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ものづくりで、バリ島の伝統産業を守っていく。

目次

人材企業を経て家具ブランドを創業

Q:現在のお仕事は?

 家具ブランドでの事業部長職を経て、代表取締役の立場で家具ブランドを立ち上げました。ブランドのオーナー、デザイナー、販売責任者、ECサイト運営など、基本的に全てのことを自分で担当しています。
 製造についてはインドネシアの協力工場、バリ島のクラフト工場に依頼し、ディレクションを行なっています。2016年の6月に販売を予定しているので、現在はそれに向けてプロトタイプを作っている状態ですね。
 元々、人材関係の企業に勤めていました。家具業にチャレンジするために退職し、家具のベンチャーに入社して、今の家具ブランドを立ち上げ、自分の会社として独立、という感じです。今でもその会社とは共同経営のような形でやっていて、製造や輸送の部分をお願いしている状態ですね。
 人材会社で頑張ってきて、「自分はこの先どうしたのだろう?」と考えたとき、大学時代から思い続けてきたバリ島関係のビジネスについて改めて考えてみたんです。その後、やりたい仕事について周りに言い始めたんですね。そうしたら、色んな人が集まってきてくれて。こんなに協力してくれる人がいるなら、やらないわけにいかないという気持ちになりました。2~3年後に…なんて言ってられないなと。周りの人たちの手助けもあり人材会社を辞めて家具ベンチャーに入社しました。次のステップに進むことができたのは、周りの人たちのおかげです。

インドネシアがビジネスの拠点

 家具自体はインドネシアで作っています。インドネシアというとリゾート地のバリ島が有名ですよね。現地の人が手作業で作った家具や雑貨などが好きな方も多いと思います。ブランドを育てることが、バリ島の産業や雇用の面で手助けになれば、と思って立ち上げました。
 よく、なぜインドネシアなのかと聞かれるのですが、私の父が5年ほどインドネシアに単身赴任していたのがきっかけですね。家族旅行でバリ島に行くことも多かったんです。 
 私たち家族は国際線で、父は国内線でバリ島に現地集合という家族旅行でした。そんな旅行を繰り返しているうちに、現地で友達ができてきたんですね。
 バリ島の人は島の言葉を使っているのですが、公用語はインドネシア語。そこにプラスして英語と日本語ができる人が多いんです。バリ島の過去の観光ブームが関係しているようなのですが、日本語を話せる人が多いんですよ。バリ島には親日の方も多いんです。
 バリ島の人ってとても温厚なんですよね。もうこれに関しては文化と言ってもいいくらいのおおらかさがあって。だから日本人も過ごしやすいんですよね。
 そのせいか、日本人も向こうに移り住んでいたり、向こうでビジネスをしている人も多いです。現地の人の人柄のおかけで、日本人でも向こうで良い人間関係が築ける。だからビジネスもしやすいのかもしれません。

Q:そのなかでなぜ、家具のビジネスを?

 まず、ただ単に雇用を増やしたいからやるというのではなく、私自身がものづくりに対して愛情を持っているというか大好きなんです。手仕事、人が手作業で作っている物だからこその良さがある、という所がすごく好きなんです。もっと言うと、それを作る技術を守っていくことに興味があって。
 例えば、ちょっとイケてない商品があったとしても、その技術を守りながらもっと良い物が作れれば、ロットが稼げて、雇用が守られて、産業も守られる。そのサイクル自体に興味があるんですね。そのサイクルがしっかりできていないと雇用が守れない。最初に「雇用」と言いましたが、実はこういった思いがあるんです。

日本の工芸品の良さを伝えたい

 インドネシアの家具ビジネスの他に、日本の伝統工芸品に関するビジネスも行なっています。
 こちらも、まだ改良の余地のある製品や、放置されっぱなしのウェブページなどで損をしていて、製品本来の良さや売れ行きが落ちている工芸品があるんです。この現状について思うことは「守るべきものは守りつつ、変えるべきものは変えていく」ということ。
 例えば、手を加えたいと思っていても、予算がないからできないという人がいたら、少ない予算からでも成果報酬型などの形式でサポートしていくことができます。そこからリブランディングなどもしていきたいと思っているんです。
 よく流行りものと伝統工芸品をコラボレーションさせたりしている企業もあったりしますが、それとはちょっと違うことをしたいと思っています。
 一時的に流行して終わり、ということにはしたくないんです。バリ島の件にもつながりますが、あくまでもいま作っているものや技術をそのまま守りつつ、少し方向性を変えたりして長く愛されるものにしていく、というやり方を大切にしたいんです。
 全く新しいものを作り出すというよりは、歴史のある技術を持っている人の力を最大限に引き出すお手伝いができたらと思っています。
 私自身、ものづくりをしている人達に対して尊敬の念があるんです。
 賛同してくれる方と同じ高さの目線で、同じ方向を向いて、一緒にチャレンジしていきたいと思っています。一緒にものづくりをしていきたいということですね。

Q:活動拠点をプロハにしたきっかけは?

 2016年の1月に入ったのですが、梶さんが学生時代からの友人で、それとは別に知人の紹介で弦本さんとも知り合いました。
 その後、弦本さんに家具ブランドの話や日本の伝統工芸の話をした時があったのですが、すごく共感してくれたんです。ぜひプロハを拠点にして、僕も一緒にやりたいと言ってくれて。
 プロハには色々な職種の方がたくさんいます。ただ単に良い友達の集まりではないんですね。実際に仕事のパートナーになって、一緒に仕事を作って、盛り上げていける人がいるということは私にとってとても大事なことなんです。24時間、いつでも周りに相談できる体制がある。トップとトップが集まっているからこそ、新しいことをすぐに始められる。知らない人がたくさん通っているシェアオフィスにはない所が、プロハにはあるんですよね。
 こういったことも含めて、私はあえてプロハを選びました。

家具事業に生涯をかけて挑戦

Q:今後の目標は?

 家具ブランドの事業内容そのものが上手くいくことですね。生涯をかけて実現しなければいけないものですね。雇用が生まれたら終わり、技術を守れれば終わり、というものではないんです。広めていったり、育てていったりという所までしていかなければならない、となるとステップはどこまでも続いていく。それは達成するものではなくてずっと続いていくものだと思うんですよね。
 そうなると、私の生涯では足りないかもしれない。それなら、後継者を作ろう、という事にもつながっていくのかもしれません。
 みんなに愛されるブランドになれば、私の目指すサイクルにも繋がっていきます。
 まずは日本からですが、たくさんの人から愛されるブランドにしていきたいですね。

弦本 卓也

1987年、埼玉県生まれ。大学卒業後、大手広告会社「リクルート」にて不動産メディア「スーモ」(SUUMO)の運営に従事。新卒で入社して、スーモのメディアづくりを7年、その後にエンジニア組織の組織づくりを4年行う。 また、リクルート社内の部活動制度にて「大家部」を立ち上げ部長を務める。不動産投資に関する情報交換や物件見学のワークショップなどを行う。 入社2年目に新築一戸建ての広告を取り扱う部署に異動したことをきっかけに、「いい企画を作るためには、まずは自分で経験したい」という想いから個人で新築一戸建てを購入。その翌年には売却分野を担当したことをきっかけに売却も経験。マンションの売買なども行い、11年間で11回の引っ越しを経験。 「新しい住まいや暮らしを自ら探究したい」という気持ちで購入した東京都千代田区の神保町の中古ビル「弦本ビル」は、コワーキングスペース、シェアオフィス、シェアハウス、飲食店が入居する複合ビルとなっており、20代を中心とした若手社会人や学生のやりたいことを実現する場所として注目を集めている。3年間で延べ1万人以上の来場者を記録し、家賃年収1,400万円を達成しながら満室経営を続けている。 お金面とビジョン面の両立を大切にしており、モットーは「一人ひとりの可能性をもっと世の中に」。会社員を続ける傍ら、学生時代に起業した会社とあわせて株式会社を3社創業。うち1社は売却し現在は2社を経営している。他にもエンジェル投資家として若手実業家の支援を手がける一面も。 日経新聞や不動産業界紙、書籍や雑誌、テレビなどでも多数の注目を集めておりセミナー講師なども行う。宅地建物取引士を保有。

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弦本 卓也

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