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ヨーロッパ周遊記(20100826ミラノ→ピサ)

睡眠を3:00→9:15でとる。アラームで9:15に起床する。彼女と30分のスカイプをして、30分でシャワーを済ませる。
昨日の夜にチケットを買えなかったので、今夜の宿はピサとローマのどこにするかが決められない。そのため、少し前と同様に、一応宿のリストを書き出しておく。状況によって、ナポリに行くことも考えられる。

ここは朝食はなしの、チェックアウトは11:00だ。受付で甥にお礼を行って、11:00に出かける。

最寄りの地下鉄の駅を目指すも、地図やインフォメーションがなさそうだ。そこで、中央駅のツアリストインフォメーションを目指して20分ほど歩く。

昨日とは別の道、別の景色を見ながら中央駅に着く。そこで地図をもらう。
地図の種類は、イタリア語、英語、フランス語、ドイツ語、日本語とあるそうだ。日本語があるのが素晴らしい。
お店は駅に近い方が立地条件がいいので不動産は高いだろうけど、一方で客数は多い。どちらが利益があるのだろうか。
スイスには、町中にベンチがあったのに、ここにはあまりないみたいだ。

気温は33度だ。
公園で一休みする。激しくいちゃつくカップルを尻目に。

レオナルド・ダ・ビンチの像を見る。

ディズニーシーのような建物が多い。すごい、人が造ったものとは到底思えない。限界を超えている。今に至るまで残り続けている。この美しさ。

ドゥオーモでは、広場いっぱいに鳩がいた。

観光客の手にコーンを無理やり置いてくる人がいる。受取るとお金を請求されるのだろう。
教会を経由して帰る。レストランが多い。

出かけるときには驚くほど軽く感じた荷物が、重くて首にくる。

もと来た駅の近くで、昼ご飯に2.30ユーロのピザを食べる。
美味しかったので、店員さんにグーをしてみる。するとウインクを返してもらう。カッコいいなぁ。きっと日本人だったらにっこりの会釈だっただろうなぁ。

3ユーロでピサ行きのチケットを買う。
早足で14:50のナポリ行きに乗って、18:17にフィレンツェで乗り換えて18:33から19:29にピザの中央駅に着くという計算だ。


この電車の外見はあまり綺麗ではない。トイレはぼっとんの垂れ流しだった。これは汚い。

超一流の贅沢な旅行だとしたら、個人用の飛行機をチャーターして行くのが最高なのかもしれない。でも、これだけたくさんの距離を移動できる電車は最高だ。少し眠りにつく。睡眠16:30→17:15。

フィレンツェで乗換をする。ピサの方が近いと思っていて、ピサに行ってからフィレンツェに行こうと思っていたので、逆の順番で着いてしまったっことが少し気にかかる。

乗り換え先は普通車のようだった。座席の指定はない。

ピサに到着する。ここで想定される次の課題だ。
・ピサでネットに繋ぐ
・ピサかフィレンツェの宿を取る
・フィレンツェからの列車のチケットを取る
・ピサからローマは3時間くらいだ
・ローマ、バチカンに行ってどちらでも手紙を書く
・ヴェネチアに行く
・ホステルリストを作っておいた方が良さそうだ

ここ連日の動きから、朝に観光、昼に移動、夕方に宿探しはよくない循環のような気がしてきた。朝に移動、昼に宿探し、夕方に観光が良い循環だろう。理想は、朝に移動、宿に荷物、昼に観光、帰宅、次の宿の予約、寝て起きて移動かな。やってみてから、学びながら考えるスタイルだ。より満足する衣食住を求めて動くのが、人間の本能なのかもしれない。

駅や繁華街で、ネット環境を探すも見つからない。ピサの斜塔を目指して、軽く見て戻るか悩む。とりあえず、お店の閉まる前にご飯を買いに駅前のスーパーへ。
川を越えて、目星を付けていた宿を目指す。
ガイドブックの地図が小さいため、現在地と目的地がよく分からない。
宿の位置が分からずにいると、サッカー場のような囲いがあった。見上げると、そこにピサの斜塔があるではないか。
それを頼りにピサの斜塔の位置から、宿の位置を特定する。

宿にたどり着くも、そこはすでに埋まってしまっていた。お姉さんに他の宿について調べてもらうと、近くの宿もすべ埋まってしまっているという。さらに、いくつか電話をしてもらったけれども、斜塔から川の前後まではすべて埋まっていると言われてしまう。
泊められない客なのに、電話してくれたお姉さんに感謝。イタリアの宿は空いてる時期だって聞いてたのに。

ということで、行く場所もなくなってしまったので、夜の斜塔をじっくり見ることにする。

23:00になり、公園内の芝に横になる。
ピサの斜塔は公園のなかにあり、その公園は24時間開放されているようだ。夜遅くにも関わらず観光客が数人ずつやってくる。

野宿は人生で初めてだけど、考えてみたらキャンプや車の中で眠るのも、公園でシートを敷いて寝るのも、芝の上で横になるのも、酔っ払って路上で寝るのも同じようなものなのかもしれない。
ピサの斜塔は塀で囲まれていて、門にはガードマンがいるので野犬が来ない。雨も降らない。防ぐべきは蚊だけのようだ。

真の自由とは、身一つでいる孤独のことなのかもしれない。誰にも干渉されない自分だけの居場所。頭、目、鼓動、呼吸、思考のそのすべてを自分のなかに感じる。生きているというのはこういうことなのかもしれない。

自分は何のために生まれてきたのか。何をすればいいのか。自分のために生きるのであれば、自分は何を求めているのか。苦しくても、見つかりそうな予感がする。しっくりくる答えが見つかったら、その通りにすっきり生きていけるような気がする。

しかし、何のためにも生まれてきてはいないとも思う。社会に別段、必要とされているわけでもない。皇族や由緒のある人間ではなく、もともと世界に期待されてはいない。社会は自由に生きろとすらも求めていない。社会は秩序を守りさえしてくれればいいと思っているはずだ。他人に迷惑をかけなければかまわない。それなりに生きて、それなりに死ぬことを求めているんだ。だからこそ、その範囲内でやりたいことをすればいいのだ。

歴史はふわふわした僕らをつなぎ止めてくれる絆であり、史跡は人間の繁栄に誇りを感じさせる空間だと思う。偶像は信仰に誇りを持たせ、ミッキーマウスは人々を笑顔にさせる。芸術が満ち足りた生活を掻き立てる。
だけど、これまで未来のために生きてきた過去の時代の人々や、今もまわりの多数のおかげで今の人生がある。同じように還元していくべきだ。この旅でも、たくさんの人に助けてもらったのは事実だ。道案内もしかり、レジでもチケット売り場でも郵便局でも、ホテルでも。

自分だけが例外などではない。自分は例外だ、特別だという思いは間違っている。自分が例外だと思いたいのは自分だけなのだから。自分の人生を正しく評価して正解に導いてくれる人がいるとしたら、それはそれで面白くないはずだ。せいぜい人間が持っているのは100年程度のエネルギーだ。それならば、自分のために生きればいい。

ただ生きていられれば、それが幸せ。人生は、ただ生きることが目的で、目的を持って生きるものではない。生きることは目的であって手段ではない。それでは、何のために生きるのだろうか。それは生きるのが本能だからだ。

それでは、なぜ本能は人を生かせたいのだろうか。それは人類の、種や一族の繁栄のためだろう。
種を繁栄させることが人生の目的なんだ。自分の人生が絶えても、種が絶えないようにするのが自分の人生の目的。他人の人生の繁栄が、自分の人生の目的。
自分を生かすための本能が、結局は種を生かす本能に繋がる。だから、後世に何かを遺すために生きるべきだ。その結果、人はこれまでもこれからも、進化して繁栄していく。

動物はお腹が空くのに、お腹がいっぱいになるともう要らない気持ちになるのは、生まれながらに仕掛けられた本能。自分ばかりで独占して、他人の食料を奪ってしまわないように仕組まれているのかもしれない。
地球環境などをみると破壊をしているように見えるかもしれないけれども、総じて考えると人類は後世により便利なものを、よりよいものを遺している。そして、意図していない場合でも、誰もがその一翼を担っている。税金を払うことや、社会の一員として働くことは、その歯車の一つになれる。

その真理に従うならば、他人のために生きるべきだ。少なくとも、自分の子供のためには生きないと。法律やお金は人類の後に発展したので、共通する考えはそれ以前の考え方が参考になりそうだ。

①人間には、生きる本能がプログラムされている。しかし、人の一生は有限である
②人の一生が有限なのは、限られた資源を奪い合わないようにするため。そしてDNAを引き継ぎながら、少しずつ環境の変化に適用し種を進化させ繁栄させるためだ
③種を繁栄させることが、生物の個体それぞれの生きる目的である。自分も、前世の有限の人生のお陰で生まれてきたし、今日まで無事に生活してきた
④種を繁栄させるために、自分の有限の人生を使うのは、自然の流れ

過去の偉人が偉人であるのも、どれだけのものを他人に遺せたかで評価されているからだろう。自分のために生きることと、他人のために生きることは矛盾せず、同時に両立する。

他人のために生きることが、ゆくゆくは自分のためにもなる。仮に目先ではお金のために見えても、お金はあくまで仕組みであって、お金のために他人に尽くすのではない。会社が存続できるのも、誰かのためになって認められて対価をもらい続けているからだ。

他人のために生きることで、人や会社が継続する信頼を得て、継続的なお礼としてお金をもらい、存続する。何度考えても、行き着くゴールは一緒なのかもしれない。他人のための自分の人生。

睡眠1:15→1:45、うとうとしていると警備員に「閉まりますよ」と言われ追い出されてしまう。
敷地の裏側に移動する。蚊がいるのでシーツを被る。松の木の影や建物の影には段ボールがある。同じく寝所を求める者が、過去に同じように過ごしたのかもしれない。食べるのも着るのも住むのも、不安を減らし、心身の健康を継続して維持するためなんだな。

自分で考えて心から感じたどり着いたことは、だれかから言われた受け売りの言葉よりも真実味がありそうだ。

コウモリが超音波を出しているようで、耳元がチルチルと鳴っている。
3:00、車もなくなって静かになってきた。ひっそりと、おやすみ。

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ABOUT US
弦本 卓也
1987年、埼玉県生まれ。大学卒業後、大手広告会社「リクルート」にて不動産メディア「スーモ」(SUUMO)の運営に従事。新卒で入社して、スーモのメディアづくりを7年、その後にエンジニア組織の組織づくりを4年行う。 また、リクルート社内の部活動制度にて「大家部」を立ち上げ部長を務める。不動産投資に関する情報交換や物件見学のワークショップなどを行う。 入社2年目に新築一戸建ての広告を取り扱う部署に異動したことをきっかけに、「いい企画を作るためには、まずは自分で経験したい」という想いから個人で新築一戸建てを購入。その翌年には売却分野を担当したことをきっかけに売却も経験。マンションの売買なども行い、11年間で11回の引っ越しを経験。 「新しい住まいや暮らしを自ら探究したい」という気持ちで購入した東京都千代田区の神保町の中古ビル「弦本ビル」は、コワーキングスペース、シェアオフィス、シェアハウス、飲食店が入居する複合ビルとなっており、20代を中心とした若手社会人や学生のやりたいことを実現する場所として注目を集めている。3年間で延べ1万人以上の来場者を記録し、家賃年収1,400万円を達成しながら満室経営を続けている。 お金面とビジョン面の両立を大切にしており、モットーは「一人ひとりの可能性をもっと世の中に」。会社員を続ける傍ら、学生時代に起業した会社とあわせて株式会社を3社創業。うち1社は売却し現在は2社を経営している。他にもエンジェル投資家として若手実業家の支援を手がける一面も。 日経新聞や不動産業界紙、書籍や雑誌、テレビなどでも多数の注目を集めておりセミナー講師なども行う。宅地建物取引士を保有。