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ニューヨーク滞在記①日本~ミネアポリス~ニューヨークへの飛行機移動

Aug/23/2008 SAT 晴れ

睡眠7:30→8:30

いよいよ出発の時間が近づいてきた。毎度ながら、忙しくしているのが大好きな性格だからか、連日予定がぎっしり入っていたため、これまであまり準備の時間が確保できなかった。疲れてはいたものの、時差ボケの対策も兼ねて、朝方まで起きて準備をすすめることにする。

睡眠を日本時間で7:30から1時間だけ確保した。海外経験の豊富な父親に見てもらいながら、荷造りの最終チェックをおこなう。パソコンは壊れやすいから手荷物に入れたほうがいいだの、行きはスーツケースの2割ほどを空けた方がいいだの、経験者ならではの知識もスーツケースに詰め込み持っていく。

そして、日本での最後の昼食を食べて、12:55に南浦和駅から京浜東北線に乗り込んだ。荷物を抱えながら、またスーツケースの上に軽く腰掛けながら、田端駅で山手線に乗り換え、そして日暮里駅で京成線に乗り換える。

今回、旅の友となる相方とは、高校時代からの付き合いだ。成田空港第一ターミナルに15:00に待ち合わせだが、彼からのメールをみるに、どうやら俺よりも20分ほど早く集合場所に着くらしかった。1時間ほどかかる京成線の車内にて、朝の寝不足の解消で30分ほど暴睡する。

第一ターミナルは、高校でオーストラリアに海外研修に行ったときにも、家族でバリ島に行ったときにも使ったターミナルだった。迷わずつくことができた。

15:00になり、搭乗まで1時間30分前となった。京成線を降車して、成田空港の第一ターミナルの3階に向かう。そして、待合用のソファーに座った相方と、何事もなく無事に合流する。2人でどの飛行機に乗るのかを確認するために、電光掲示板へと向かう。

しかし、電光掲示板には俺らが搭乗すべき便名は掲載されていなかった。少し焦りながらもグランドスタッフのお姉さんに、どのゲートに向かえばいいのかを聞きにいく。どうやら俺らの乗る飛行機の航空会社であるノースウェストの離着場所は、成田空港の第二ターミナルだったらしい。スタッフのお姉さんにお礼を言うと、彼女は急ぐようにと付け加えた。少し小走りでエレベーターに乗り込み、下の階のバスターミナルへと向かった。しかし、相方はあまり焦りを見せなかった。どちらかというと落ち着いている様子だった。そして下のバス停で5分ほどバスを待つ。第二ターミナルまでは運賃無料のバスが、俺達を運んでくれるのだ。

ものの5分で第二ターミナルへと到着した。少々ドタバタしたせいで、成田空港の屋上から飛行場を眺めたり、日本にゆっくり別れを告げたりする時間はとれなかった。第二ターミナルに着いて、インターネットで予約していたチケットを専用の機械で発券の手続きをして、スーツケースを空港のカウンターで預けておく。そしてセキュリティーを無事に通過して、搭乗ゲートに並ぶ。あと15分ほどで搭乗手続きが開始する。なんとか離陸前に余裕を取り戻した。これで目的の飛行機に乗れる。

そこで、列に並びながら彼女に電話することにした。日本を発つ前の最後の別れを告げるためだ。彼女は高校時代の部活の後輩とレストランにいるようだった。一度は相方に変わったものの、すぐに電話を取り返し、ゲートが近づいて航空券の手続きをする直前になるまで「行ってきます」だの「気を付けて」だのと通話を続けて、電話を切った。彼女は最後に「愛してる」って言ってくれた。俺も言いたかったけど、隣には相方がいたのでやめといた。

ともあれ、いってきます!!

チケットを専用の機械に通して、ちぎられたチケットから座席を確認する。どうやら相方とはかなり離れて座るらしい。

搭乗後、飛行機のドアが閉まるまでは携帯電話の通信は許されていた。座席に落ち着いて最後のメールのチェックを済ませる。まぁきっと、向こうに着いても携帯電話は使えるんだろうけどね。メールをくれていた人には「行ってきます」と返し、出発前に書いたmixiの日記も少しだけ確認しておいた。

飛行機の座席は最後列だったため、背もたれを下げてゆったりと座ることができた。最近、とくに睡眠不足だったからだろう、16:00に飛行機に乗り込むとすぐに45分の睡眠をとった。起きて慌ててまわりを見てみても、飛行機はまだ離陸していなかった。窓からの景色は変わらず、騒音も耳鳴りもなかった。16:30に離陸のはずだったものの、どうやら離陸は1時間ほど遅れているようだ。

変更された離陸予定の17:30まで起きて、離陸の瞬間を目に焼きつける。「ニッポン、ばいびー」

ニューヨークとの時差は13時間だ。向こうの時間を意識して慣らしておくために、日本を飛び立つ今のうちに時計の針を動かしておこう。ニューヨークでは日本と比べて通常は14時間の時差だけれど、3月の第二日曜日から11月の第一日曜日まではサマータイムで時差が13時間になるらしい。今までの17:30がイッキに4:30になった。どうにか体を騙さなきゃ。時差ボケになっちゃあいかん。そしたらいよいよニューヨークだ。

時計の針がニューヨーク時間になったことを確認する。ニューヨーク時間で5:15になると、機内では小麦粉を焼いて塩をまぶしたようなクラッカーが出てきた。これは日本でいうプリッツの味で、なかなかの美味しさだった。アメリカの航空会社の飛行機だからであろうか、クラッカーのパッケージは日本のものではないようだった。クラッカーとともに、オレンジジュースをいただくことにした。

座席でくつろぎながら、ちょっとだけ英作文の勉強をしていると、6:00になって、日本時間でいういわゆる夕飯が出てきた。日本時間では夕飯の時間だったのだ。外国人のフライトアテンダントのお姉さんに「チキノアビー?」と聞かれたのでビーフを、「ドリンクは?」と聞かれたのでコーヒーを頼んだ。すると、お姉さんはコーヒーはないと返してきた。仕方がないので「紅茶で」ということでティーを注文した。すると、なんと日本茶が出てきた。確かに、ね。ティーはティーでもここは日本発の飛行機だからか~。ティーは紅茶とはかぎらないんだね。渋々と渋めのお茶をすすりつつ、もうすでに日本ではない現状に息を飲みこむ。

相方とは座席が離れてしまったので、機内ではお互いに顔を合わせるのは難しかった。トイレに出歩いたときに目をやると、視界に入るぐらいに距離にいるようだった。俺の隣の隣では黒人のにーちゃんが大音量で音楽を聴いていて横に揺れていて、隣の席では中国系の男性がくちゃくちゃと音を立てながら機内食を食べていた。日本人はあまりそんなことしないような気がする。あーあ、日本が恋しいぜ。

 緑のティーをオカワリして、6:15から9:00まで一眠りする。慣れないところにいることや、座っている影響も手伝って、寝心地はそこまでよくなかった。けれど、時折目覚めながらも睡眠を重ねていく。

9:00になり、フライトアテンダントのお姉さんの気配と、ざわざわした乗客の雰囲気で目が覚める。お姉さんはおやつにチョコと胡桃を練りこんだパンケーキを運んでやってきた。目覚めたばかりの状況に焦りながらも、俺も1つありつくことができた。ハズレの一切ない美味しいものだった。

そして、9:00から2時間ほどかけて携帯電話のデータの整理をおこなう。これは、飛行機の座席に貼り付けられながらも、普段はあまり時間を割けないことをしようと思ったからだ。当然、上空は圏外だ。日ごろはオンラインになるとメールなどのやりとりをしてしまうので、普段から溜まっていた携帯の送受信メールや、時折考えていることや知的なネタなどを書くメモ帳機能の整理をおこなう。俺はいつもネタやメモや思いついたことはなんでも携帯に打ち込んでいるのだけれど、いかんせんそれを整理する時間を普段からあまり確保していない。もちろん、今回の旅の意気込みや、ここまでの記録も消えないように忘れずに書いていく。そうまさに、この『ニューヨーク滞在記』だ。

しかし、11:15になると、その携帯電話の電池も力尽きてしまった。あーあ、充電器と電池を手荷物のリュックに入れてくるべきだった。仕方がないので12:30から13:30までは、暗闇のなかで紙を取り出して、アメリカから彼女に送る予定の手紙の構成を書き出していった。まだ現地に着いていないのに気が早いかな。

んでいい感じに眠くなったので、しばしの睡眠を13:30から14:00までとっておく。

14:00になり、日本時間でいう朝ご飯がやってくる。キャビンアテンダントのお姉さんに、今度は「ヌードルオアエッグズ?」と聞かれたのでエッグズを注文してみた。これは可もなく不可もなくって感じで、たとえるならば市販のお弁当ぐらいの味だった。でもデザートのバリエーションは、メニューの割にはかなりの豊かさを備えていた。

経由地のミネアポリス空港までは飛行距離10,000kmを10時間かけて進む。あとで相方に聞いたところによると、飛んでいるときの時速は1,150km/hぐらいだったらしい。

そういえば飛行中、1回だけ機内の個室トイレに行ったことがあった。はじめ、いきなり便器から小便が外れた。きっと、大気圧が小さくて重力がちっちゃくなったから、枠を追い越してしまったのではないだろうか。機内だと揚力かなにかが余計にかかるんだろうね。ちなみに飛行機で流した汚物は空中に放り出されるらしい。

【今回の旅程】(予定)
・行き
ノースウエスト航空NW014便
  2008/08/23 16:30 東京 (成田国際空港) 出発
  2008/08/23 13:30 ミネアポリス (ミネアポリスセントポール国際空港) 到着
  ノースウエスト航空NW394便
  2008/08/23 15:15 ミネアポリス (ミネアポリスセントポール国際空港) 出発
  2008/08/23 18:59 ニューヨーク (ラガーディア国際空港) 到着
・帰り
  ノースウエスト航空NW539便
  2008/09/20 10:31 ニューヨーク (ラガーディア国際空港) 出発
  2008/09/20 12:45 デトロイト (デトロイトメトロ空港) 到着
  ノースウエスト航空NW025便
  2008/09/20 14:10 デトロイト (デトロイトメトロ空港) 出発
  2008/09/21 16:20 東京 (成田国際空港) 到着

成田空港を出航すること10時間、乗り継ぎのミネアポリス空港に着く。ミネアポリス空港はアメリカ国内にある空港で、ここで飛行機を乗り換えてニューヨークの空港に向かう予定だ。ミネアポリスの時差は日本よりも12時間遅く、俺らの乗り継ぎ便は現地時間で14:45に到着の予定だった。しかし、ここでは成田空港からの出港が1時間遅れたのを受けて、俺らの乗った飛行機の到着は1時間半ほど遅れてしまっていたのだ。なんとも、次の乗り継ぎ便の出航予定に15分遅れた、現地時間で15:00にミネアポリス空港に辿り着いたのだった。

アナウンスに急かされながら飛行機を降りた俺たちは、乗り継ぎの出航の時間こそ過ぎていたものの、急いで乗り継ぎに行くために入国審査に並ぶ。入国審査は乗り継ぎでも、初めて入った外国の空港でおこなうものだという。なんだ、ここはアメリカなんだ。確かに日本を発った時点から、まわりは外国人だらけだった。でも、やっぱりまだ空港なので、全然実感がわかないなぁ。

入国審査で列に並んでいるときに、相方は日本人の団体客の入国審査をしている通訳のおばさんを見て「語学留学に来てまで通訳に頼ったら滑稽だよね」と冗談を言っていた。しかしその矢先で、入国審査のカウンターで、相方が留学の目的を英語で答えられずに、黒人の審査担当から3回ほど聞き返されてしまい、その後にその通訳のおばさんに助けてもらっていた。まぁ後になって聞いてみたら、どんな語学留学なのかを突っ込まれてて証明ができずにあたふたしていたらしく、しょうがないっちゃしょうがなかったんだけどね。

相方は留学を証明する書類をスーツケースに入れて、荷物として空港で預けてしまっていたので、代わりに俺が呼ばれることになった。俺が詳細の書類を見せると、しばらく他の審査員の人とあれこれ見ていたようだったけれども、留学に来たことを認めてくれたようで、通行のお許しがもらえるようになった。入国審査を通過できてなによりだった。ここを越えないことには、語学留学どころかニューヨークにもいけなくなってしまうので。通訳のおばさんもどうもありがとう!

相方の通過後にすぐ、俺も一人で審査を受けた。そのときその入国審査の係りのおじさんが、「TAKUYAって良い名前だね」って言ってくれたのが嬉しかった。きっと社交辞令なんだろうけど、おそらく話しかけて会話をつなごうとしてくれたんだ。息子にもこの名前をつけてあげるといいよなどと冗談を言えればよかったんだけど、結局はにかんでお礼をいうぐらいしかできなかった。

俺らの乗り継ぎ便は俺らの乗ってきた飛行機の遅れを受けて、出航時刻を遅らせて待っていてくれていた。ベルトコンベアから受け取ったスーツケースを再び別のベルトコンベアに預けて、2度目のセキュリティーチェックを通過する。次の搭乗ゲートまで走りに走って、15:00過ぎに待っていた、ニューヨーク行きの乗り継ぎ便に滑り込むことができた。

乗り継ぎ便はこれまでに乗った飛行機と比べて、比較的小さな航空機だった。アメリカでは国内線だからだろうか。今度は約4時間のフライトの末に、飛行機はニューヨーク最寄りのラガーディア空港に到着した。今度の飛行機の座席もまた、相方とは離れた席だった。いつしかもう、まわりはみんな外国人にしか見えなくなっていた。俺はひとりで過ごす時間も好きなので、機内では思ったことなどのメモをとりながら、今のうちにとニューヨークに関する情報誌をめくって過ごした。

いよいよ目的のラガーディア空港に降り立った。ワクワクした期待を胸に、2人で飛行機を降りてスーツケースをもらいにベルトコンベアへと向かう。まだニューヨークの実感はわかない。それでもここはニューヨークなのだ。

ラガーディア空港のベルトコンベアには、2人のスーツケースは届いていなかった。いやぁ、まいった。ラゲッジクレームという、クレームを言いに行く場所に、荷物の確認をしてもらいにいくことにした。

ベルトコンベアのところに、他の経由地から来た日本人の女の子が2人いることに気づいた。相方と2人で状況を察するに、彼女たちも荷物が見つからずに、日本人のJTBのスタッフのおじさんと一緒に困っている様子だった。入国早々、慣れない空港で英語のクレームするのは難しいので、取りあえず俺はそのJTBのおじさんにカウンターで話しかけてみた。2人の女の子のクレームの流れを、間近で聞いておきたかったのもあった。JTBの職員の方は、いかにも旅慣れたという感じの優しいおじさんで、俺らにも的確に手続きのやり方を説明してくださり、颯爽と立ち去っていったのだった。

バゲッジクレームのカウンターでは、受付の黒人のおばさんからお詫びとして空港内で使用できる10ドル分のチケットをもらった。今日はもともと空港で1泊する予定だった。これは俺のミスだった。今回、24日から今回留学する先のLSIの指定の宿に泊まる予約をしたものの、一日前の23日の夕方に日本を出国するチケットを手配してしまったのだ。俺の頭のなかでは24日の明け方にニューヨークに到着して、昼から宿に泊まるという計算だったんだけど、航空券を予約してから気がついた。なんと23日の16:30に日本を出国しても、ニューヨークに到着する時間もほぼ同じ23日の19:00という、時差による差し引きがここまであるなんて考えてもみなかった!

事前にそのことには気がついていて、ラガーディア空港に1泊する覚悟はできていたので、相方と1時間ほどかけて空港内で寝泊りできそうな場所を探して歩いた。外のバス停で、相方はセンターターミナルと呼ばれるターミナルが存在することに気がついた。そこで、そのバス停で無料のバスを待って、センターターミナルに向かうことにした。センターターミナルの方が広そうで、人が多く夜を明かしそうな気がしたからだ。

センターターミナルのなかにはフードコートと呼ばれる飲食店の集合地帯があった。そこで夜食のピザを買って食べることにした。

フェーマスファミグリアと呼ばれるピザ屋さんの列に並んで、カウンターでピザを注文する。現在時刻20:30は閉店の時間に近く、メニューの品数はそれほど残っていなかった。そこで、メニュー表を見て目についた、VIPという名前のピザを店員のおじさんに頼むことにした。表記が大文字だったこともあって、とりあえず発音がわからなかったので、ビップと言わずにブイアイピーと言って注文した。そしたらそのおじさんはニヤッと笑ったようにみえた。きっと読み方が違ったんだ。そのあと掃除のおばさんだかなんかに、おじさんが笑いながら、ブイアイピーがどうのって囁いていたように聞こえた。

レジに並び、さきほどのバゲッジクレームで手に入れた10ドル分のチケットで代金を払おうとしたところ、合計金額が10ドルに満たず、お釣りが出ないようだった。そこでレジのお姉さんは「このチケットはお釣りが出ないから、サラダも買うといいよ」とすすめてくれた。そこでシザーサラダを追加することにした。「シザーサラダ」って言ったつもりだったんだけど、「グランドサラダ」っていう、チーズもクルトンも乗ってないサラダを出されてしまった。全部で12.42ドル。差額分の2.42ドルを新札で支払った。

メニューはもちろん、どれも英語ばかりだ。俺の語彙力からはその中身が想像できるメニューは本当に数少ない。そのため、メニューから商品が想像できないものを頼むと注文が冒険になってしまう。しかし、知ってるものを頼んでもそれじゃあ味が想像できてしまって面白くない。少しの冒険をおかしてでも、日本では食べられないような料理を口にしたいものだ。選択肢を狭めてしまわないように、知らないメニューからでも躊躇せず積極的に注文していこうと思った。結果的に「ブイアイピー」は美味しいピザだった。でも本当はなんという名前なのか、頼んだものだったのかもよくわからないんだけど。

バゲッジクレームでは、スーツケースについては荷物を発見し次第、今回滞在予定のYMCAというホテルに送ってくれるという話になり手続きをしていた。このことが明日、ホテルのチェックインまで移動するのにスーツケースをゴロゴロ言わせなくて済むようになったってことだったしたら、かえってラクになったのかもしれない。でもやはり荷物がないのは心配だよなー。空港で一晩過ごすにも関わらう。

きっと今日は出発の直前に走りに走って飛行機に乗り込んで、それで飛行機がすぐに出発したから、航空会社が俺らのスーツケースを乗せる前に、飛行機が出航しちゃったんじゃないかな。

せめて携帯の充電器と単三電池とヒゲ剃りと歯ブラシは手元に持っておきたかった。けどお金とパソコンとLSIの入校証は手荷物のかばんに持ってきてるから、最悪の事態は免れたのかもしれない。荷造りのときの父親の忠告が、こんなところで役に立ったようだ。

とりあえず今夜は、ピザを食べたこのフードコートで夜を明かす予定だ。フードコートではさっきからジャズらしい音楽が流れている。なんだか流れるようで心地よい曲調だ。ゆったりなんだけど、なんだかざわめいてるって感じ。んだけど、昼に賑わうため大きめに設定しているのであろうか、夜間だと少し音量が大きい。24時間開放しているフードコートも、見た目は奇麗に見えるけれども、掃除が行き届いているかが心配だ。

ちなみにさっき飛行機を乗り換えるときに電子掲示板で確認したんだけど、今日の夕方の時点での気温はミネアポリスで25度、ニューヨークでは27度だった。もちろんこっちでは温度はセ氏ではなく華氏での表示なんだけれども。

もう少し上着が必要だったかな。飛行機の中はクーラーで寒いぐらいだったし、若干乾燥してて埃っぽかった。アイマスクと一緒に、マスクがあったら便利だったかもしれない。

今日は初日にして英語を使う試練が多くあった。そしてほとんどのシーンで、思ったことがなかなか言葉にできなかった。言いたかったことがたくさんあった。バゲッジクレームでは「一晩空港で過ごすから、もしスーツケースが空港に届いたら受けとるよ」とも言いたかった。空港で一泊するので次の便などで今夜、もしくは明日の朝にスーツケースが届くのであれば、ここまで取りに来ますよってことを伝えたかったんだ。通じなさそうだし誤解を招きそうだったので伝えるのは諦めてしまった。

そういえば乗り継ぎの飛行機の中でも、通路で白人に「通して」って言われたことがあった。なのになにを言われたかがわからず、結局ジェスチャーをされてどいた。悔しい。あー、早く英語がマトモに話せる人間になりたい。外国人と対等に話したいよぉ。

相方とフードコートのガラスのテーブルを確保して、21:30から1:00まで睡眠をとる。しかし、人が来る度に敏感に気づいて目が覚める。他の乗客や掃除のお兄さんなんかがくるのだ。初めての土地なので安心して目をつぶっておくことができない。空港内には悪い人はあまりいなさそうだが、スリなども怖い。神経が緊張している。相方はずっと起きているようだった。どうやら彼は夜を寝ずに明かすつもりらしい。ニューヨーク1日目の夜が、空港で荷物も揃わずで過ごすことになるとは。。。

おやすみ♪

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弦本 卓也
1987年、埼玉県生まれ。大学卒業後、大手広告会社「リクルート」にて不動産メディア「スーモ」(SUUMO)の運営に従事。新卒で入社して、スーモのメディアづくりを7年、その後にエンジニア組織の組織づくりを4年行う。 また、リクルート社内の部活動制度にて「大家部」を立ち上げ部長を務める。不動産投資に関する情報交換や物件見学のワークショップなどを行う。 入社2年目に新築一戸建ての広告を取り扱う部署に異動したことをきっかけに、「いい企画を作るためには、まずは自分で経験したい」という想いから個人で新築一戸建てを購入。その翌年には売却分野を担当したことをきっかけに売却も経験。マンションの売買なども行い、11年間で11回の引っ越しを経験。 「新しい住まいや暮らしを自ら探究したい」という気持ちで購入した東京都千代田区の神保町の中古ビル「弦本ビル」は、コワーキングスペース、シェアオフィス、シェアハウス、飲食店が入居する複合ビルとなっており、20代を中心とした若手社会人や学生のやりたいことを実現する場所として注目を集めている。3年間で延べ1万人以上の来場者を記録し、家賃年収1,400万円を達成しながら満室経営を続けている。 お金面とビジョン面の両立を大切にしており、モットーは「一人ひとりの可能性をもっと世の中に」。会社員を続ける傍ら、学生時代に起業した会社とあわせて株式会社を3社創業。うち1社は売却し現在は2社を経営している。他にもエンジェル投資家として若手実業家の支援を手がける一面も。 日経新聞や不動産業界紙、書籍や雑誌、テレビなどでも多数の注目を集めておりセミナー講師なども行う。宅地建物取引士を保有。