顔をされるなんて…。
アメリカみたいなカード社会では、お店側がそこまで現金を用意しておらず、大きなお釣りを用意してるとは限らないようだ。だから大きなお札を出すのは禁物なんらしい。100ドルは1万円なのに、それでも大きなお札の扱いなのか。1ドル札はチップとして配るのに必要。面倒臭いけれども、常に持っておけるようにするために、なるべくお釣りで1ドル札をもらえるように計算して、お金を支払わなくちゃいけないんだねぇ。
その後、今回語学研修を受ける学校で、明日から通うLSIの校舎を下見しようということで、アスタープレイス駅から同じグリーンラインで、LSIのある通りと同じ名前のキャナルSt.駅まで下っていくことにした。
そして、ノリータやソーホーなどのアメ横みたいなお店の並びを、ここまで南下しながらニューヨークの東側に来た分、一気に西に向かって歩いた。通りには偽物っぽいブランド屋さん、Tシャツやお土産、靴などを扱う小店が連なっていた。シャボン玉を発射するガンの実演販売などで賑わう歩道を、荷物をすられないようにと気をつけながら早歩きでせっせと通り過ぎる。人ごみもそこそこにある。道幅の広いキャナルSt.の交通量も多く、ひっきりなしに車が往来していた。通りを歩いて感じられる日本との違いは、歩くとすぐに汗ばんでしまいそうな、じめじめではないもののじりじりとした刺すような日差しと、排気ガスの息苦しい空気だ。
レッドラインのキャナルSt.駅まで西に歩くと、交差点のすぐ近くにLSIの校舎があった。LSIはメトロポリタン大学のビルの校舎の中にある学校のようだ。今回は中には入らなかったけれど、今日のLSIの下見は大成功だ。これで明日に余裕ができた。思い出した、あとはスーツケースが返ってくるだけかぁ。。。
13:00にキャナルSt.からレッドラインに乗って、59St.駅に帰った。北上なのでアップタウンだ。電車で片道20分ぐらいかな。学校も宿舎も立地がいい。地図を参照するに、どちらもマンハッタンの中心にあって、どこに行くにも移動がとっても便利そうなところだ。
13:30になり、再びフロントに行ってみることにした。今度は「Do you have a suitcase from LaGuardia Airport?」と尋ねてみた。するとフロントの黒人のお兄さんは奥に少し引っ込んで、荷物があるかを確認する様子を見せて、すぐに戻ってきたのだった。「俺の英語、通じたんだ!」…、けど俺らのスーツケースは届いてはいなかった。参った。チェックインについては、再度お願いしてみても、規定の14:30まではまださせてくれないとの回答だった。疲れたから横になりたいのによぉ。。。
仕方がないので、これからどうしようかとただ宿舎の正面玄関で突っ立って2人で話をしていた。相方はこれからラガーディア空港に荷物の状況を聞きに行くと切り出した。しかし俺はそれに反対した。そんなことをしても埒が明かない。やっぱりこんな異国では、今は荷物を信じて待つのが賢明だろう。相方は空港まで無料で行けることと時間があまりかからないことを理由に、1人でも行ってみると主張した。とその瞬間に、相方の後方に1台のバンが停車した。
そのときだ。相方越しの俺の視界に、相方のスーツケースが映った。見ると後部座席に俺達2人のスーツケースが積まれているではないでしょうか!バンからは白人のお兄さんと黒人のお姉さんが降りてきて、2人で俺達の2つのスーツケースを降ろし始めたのだった。そしてゴロゴロと転がしながら、ホテルの玄関にいる俺らのところにやってきたのだ。俺はその配達員だか空港の人だかは分からない男性に、にっこりと声をかけることにした。
「It’s mine.」「じゃああれは?」「And that one is my friend’s」。すると、「What’s your friend’s name?」と驚かれた。相方の名前を答える。「じゃぁあなたはツルモ…」「Yeah, I’m Tsurumoto.」。
指定された箇所にサインしながら、体全体がじわ~っと熱くなるのを全身で感じた。なんとか英語が通じた。すっげー嬉しい。すっげー、すっげー、すっげー嬉しい。いやぁ、これは現地では幼児でもできる簡単なやりとりに違いない。でもこの瞬間は、通じたことにものすっごく嬉しかったんだ。この会話では、相手の言葉まで一字一句正しく理解できていて、互いに違和感なく意思の疎通ができたんだ。この嬉しさは、ずっと忘れない。
そして今、そう、たった今だよ、待ちに待った荷物が帰ってきたんだ!
ホッとしたー。携帯を充電したい。パソコンも充電したい。日本にメールをしたい。伸びたヒゲは鬱陶しいから剃りたい。歯は磨きたい。横になりたい。そう、なによりお風呂に入りたい…。
YMCAのチェックインは14:30だと再三言われていたので、ロビーのソファーに腰掛けて、返ってきたスーツケースをナデナデしながら45分ほど時を待った。そして2人、フロントに並んだ。
14:25から列に並び始めたものの、列はあまり消化されず、30分間待たされた。フロントは黒人のお兄さんが2人での対応だった。しかし、列には常に15人ぐらいの人が列をなしている。これは地獄だ。彼らはひどく大変そうだった。本当に彼らは忙しく働いている。途中、外国人同士で「割り込むな」や「私が先よ」などといった口論まで耳にした。それほどに列の消化は悪かったのだ。
待ちに待ってチェックインの用紙を書き込み提出すると、今度はパソコンの調子が悪いといわれ、さらに15分待たされることになった。フロントの2人は明らかに疲れた表情を見せて、時折わずらわしさを直に表情に出した。そこには日本人のような丁寧な接客はなかった。嫌な顔をひとつも見せない、日本のサービス業はやっぱり、懇切丁寧で素晴らしいんだな。
並びはじめてから1時間が経った。15:30になって、やっとのことで宿泊の手続きが完了した。部屋番号は9階の917号室だ。
フロントからエレベーターで昇って、しばらく歩いたところに我らが917号室を発見した。いやぁ、狭い。部屋はベッドを3個並べたぐらいの大きさだった。2.5m×4mぐらいかな。タタミでいうと6畳(1畳は1.8m×0.9m)ぐらい。そこには2段ベッドがあって、机と椅子が1つずつ置かれていて、鏡が1つ、クローゼットが1つ、空調機器が1つ、天井の電気が1つだけがある。テレビは天井から釣り下げられている。事前にネットで下見と口コミの調査はしていたものの、身長184cmの巨人2体にとってみれば、ここはあまりに狭い寝床だ。俺は2段ベッドの上を選んだ。上は閉塞感こそないものの、ベッドには柵などの囲いがないので、下手に寝返りを打つとそのまま床のタイルに落下してしまいそうだ。
すぐにパソコンの電源を入れて、彼女、LSIの日本支社の岡芹さん、母親の3人に、「無事に到着した」とメールを送った。今は落ち着いては来たものの、依然として先が見えず気が抜けない状況だったので、彼らには取り急ぎのメールとなってしまった。
やっとベッドで横になれるー。とりあえずまず、久しぶりのスーツケースを広げて讃えよう。さーて、何から取り出してやろうかなっ♪
今日は一日、寝不足だった上に結構な距離を移動してきた。相方は時差ボケで疲れていたためだろう、そのままベッドに横たわり、すぐに眠りについてしまった。俺は汚れた自分に我慢ができなかったので、寝る前にお風呂に入ることに。
お風呂は部屋の中にはなく、風呂というより共同のシャワー室が、部屋の外の共同トイレと同じ空間に納められていた。この部屋はトイレに入って右側の空間にトイレの個室が3室、左側に流し台が4台とシャワールームが3つという構成だった。そしてシャワールームにはシャワーが1つずつ固定されていて、1m四方の床の敷地で、カーテンを閉めて浴びれる仕組みになっていた。とにかくここは終始アンモニア臭のする空間だった。そこで17:00から1時間ぐらいかけて、ゆったりと2日分の汚れと疲れを流した。
ドライヤーを済ませると18:00になっていた。そこで、すやすやと眠る相方を尻目に、パジャマ代わりのジャージを着て、一人で近くの24時間営業のスーパーに買い物に出かけてみることにした。
ホテルの近くに見つけたデュアンリード(duane reade)は、スーパーではなくドラッグストアだった。ニューヨークではドラックストアが日本のコンビニのような役割を果たしているようだ。ニューヨークのドラッグストアでは、薬はもちろんのこと、コンビニのような食料品や、生活用品が取り揃えられている。そこでアップルとオレンジ味のトロピカーナを各1.69ドルと、1ガロン(約3リットル)の飲料水1.76ドル、そしてチョコレート8.96ドルを買ってみることにした。お釣りを計算して、1セントを消化して賢く支払うことができた。
ホテルに帰り、パソコンを開いて19:00までの間に、今日1日の行動を簡単に記録しておいた。眠くて仕方がなかったので、大まかな流れのみを記述して寝ることに決めた。
とにかく英語が伝わりはじめた。そして見ず知らずの外国人と向き合うことにも怖気づかなくなってきた気がする。英語が通じると楽しい。英語が通じたって実感できたときがイチバン嬉しい。通じるか通じないかのスリルも楽しい。あとは学校が始まってからの友達とのコミュニケーションかなぁ~。