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プロハ流DIYのススメ

え、これ全部自分たちで工事したんですか。そんな声が、初めてプロハを訪れた人から漏れるのも珍しくなくなった。黒塗りの壁、吹き抜けの天井、無骨だがどこかスタイリッシュなブロックの棚。空間デザイナーである阿部光葉の想像を具体化した空間は、ビルの外観からは想像できない雰囲気を作り上げている。さらに驚くべきは、その工事をわずか7日間で進めてしまったということだ。業者を使わず、コミュニティの力だけで作りあげられた「僕たちの秘密基地」の作り方は、これから空間作りを志すすべての人にとってヒントに満ちている。今回はDIYプロジェクトの中心を担った3人に、その工夫と苦悩について語ってもらった。

目次

テーマその❶ DIYを始めた偶然のきっかけ

プロハが変わる機運そのままに

 元々のプロハは壁は白かったしカーテンは天井に貼られていて、今とはかなり雰囲気が違いますね。「清潔感にも欠けて、水廻りも汚い」と怒られたことを思い出します。なので、DIYをした経緯としては、なかなかみんなが長時間いたいと思える、いわば「プロハではない」というところから始まっていて、もう一度その場を盛り上げるためにおしゃれでみんなが自慢できるような空間にしていきたいと思ったんです。また、天井梁のロックウールがアスベストかどうかわからない問題を片づけたいのもあり、11月から開始して2週間で完成させたいなと、ちゃかに誰かいい人がいないか聞いたところから始まったのを憶えています。

高柳 プロハの最初、2015年の4月からプロハが始まって、その時に上の白いカーテンを催したものがあんまり好きではなくて、おしゃれじゃないし若干ほこりっぽいし風邪気味というか咳がちになったりのどが痛くなったりとか、何か身体的にも精神的にもあんまり好きではない空間でした(苦笑)。だから何か変えたいというのはうっすらとあって。そこで、梶さんがここを新しくDIYしたいという話を聞いた時にそれやりましょう、面白いと。まぁ変えたいという思いはうっすらあったけど、一番の動機は面白いって思ったのと、あとはパッと光葉を思い出して。光葉だったらなんか面白い良い空間を作ってくれるだろうなという予感がありました。別段光葉が作ったものを見たことがあるわけではないけど、たぶんセンスがいい子だなっていうのはあったし、その部分と、プロハの誰かがやりたいを形にしていくっていう理念とすごくマッチしてるなっていうのがあって、だから専門家に頼むというよりは何かやりたいなって思ってる子の力というか、一つの作品としてもなったらいいなと思うところもあったし。あとはみんなを巻き込んでDIYをしていくってところのわくわく感高揚感っていうのが一番先に来て、やってしまおうと思って光葉に電話したのが始まりだったかなと。

光葉 突然電話かかってきて、私を思い出してくれたのをびっくりするくらい1、2回飲み会で会ったくらいのちゃかさんから急に電話かかってきて(笑)、家も神保町から近かったのでとりあえず行ったほうが話も早いということで向かいました。電話がかかってきたのが午前中で。午後には神保町に行って、みたいなスピード感でことが始まりましたね。最初全体的に内装が白くてこれはこれで良いと思ったんです。明るくて手作り感もあって、メンズだけにしては頑張ってる感じもあった(笑)けど、ちょろちょろと気になるところはあって、今回学生である私に頼んでくれてみんなでやろうということで声かけて頂いたのはすごい良い経験になりましたね。

「賭け」だったアスベスト調査

 記憶が正しければ、光葉と会ったのって10月の頭くらいだったかと思うんですが、確かそこから光葉も結構忙しくなるみたいな話があって。こっちも天井がアスベストなのかどうかを片づけないと、天井を吹き抜けにできるかできないかで全然雰囲気が変わってくるし、布状態から脱却できないみたいなところがあったので、まずはそれを調べるという工程があったのでちょうどよかった。白い天井も自ら製作したというところもあって、あれは嫌いじゃないし、今までの形を作ってきたという自負もあったからなかなかアスベストについて動けてくれなかったってところがあったんですけど、とにかくやんないとにっちもさっちもいかないというところがあり、区役所でアスベストの調査依頼を出しました。調査採取からようやく3週間で結果がきて、アスベストではなかったと。もし、調査の結果アスベストだったら、天井を施工してふさぎ直して運営するしかなかったという賭けでした。プロハの経営判断的に継続するか撤退するか議論をしていたタイミングでもあったので、そこで白黒つけるのは悪くない話かなと思って。賭けでしたね。まあ、勝ったからよかった(笑)。で、賭けに勝って実際にやるということになって、10月30日が全体のキックオフでしたね。この10月にアスベスト審査依頼を出してから11月までの間、特に俺らで何かしたかっていうとそんなに記憶がないんですが、何したかって憶えてる?

高柳 始めようと3人で決意してからアスベストの審査が入るまでの間の3週間は、業者に頼んでちゃんとした形で審査してたんですけど、もしこれが本当にアスベストだった場合の最悪のリスクヘッジを僕は想定していて、その間にやっていたのは親父とかあと友達の建築関係の友達とかに電話をひたすらしまくって。「もしアスベストだったらどうしたらいい?」という話とか、本当にアスベストかってところの安心感も得たかったから写真撮ってチェックしてもらったりとか、そこらへんの穴埋めをメインにやってた感じですかね。あとは工程ですね、短期間で決着するためにどのような工程でやったらいいのかをぼんやりとイメージ、イメトレしながら、ひたすら目をつぶりながら待ってましたって感じです。

光葉 この間に、利用者の人に簡単なアンケートを取ってもらって、どういうふうにプロハを使っていて、どこを直してほしいとか、どういうものが好きとか、それぞれ要望を聞いてみて。そうするとやっぱり人によって目の付け所や需要も違いましたし。私も最初の印象として、家具や照明をおしゃれにするか否かよりも水廻りとかもうちょっと設備関係をきれいにしないと、一つのシェアオフィスとして回っていかないだろうなっていうのを感じていたので、そっちにお金をかけましょうという感じで話をしていましたね。予算の関係でトイレはリフォームできなくて、板を載せただけになりましたが、いつかお金持ちになったらあったかい便座になるかもしれない(笑)。
あとぼんやりと色んな人のこういうイメージがいいとか梶さんのかっこいい感じがいいとか。インテリアの写真とかを頂いて色んな物を参考にしながら、なんとなくどういうレイアウトでどこをどうしたら低予算でも良い雰囲気の空間ができるかっていうのを考えてました。

テーマその❷ 設計でこだわったところは?

意図的に全員を「巻き込む」計画

 インターバルを挟み、DIYをやる上で場所が生まれ変わるのと一緒に、コミュニティとしても生まれ変わりたいというのが心の中であって、できる限りメンバーを巻き込んでやりたいっていうのがあったので、「DIYキックオフ」という形でほぼ全員のメンバーに集まってもらって、全員がいつ手伝ってもらえるのか、誰がいつ来られるのかを表に出して、できるだけたくさんの人に手伝ってもらえる環境づくりもやっていました。
コミュニティとしてやってるから、その場所が良くなること、その場所を愛してくれる人が増えるのがすごく大事だなと思ってたんです。みんなで改めて作り直すってことで、キックオフでみんなで作り上げようとスタートを切って始められたのがすごく良かったんじゃないかなと思っています。

光葉 とりあえず最初に図面を、本当に簡単な図面だったんですけど、レイアウトとかだいたいこういう雰囲気っていうのを誰が見てもわかるような絵にかいて皆さんに見せて、イメージをキックオフの時とかに説明したんですけども、最初「男の秘密基地」って感じをイメージしてて、味のある…こぎれいにというよりはみんなでちょっと散らかってようとそれが味って言えちゃうくらいの空間がいいなと思ったんで、もう真っ白だった天井も壁も全部黒でお願いしますって言って塗らして頂いて、壁の黄ばみとかも全部隠れるしそれは良かったかなと思ってますね。
無骨で、とりあえず低予算で簡単にやんなきゃいけなかったのでそれだけを一番最重要項目にしていて、コンクリートブロックとか無骨で安いけど雰囲気が出るようなものを中心に家具など作りましたね。
照明も工事現場で使うあのライトなんですけど、そういうものを面白く取り入れられたらなと思って全体を作りました。

もっとも苦労した天井のペインティング

 このころはジョブライブの業務も忙しい頃でしたが、ほとんどの週末はDIYにつぎ込むという仕事の進まない期間を過ごし、10月末からは毎日、1日目は天井の剥がし、カーテンを取り、アスベスト疑惑の防火ウレタンを粉塵が舞う中で天井からはがすと。もともとあったソファをどかさなかったことは誤算でしたね。黒いソファが真っ白になってしまって(笑)。防火ウレタンを取った後は天井を黒く塗ったんですが、この工程で苦労したことってあった?

高柳 天井はね、まず腰が痛い(笑)元々腰が悪いから結構つらかったね。ずっと頭上を見てるから首も痛くなって、体全体的に節々が痛くなる、たぶん一番ハードだったと思う。僕自身はこの作業があんまり好きじゃなくて、工程的には防火ウレタンをはがして鉄骨とかをきれいにするために雑巾がけをして、ペイントで天井を塗って、乾燥させてっていうものだったんだけど、そこの時期は一番人が来て手伝ってくれて。好き好んで塗ってくれたおかげで想定よりも早く終われたのは助かったところですね。僕はその作業が本当に嫌だったので、ここで手伝ってくれたのは助かりました。

テーマその❸ 課題をどう克服した?

光葉 そもそもDIYでみんなで自力でやりますとは聞いてたんですけど、ここまで本当に全部やるんだと思って(笑)。もう少し大変なところは業者に頼むのかとかそういうところをちょこっと挟んだりするのかなと思ってたんですけど、本当にガチでやるんだと。コアメンバーがいたおかげなんですけど、それ以外にも毎回知らない人がいっぱい来てくれて、運営メンバーの海斗さんとかちゃかさんの顔の広さとか、その人のために面白そうっていって来てくれるような人が周りにいるっていうのが、すごい魅力的な人がこのプロハには集まってるんだなっていうのが身に染みて分かりましたね。

 真新しいスニーカーを履いてきた男の子が、丸一日作業した帰り際にペイントで靴を真っ黒にして帰ったのを見て申し訳ないって気持ちになったことを覚えてるんですが、弦本さんも仲間を呼んでくれたりだとかもして、呼んでくれたけどその人たちのことはノータッチみたいな、呼ぶだけ呼んでスルーみたいなこともかなりありました。だけどその人たちがほんまに頑張ってくれて、みんなマスクなしじゃいてもたってもいられないくらいの粉塵の中、マスクを外しても鼻のところが白くなるみたいな感じだったのに、よく頑張ってできたなと思います。
やっぱり天井が結構苦労して、だから窓際からどんどん天井をはがしつつ壁も徐々に塗りつつ剥がれたところから徐々に天井も塗りつつみたいな感じで、手前から奥のほうに作業工程をずらしていくって感じで完成していったなと覚えてます。
1日目・2日目は天井のものを取り塗りって感じだったんですけど、それを進めながら3日目からは壁塗りが始まっていて、壁塗りは結構楽だったし、やりやすかったからみんな結構楽しくやってくれたんじゃないかなと思ってます。
このあたりは何か現場監督はちゃかがやったってイメージで、全体の仕立ては梶がやって全体設計を光葉がやったってイメージ。現場で大変だったこと憶えてる?

高柳 手伝ってくれてる人たちっていうのはこちらから見てもすごい嬉しかったんだけど、みんなド素人というのは初めから分かっていたので、来てくれたからには楽しんでもらいたいなってところもあったから手伝ってもらう内容を楽しいもので、かつ、簡単でみんなでワイワイできるもののほうがいいなって思ってました。例えばペンキは壁塗るときに下に垂れないように養生をしたりとか、がれきが落ちてきたりするからそういうのを全部掃除して事前にまとめて粉塵舞わないようにしたりとか。そういう細かいところの準備を全部先に済ませておいて、スムーズに作業が進むように指揮をしました。あとは結構危ない道具、慣れてないとケガしちゃう道具もあって、それは先んじて自分でやっちゃって、後は誰でも使えるような簡単な道具でできるようにしてあげたり。細かいところをして目を配りしながらやっていたのが大変でしたね。みんなワイワイしてる中でひとりで作業するって感じでもあったのでつらかったです。まあ楽しかったですけどね。

作業中に直面したそれぞれの葛藤

 この期間、俺と光葉が何度も買い出しに行ってたよね。

光葉 ちゃかさんが現場での重要な裏方をやってくださっていて、そのおかげで出来たんだなと。色んなものを梶さんと一緒に買いに行ってどれが一番安いとかどこが一番安いとか工夫しながらやっていました。ここで私の葛藤を入れると、ちょうどその時大学4年生で卒業論文の佳境だったんですね。それを言い訳にしてすごいご迷惑をかけたなと思うんですけど、本当にデザインの部分だけやってあまり現場に行けずに最低限しかこっちに来てない状態で進めていたんですね。それで現場の方には負担をかけたかなと思います。私も結構ピリピリしていて申し訳なかったんですけども。なので結構面白いというか、例えば移動中の電車の中とか車の中でこれどうなってるのって連絡が来て、その場で図面書いたりとかスマホで写真撮って遠隔的に支持を出したりとかバタバタしつつ。普通はこんな短期間じゃスムーズにいかないと思うんですけど、現場の2人をはじめそのような私の状況でもサポートしていただいて、毎回来るたびにめちゃくちゃ進んでいて驚きって感じでしたね。

 壁塗りの後はキッチンの壁ですね、もともとキッチンの部分と物置の部分に壁があって、で果たしてその壁を取っていいのか取ってはいけないのかみたいなところを迷った挙句、何故か知らないけどノリではがすみたいな(笑)それなりの裏づけは一応あったのですが、結果的にはノリのところでやってしまうと。
その後は本棚とかキッチンとか。光葉と一緒に協力して寸法測りながら計算しながら、カットしてきた木をみんなで塗っていくという作業が始まったわけです。僕の葛藤はこの辺で、現場にも結構いたいけど買い出しも重要で、設計のこととか予算とか責任や決断が伴うから自分が行かなきゃいけないけれども、ずっとホームセンターを行き来する生活に次第にいらだちを感じはじめたんですよ。ホームセンターから大量のブロックとかを運んだりするのもなんかちょっとしんどいなって思いながら、それでピリピリとしたのを光葉に与えてしまっていたら申し訳ないなとすごく思ってました。現場ではちゃかが腰痛くてイライラしてたりとか、だいたい1~2日目くらいは楽しいんだけど4~5日目くらいになってくるとみんなちょっとストレスとか体力的な限界を感じはじめて、ちょっとピリピリしてたような気がします。
だけど、天井が終わったら進むスピードが一気に速くなったから、どんどん変わってく様を見てテンションが改めて上がったなっていうのも憶えてるかな。 本棚とかキッチン棚とか、今までになかったものができてくるとちょっとおしゃれ感とかも見え始めた気がして、このころになってくると昔の「白プロハ」から、今の「黒プロハ」への変化が見え始めてきたので、買い出しから帰ってくると進んでるのを見て、嬉しいけど自分もちょっとやりたかったなという、さみしさを感じていました。この辺りが結構葛藤だったなと。

お披露目会で直感した勢いとまとまり

 緊張状態の限界ってあって、11月15日で本当は完成しきってなかったけど一旦完成ということにし、10月と11月の休日計7日間の「DIYウィークエンド」と題し、色んな人にお手伝いしてもらいながらやり切ったということで、完成のお披露目会をしました。
一部できてないところはあったけど、みんなのやり切り感がすごい心地いいお酒になったなというのと、酔っぱらってついでに誕生日を祝って頂いたりってのもあってすごく幸せな1日だったなと。改めてDIYの工程とかもコミュニティだからこそだったなっていうのを思い出します。
当初思い描いていたように改めてこのプロハを自分たちが作ったっていうその自負だったり愛着だったり仲間感っていうのがコミュニティを強くしたかなと感じていて、本当にDIYをやって大正解だったなと思いました。

高柳 後半の塗りが終わったぐらいから僕すごい頭使ってたんです。どうやったら決まっていた15日という期限までに終わるか、ひたすら考えてやってました。目まぐるしく工程が変わってくることが理由なんですけど、塗りが終わってその次にキッチンの壁破壊があって、そこから棚、本棚の設置とあとキッチン棚作ったりとか、あとは足りない部分を塗ったりだとか。例えば本棚作るために木を塗ったり事前に塗らないといけないだとか違う色があるからこれはこう塗るみたいなところのメンバーへの情報共有と、あと別のことをやってる時に事前に他の子にやってもらったりとかっていう、自分一人では動けないからそこを誰にやってもらうかっていうある意味ちょっとしたリーダーみたいなポジション作ったりとかして。次の日にちゃんと上手い感じにメンバーが来たタイミングで工程が進むように事前に準備をやったりとかもあって、遅くて深夜1時くらいまで作業したこともあったなっていう。

手つかずの所を仕上げ、自慢できるビルに

 予算は最初20万円の予定で、結果的に30万円と少しに落ち着いた。もともとあった家具、クローゼット、大昔からあった黒い丸テーブルだとかそういうものを全て捨てました。なんだかんだ生き残りもいて、黒いソファとか。冷蔵庫とかはそのままで、新しく本棚ができワークデスクができスタンドデスクができソファが2つでき、トイレも革命的なリニューアルが。風呂がつぶされ棚になるという、それから黒板塗料の壁ができて天井との、あのワークイベントスペースの仕切りにプロハのロゴが入りました。コストってところで言うとたった30万円ちょっとで7日間でこれだけの大掛かりなリノベーションをやったっていうのはすごい大きなことだったなと。

光葉 結構よくやった。本当にマンパワーですよね(笑)。

 のべ何人くらい手伝ってくれたんやろ、一日あたりでも10人くらいは絶対出入りしてたから70~80人くらいはきっと。日でまたぐと総動員数みたいなとこで100名弱くらいはあったんじゃないかな。ほんと、色んな人に感謝をしたいと思います。
これからまだちょっと改善をしていきたい、このプロハのリノベで続けてここはまだやりたいなと思ってるポイントがあれば教えて下さい。光葉はどう?

光葉 当初はやりたいことがもっとあったんですけど、予算と時間からもゆっくり物を揃えてる暇がなかったっていうのもあって。とりあえず最低限形にしたっていう感じで、これが今回終わってまだちょこちょこ達成できてない部分があるので、これからはもっとユーザー目線で自分も愛着を持てるような形で変えていけたらなと思っています。とりあえず階段はまだ手付かずで、室内オフィス側とのギャップも大きいし。弦本ビルにお客さんが着いて、最初の印象が「中華料理屋さん」から始まったとしても(笑)、2階にあがるまでのワクワク感というか、あの細長い動線を魅力的なものにしたいなと思って。おしゃれなギャップ感にしたいなと。
これもたぶん次もマンパワーで、丸一日イベント化してやりたいなと。これからたぶん人も増えていくと思うので、プロハも人気になってきて、その時に新しいきっかけとして階段イベントを一度やりたいなと。
あと窓際、窓際でもう少しこのビル全体として発信したいって思ってて、すごい立地なんですけど周りがオフィスで結構閉じてるんですけど、平日お昼とか結構人通りますよね。将来ユーザーになりそうな人もいっぱい周りにいると思うんですけど、イマイチここは何なのか知らない人が多いと思うんで、もうちょっと入り口やこういう大きな窓からを中心に何かデザインの工夫で、「何だろうここは?変な面白い場所があるな!」っていうのが通りがかる人にわかるような仕掛け。それをこれから作っていきたいなと思ってますね。

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ABOUT US
弦本 卓也
1987年、埼玉県生まれ。大学卒業後、大手広告会社「リクルート」にて不動産メディア「スーモ」(SUUMO)の運営に従事。新卒で入社して、スーモのメディアづくりを7年、その後にエンジニア組織の組織づくりを4年行う。 また、リクルート社内の部活動制度にて「大家部」を立ち上げ部長を務める。不動産投資に関する情報交換や物件見学のワークショップなどを行う。 入社2年目に新築一戸建ての広告を取り扱う部署に異動したことをきっかけに、「いい企画を作るためには、まずは自分で経験したい」という想いから個人で新築一戸建てを購入。その翌年には売却分野を担当したことをきっかけに売却も経験。マンションの売買なども行い、11年間で11回の引っ越しを経験。 「新しい住まいや暮らしを自ら探究したい」という気持ちで購入した東京都千代田区の神保町の中古ビル「弦本ビル」は、コワーキングスペース、シェアオフィス、シェアハウス、飲食店が入居する複合ビルとなっており、20代を中心とした若手社会人や学生のやりたいことを実現する場所として注目を集めている。3年間で延べ1万人以上の来場者を記録し、家賃年収1,400万円を達成しながら満室経営を続けている。 お金面とビジョン面の両立を大切にしており、モットーは「一人ひとりの可能性をもっと世の中に」。会社員を続ける傍ら、学生時代に起業した会社とあわせて株式会社を3社創業。うち1社は売却し現在は2社を経営している。他にもエンジェル投資家として若手実業家の支援を手がける一面も。 日経新聞や不動産業界紙、書籍や雑誌、テレビなどでも多数の注目を集めておりセミナー講師なども行う。宅地建物取引士を保有。