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ニューヨーク滞在記㉘語学学校最終日!思い出の詰まったニューヨークの縦断

Sep/19/2008 FRI

睡眠3:45→7:45

自分の部屋で目が覚める。8:30に地下鉄に乗って8:50に着いてそこから宿題という、学校の最終日にもかかわらずハードな朝がはじまる。

最後の朝食はベーグルに決めた。チーズ入りの1ドルだ。スタンドのおじちゃんに最終日の挨拶といつものお礼を言いたかったけど、今日は奥さんがかわりにやっていたので伝えられなかった。

最後の授業では、グループに分かれてゲームをするときに、つくったチームの名前を「Takuya」にしてくれた。エリカもたくさん話しかけてきてくれた。ペアを組むときに「Takuya!!」と求めてきてくれる。嬉しさと寂しさが混じる。

間の休み時間にも、足早にいろいろなところをまわって、できるだけ多くの知り合いに会って別れを告げようと思った。

相方も今日が最終日だけど、今日はカレンとふたりで過ごすらしい。午後に買い物に行くという。結構長いこと一緒にいたのに、いよいよお別れなんだね。

相方がお世話になったカレンとの写真を撮ってもらう。

ウーンニに挨拶をすると、「いつまで?」と聞かれて、今日が最後だと伝えるとその場でハグをしてくれた。「I’ll miss you」と「Me too」と話して、友達にもよろしくと伝える。

昼休み前にクラスで写真を撮った。ふだんから皆勤賞な方の性格だけど、最後までよく遅刻も欠席もせず、1日もサボらずに通いきったなぁ。

最後に受付に、留学のアンケートを渡しに、そして初日から借りていた教科書を返しに挨拶にいく。ここでIDを返却して、終了証をもらう。

ゴウンが受付の近くにいて、自分のギターに別れの寄せ書きを書いてといった。ユウキがやってきたのでふたりで書くことに。「I was happy to meet you. Thanks to teach English and Korean languages. See you in Korea or Japan!!」

校舎から外に出て、カズ、ジュリー、サンボンと写真を撮った。

ジュシーは入学直後のはじめの週にお世話になった先生だ。ジュリーからは「Good luck on your future.」と卒業の言葉をもらう。

ジョンミーとも写真を撮った。

最後はみんなに大きく手を振って別れた。これが最後の景色だ。

最後の別れの時間を外で待ってくれていたアンズとミランと合流して、13:45にベーグル屋さんに入る。そしてその場で肉を詰めてもらって7.04ドルのホットドッグを食べた。ボリューム満点で美味しい。

駅に向かうときにまたゴウンと会った。金曜日の午後はモマ(MoMA)という近代的な美術館が無料になるので、そこに行くという。ミランは一度家に帰り、アンズは5Ave.で買い物きをして、それからモマ(MoMA)に行くと言っていた。ミランとはまた夜にご飯を食べる予定だ。

俺は、最後はひとりであちこち街を見納めようと思ったので、彼女らと別れてキャナルSt.から、地下鉄に乗らず歩いて上ることにした。これまでの移動は地下鉄が中心で、降りた駅からはじまる点の景色だった。だからこの最終日は、その点を歩いて線につなぎたいと思ったんだ。

キャナルSt.からリトルイタリー、ロウアーイーストサイド、イーストビレッジ、そこからグリニッジビレッジのニューヨーク大学、ワシントンスクエア、ユニオンスクエアへと、西へ東へとうねうねしながらも、ホテルの方向に北上していく。

リトルイタリーでは屋台が歩道に出ていて、お祭りのようになっていた。警察がとても多い。歩道は人混みで混雑していても、車は結構なスピードで走る。

一方で、ロウアーイーストサイドやイーストビレッジはあまり栄えていない。ニューヨークには浮浪者のような人も多く、貧富の差を感じることが多い。貧しい人を救うという考えはおこがましいかもしれないけども、根本的に解決できるのは政治よりも科学技術なのではないかと思う。

俺は政治家になるよりも、科学者として貧困を救う方に興味がある。それから、経営者になるのは目的ではないと思っている。経営者になって、ビジネス上の課題の解決に向けて、方向性を示すのもたしかに大切だと思う。だけど、それよりは開発の第一線上に立って、より直接的に人々の役に立つ仕事をしてみたい。それから、問題はお金で場当たり的に解決するよりも、ビジネスや雇用を通じて社会的に解決していきたい。

現状はもっとよくなると思うし、まだまだ世界には変える余地がある。英語を使えるようになるのは、かしこい自己投資なんだろう。

夜に待ち合わせをしているアスタープレイス駅のキューブのオブジェの前で、タイ人のプレムに電話をする。彼は毎週金曜日は、タイ料理屋でアルバイトがあるため学校を休んでいるのだ。19:00にオブジェの前に集合になったと伝える。電話だとまた英語の会話の難易度が上がる。視覚を共有しないので、正確な情報を伝えるのに少し時間がかかってしまった。

ニューヨーク大学を通り抜けて、ワシントンスクエアビレッジという公園を見る。

ワシントンスクエアの公園内では、リスの接写に成功。

歩いてみると、地域によって建物の特徴が違うのがわかってくる。写真をみると、どのあたりの写真なのかが想像できるかもしれない。中心地よりも少し道を外れたほうが教会が多そうだ。

5番街を北上して、ワシントンスクエアからユニオンスクエアパークへと向かう。とんがってる建物からは広い角度を眺められるから、景色がよさそうだ。

ユニオンスクエアパークでは、観光客に似顔絵を書く絵描きさんが集まっている。すごい上手いけど、書いてもらったところで置き場に困るなぁ。

ブロードウェイでは「I ♡ NY」のTシャツは15ドルで売られている。一方で5Ave.と12St.の交差点では、10枚10ドルで売られている。不思議な価格設定だ。リンカーンセンターとダコタハウスも見てみる。

Tasti D-Liteというアイス屋さんで6ドルのアイスを買ってみる。香料のピントがぼけていて、見ための印象に反してほろ苦い。

じっくり歩いて家につく。17:00になり、溜まった洗濯物を洗濯機を1.50ドル分、まわすことにする。そして18:00までの間、45分間ほど寝ることに。今日も乾燥機を3回まわして、18:45に部屋を出る。

待ち合わせは19:00にアスタープレイスだ。こないだ行ったオープンしたばかりの韓国料理屋に行く。プレムはIDを忘れたと言って、片道25分かけて取りに帰るとのことだ。

21:30になると、今度はドンホーが来てくれた。プレムとドンホーは今日は学校を休んでアルバイトに行っていたのに、わざわざ夜に来てくれた。

ドンホーからは、タクヤは他の日本人と違ってちゃんと英語の勉強をしにきている。相当勉強したんだろうと褒めてくれた。ドンホーは少し顔を出してくれて1時間ぐらいしかいられずに、22:30に帰ってしまったのだけど、入れ違いで今度はプレムが来てくれた。

2軒目のお店に移動しようということで、韓国料理屋さんを出ることにした。タイ人のプレムは1軒目の韓国料理をあまり食べなかったので、次はタイ料理を食べに行こうと提案して、近くのKlongと呼ばれるタイ料理のレストランに行った。

タイの料理は甘かった。どんなお皿でもどんなソースでも、ココナッツのような甘みがある。タイのビールは日本よりも濃ゆくて、炭酸も刺激的でとても美味しい。「ショーン」というのがタイ語で「乾杯」、そして「アロイ」が「美味しい」だそうだ。

会計は割り勘で15ドルだった。プレムは今日はバイトで働いてきたからと多めに払ってくれた。ただでさえ遅れてでも来てくれたのにありがたい。

プレムとミランともお別れをした。これまで授業でよく話していたクラスメイトだった。日本人はmixiで気軽につながれるけど、外国人とはつながれない。名前だけが手がかりの関係なので、一度物理的に離れると、もう二度と会うことは難しいだろう。本当に、元気でね。ありがとう。

今日は昼にも歩いたんけど、まだもう少し歩いて帰りたい。深夜に歩いて帰っていると、3:00にセントラルパークで警察に声をかけられる。日本の警察よりも緊張感がある。パトカーとワゴンに囲まれる。

何をしているのかと聞かれたので、パスポートを見せて、ニューヨークには英語の勉強に来たんだけど、今日が最終日だから散歩をしにきたと伝えたら、「今日が最終日というなら、今回は許す」と答えてくれた。よかった!けど、びっくり。

深夜に帰宅して、本当に申し訳なかったけど、4:00にユウキを起こして、借りていたアクセサリーを返して、貸していたタオルを返してもらった。

ユウキはまだ残るのに起きて付き合ってくれて、お互いのカメラで撮ったこれまでの写真のデータを交換する。こんなに毎日遊んでいたのに、日本では埼玉と静岡なので帰国してもめったに会えなくなるのかな。

5:00にシャワーを浴びて、ドライヤーをするともう5:45だ。部屋に戻ると窓の外がうっすらと明るい。

ベッドメイキングはされていないようだ。それでは、最後のおやすみ。

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ABOUT US
弦本 卓也
1987年、埼玉県生まれ。大学卒業後、大手広告会社「リクルート」にて不動産メディア「スーモ」(SUUMO)の運営に従事。新卒で入社して、スーモのメディアづくりを7年、その後にエンジニア組織の組織づくりを4年行う。 また、リクルート社内の部活動制度にて「大家部」を立ち上げ部長を務める。不動産投資に関する情報交換や物件見学のワークショップなどを行う。 入社2年目に新築一戸建ての広告を取り扱う部署に異動したことをきっかけに、「いい企画を作るためには、まずは自分で経験したい」という想いから個人で新築一戸建てを購入。その翌年には売却分野を担当したことをきっかけに売却も経験。マンションの売買なども行い、11年間で11回の引っ越しを経験。 「新しい住まいや暮らしを自ら探究したい」という気持ちで購入した東京都千代田区の神保町の中古ビル「弦本ビル」は、コワーキングスペース、シェアオフィス、シェアハウス、飲食店が入居する複合ビルとなっており、20代を中心とした若手社会人や学生のやりたいことを実現する場所として注目を集めている。3年間で延べ1万人以上の来場者を記録し、家賃年収1,400万円を達成しながら満室経営を続けている。 お金面とビジョン面の両立を大切にしており、モットーは「一人ひとりの可能性をもっと世の中に」。会社員を続ける傍ら、学生時代に起業した会社とあわせて株式会社を3社創業。うち1社は売却し現在は2社を経営している。他にもエンジェル投資家として若手実業家の支援を手がける一面も。 日経新聞や不動産業界紙、書籍や雑誌、テレビなどでも多数の注目を集めておりセミナー講師なども行う。宅地建物取引士を保有。