【インベスターズヒストリー】〜投資のチカラ〜弦本卓也⽒インタ ビュー
2019年1⽉、「超ど素⼈がはじめる不動産投資」(翔泳社)を上梓した弦本卓也さん(32)。住宅情報サイト「スーモ」の企画開発、1棟ビル運営で重ねてきた経験を踏まえて執筆したものだが、これら不動産にかかわる⼀連の肩書きは、彼のほんの⼀⾯にすぎない。イベント会社と学⽣紹介会社の経営もする経営者としての顔も持つ。まさに“スーパーサラリーマン”の模範となる⻘年だが、不思議なことに⼤富豪になりたいといったギラついた野⼼はない。胸に秘めるのは「目の前のワクワクに全⼒投球したい」という⼀⼼だけ。原動⼒の正体は何か。そんな素朴な疑問を、本⼈にぶつけてみた。
弦本さんは、かかわる仕事が、良い意味で多すぎます(笑)。まずは現状携わる仕事を整理させてください。
弦本 よく混同されますが、あくまで私はリクルートの正社員です。平⽇は朝10時から19時くらいまで働いています。いまイベント会社と学⽣紹介会社を2社経営していますが、経営をお任せできる⼈がいるので、実務から、⼿は離れている状態です。1棟ビル経営も同じで、運営者はテナントさんです。仕組みをつくるまでは⼤変でしたが、いまは落ち着いています。
リクルートでどんなお仕事をされていますか?
弦本 これまでは、住宅情報サイトの企画開発をしていました。たとえば不動産仲介会社の⼝コミサービスなどの企画や、ユーザーのログ(検索記録など)をみて、その⼈に推奨できる物件を探すレコメンド機能などをつくりました。あくまでチーム全体の成果ですが、世間⼀般がイメージする「営業のリクルート」とはかけ離れているでしょう。現在は、⾃分が所属していたIT組織で、組織開発や組織活性のお仕事をしています。
家を探す⼈の気持ちに寄り添うために、24歳で新築⼾建て住宅を購⼊したと伺っています。
弦本 ⼊社2年目の頃。新築⼾建ての売買ページをつくるにあたり、家を購⼊する経験がほしいと思い、勢いで新宿に3階建ての4LDKを買いました。ただし、無策ではありません。当時、借りていたタワーマンションの⼀室をシェアハウスとして住んでいて、彼らと⼀緒に⼾建てに引っ越せば、ローン返済のリスクが⼩さくなると考えていました。また、私が経営するイベント会社にかかわる学⽣さんたちに「就活シェアハウス」として賃貸する⼿段も考えられました。きちんと活⽤すれば、彼らのためにもなります。幸いにも、リスクヘッジの⼿段がいくつかあったのです。後の決断は、勢いです。
多動的で⼈脈豊富な弦本さんだから決断できたのかもしれません。1棟ビルの詳細も教えてください。
弦本 1棟ビルを買ったのは、2015年。スーモの企画に従事する以上、新しい暮らし⽅も経験しようと思い⽴ったのです。買ったのは、神保町で5階建ての中古ビル。買った当初は築36年の古びた雑居ビルでした。現在は、1階は飲⾷店。2階がコワーキングスペース。3階がオフィス。4〜5階はシェアハウスとして活⽤しています。
ひとつの建物に、複数の機能があることが⾯⽩いです。空室のテナントを埋めるのは⼤変だったのでは?
弦本 物件を⾯⽩い場所にするために「ビルを買うので、⼀緒に⾯⽩いことしよう」と⾔って100⼈に会いました。だいたい「⾯⽩いね」と共感はしてくれるんですが、「借りて」と話すと「それはちょっと…」と断られてしまいます。そのため「借りてくれそうな⼈紹介してください」と伝⼿をたどって、ひたすら⼈に会いました。伝⼿をたどり、5⼈目でやっと合意してもらえました。営業というより、仲間を探すという感覚でした。
テナントが埋まらない焦りはありました?
弦本 このビルは借地なんですけど、ローンの返済と合わせると⽉に約60万円の⽀払いでした。空室がでたら、ローンを⾃分の財布から払うのは無理なので、切迫詰まった感じはありました(笑)。そのかわり、⼀ヶ⽉で100⼈に会い、引き渡しから1週間で満室になりました。リクルートの昼休みや、業務終了後にタクシー使って内⾒案内をしていました。
1⽉には書籍も出版されましたね。不動産業界のビジネスマンとして、着実にキャリアを積まれています。
弦本 1棟ビル経営にある程度めどがついたとき、⾃分の経験談を書籍で発信し、⾃分と同じ仲間を増やしたいと思ったのがきっかけでした。とはいえ出版社に何社もアプローチするのはさすがに骨が折れます。出版企画の代⾏会社に折衝を任せて、その中でご縁をいただいたのが、翔泳社さんでした。
でも出版した「超ど素⼈からはじめる不動産投資」は、教科書的な内容。ご⾃⾝の1棟ビルの体験談は書かれていないようですが……。
弦本 打ち合わせにうかがったときに、編集者さんから逆提案を受け、始めたものです。「超ど素⼈からはじめる〜」はシリーズもので、不動産投資の分野だけなかったから、それをやってほしいと頼まれました。ところが、いくら不動産情報サイトの企画や1棟ビル経営の経験があるとはいえ、⾃分の中ですべての実務を体系化しているわけではありません。企画を引き受けたあと、類書を50冊くらい購⼊し、ひたすら目次を並べたりとか、部分的に読んで、知識を整理しました。
引き受けたのは、不動産業界には負の側⾯がある⼀⽅で、不動産を買う⼈のリテラシーが依然として低いと感じていたためです。新築ワンルームを買って損する⼈がいますが、業者から⾔われる表⾯利回りが架空の情報であることは、ネットで少し調べればわかるはずなのに騙されてしまう。そういう⼈に、⾃分が書く本で勉強してもらいたい気持ちもありました。⾃分の体験談は、2冊目の出版で挑戦したいと思います。
50冊の類書を調べるのも、骨が折れたでしょう。2冊目も、ぜひ楽しみにしています。でも弦本さんは、不動産業界にかかわる⼀⽅で、関連のない会社を⼆つも経営しています。詳細を教えていただけませんか。
弦本 かいつまんでお話しましょう。⼀社目のイベント会社を⽴ち上げたのが、⼤学卒業直前の3⽉。学⽣をターゲットに、⾳⼤⽣のためのライブイベント、ダンサーのためのダンスイベントなどを催しました。特技があるのに能⼒を持て余す学⽣に、活躍と露出の機会を与えたい。そういう趣旨で始まったビジネスです。そこから派⽣したのが、後に2社目となる学⽣紹介事業です。優秀なIT技術を持つ⾼等専門学⽣を都内に集めて、都内の会社をツアーするという就活イベントです。インターンの企画もしました。
1社目の起業が、⼤学卒業間際ということは、就職と重なる時期。本業と会社経営の⼆⾜の草鞋は、楽ではなかったはずです。
弦本 かなりハードでしたが、楽しくて仕⽅がなく、本当の意味でのめり込みました。当時リクルートの仕事は、朝10時から。22時まで残業することも珍しくありません。そしてイベント業の打ち合わせは、退勤後。⼋重洲のマクドナルドで仲間と集まり、その先の事業展開まで話し合って、終電までには解散します。⽇本橋の⾃宅に帰ったあと、⾃分の会社の⽅の、メールの返信や企画書の作成などをします。その時点で朝⽅4時。そのあと9時まで寝て、リクルートに出社します。ハードと⾔っても、4時間は寝れました。会社の近くで家賃6万円台で住めるマンションを⾒つけたおかげで、通勤時間をかなり圧縮できました。
よほどやり甲斐を感じないと、できないこと。2社目の学⽣紹介事業は?
弦本 学⽣紹介事業は、1社目のイベント事業から派⽣しました。きっかけは、リクルートにインターンで⼊ってきた、IT系の⾼等専門学校の学⽣の⾝上話から。IT系の⾼専⽣の多くは、⼤⼿電機会社の⼦会社のシステム部門に就職する傾向にあり、それが両親にも喜ばれているようですが、⼀⽅、当の学⽣本⼈はゲームやロボットをつくりたいのに、地元で就職してもその⼒を発揮できないことがある。だから彼らのために、就活ツアーを組んで東京の会社を紹介して、就職の選択肢を広げたいと思い⽴ったのです。
需要もあります。⼤企業が理系学⽣を採⽤するハードルは、以前にも増して⾼まっています。理系の職種に、⽂系学⽣が応募する時代です。⼤企業といえども、ITに強い学⽣をピンポイントで探すのは難儀だったんです。
その状況下、専門性をもつ⾼専の学⽣を地⽅からまとめて東京に連れてくるという企画は、⼤企業にも喜ばれました。ツアーの協賛⾦をいただき、事業として成⽴したのです。それほど稼げる事業ではありませんが、やりがいはかなり感じられました。
目の付けどころがユニークです。
弦本 おかげさまで、ヤフーやサイバーエージェントをはじめとする⼤⼿IT企業から多数の引き合いをいただきました。「この事業は需要が⾼い」と思い、⼀社目の会社から分離独⽴させたのです。ツアーやインターンの頻度は年3回。学校が春休み、夏休み、冬休みのタイミングで。お⼿伝いいただける知⼈や学⽣さんが増えて、いまは⼿が離れています。たまに進捗を聞く程度です。
今後、独⽴を視野に⼊れているのでしょうか。そもそもの起業のきっかけは?
弦本 独⽴の予定は、特にありません。起業したのは、楽しそうだから。きっかけは、リクルートの内定。内定をもらったあと、同期100⼈のうち30⼈が学⽣起業していると知り、衝撃を受けました。⾃分もやりたいと奮い⽴ちました。
とはいえ、起業にはエネルギーが必要。何が弦本さんを突き動かしたのですか。
弦本 今しかできないと直感したからです。⼊社後に⽴ち上げてしまうと、上司から「退職するのか」と誤解を招くと思ったので(笑)。⼊社前の3⽉、急いで会社を⽴ち上げたのです。
うまく⽴ち回りましたね(笑)。ちなみに内定した同期30⼈が会社を持っていると知ったとき、具体的にどんな衝撃を受けたのでしょう。
弦本 「そういう選択肢があったか︕」という新鮮な気持ちです。僕にとって、起業はテレビの中だけの世界でした。周りにたくさんの起業家がいて、しかも稼いでいる。それに⽐べて⾃分の⼤学時代は、研究室と⾃宅の往復の⽇々。学科の成績は学年で2番⼿でしたが、世の中には私の知らない世界がまだまだありました。そしてその世界を動かしているのが「⾃分と同世代の⼈たち」とわかったので、起業というものがたちまち⾝近に感じられるようになったのです。⾃分の価値観に新しいフィールドが出現して、冒険できる範囲がぐっと広がるような感覚でした。
弦本さんのこれまでの軌跡を伺ってきて、『楽しむ⼒』が相⼿の『懐に⼊る⼒』を作り出しているように感じました。相⼿に安⼼・信頼してもらうように普段から意識していることはありますか。
弦本 安⼼や信頼してもらうために特に意識していることはないです。私⾃⾝、根がポジティブで、相⼿のことを疑わない性格だからかもしれません。信頼関係を構築するにはまず、⾃分から相⼿を信じることが第⼀だと思います。
誰にでも尊敬できる部分があるし、学びになる部分があるので、難しいことではありません。
今回は弦本さんのメンタルを紐解くために、これまでの経歴をさかのぼりたいと思います。⼩学校時代はどのような少年でしたか。
弦本 幼稚園や⼩学校の時には「ユーモアがあるアイデアマン」と先⽣から⾔われていたようです。⼩学⽣の頃は、図鑑と遊びが好きな少年でした。ガリ勉ではなく、クラス内で⾊々なタイプの友⼈と接していました。きっと“⼈が好き”だったのだと思います。
中学校時代はどのように過ごされたのでしょうか。
弦本 中学時代は塾に通っていました。よくある塾帰りの⻘春で、公園で友達としゃべったり、深夜に学校に⾏ってみたり、遅い時間に帰宅することも珍しくありませんでしたが、今ではいい思い出です。勉強は真⾯目にしていました。両親は私の考えを尊重してくれ、⼲渉をしてくるタイプの教育⽅針ではありませんでした。かといって放任でもない。⾃由にさせてくれるかわりに、勉強だけは真⾯目にやろうというと意識を固めていました。
私の勉強好きの⾯は、おそらく⽗親の影響もあるでしょう。5年前に亡くなってしまったのですが、⽗は休⽇に将棋の本を読んだり、亡くなる直前でも病室で英語を勉強していたほど、常に学び続ける⼈でした。その部分は遺伝していると思います(笑)。
素晴らしいですね。⾼校時代はいかがでしたか?
弦本 埼⽟県の地元の中学校から、⻄武学園⽂理⾼校に⼊学しました。第⼀志望の浦和⾼校に落ちたのが悔しくて、それが東⼤受験を意識するきっかけになりました。⼀浪しましたが、残念ながら東⼤⼊学は叶いませんでした。
相当悔しい思いがあったのでは。
弦本 当時はかなり悔しかったです。でも挫折のおかげで、「勉強で勝負してダメだったので、それ以外のことで勝負しよう」と新しい⽅向に舵を切ることができました。そのときに、興味の対象が、勉強から“⼈”に移ったのです。
サークルやゼミの活動に勤しみました。
⼈に対する強い興味が、弦本さんの“スーパーサラリーマン”たらしめる原動⼒になったのかもしれません。
弦本 はい。でも結局、勉強にものめり込みました。⼤学は、明治⼤学の理⼯学部情報科学科で、専攻はプログラミングです。プログラミングを選んだのは、仕事の汎⽤性が⾼いからです。「経営×IT」「経済×IT」といったように、ITはあらゆる職種に応⽤が効く学問。いろんな職種にかかわりたいと当時から考えていたので、物事の興味の幅は、どんどん広がりました。
読書もたくさんしました。当時読んでいたのは、ビジネス本が中⼼。ロバートキヨサキ⽒の『⾦持ち⽗さん 貧乏⽗さん』などは特に印象的です。時間術などの実⽤書にも⼿をつけました。
勉学に励む⼤学⽣も、ある意味で希少だと思います。
弦本 勉強漬けでした。学校の勉強以外にも、FX好きな知⼈の影響で、為替の値動きを予測するプログラムをつくったこともありました。
ズバリ、負けず嫌いですか?
弦本 他⼈と⽐べる性格でないので、正直、その⾃覚はありません。それでも勉強や仕事をストイックに続けれてこられたのは、周囲の成功者をみて、刺激を受けた経験が多いからだと思います。「⾃分も頑張ってみよう」と。スポーツ選⼿の活躍をテレビでみたときに「⾃分も頑張ろう」と思えるのと⼀緒だと思います。
弦本さんは、サラリーマンとしても起業家としても成果を出しています。起業は、学⽣時代から、少なからず念頭にあったのでしょうか。
弦本 想定外でした。お伝えした通り⼤学時代は真⾯目に勉強を頑張っていました。リクルートに⼊った理由も、⾃分のIT技術をあらゆる領域で活かすため。例えば旅⾏情報の『じゃらん』、結婚情報の『ゼクシィ』、そして就職情報の『リクナビ』、住宅情報の『スーモ』などがありますね。そのため起業は、念頭になかったのです。
これまでの勉強で習得してきた学問的な知恵は、社会⼈になって⼈⽣を切り開く上で、役⽴っていますか。
弦本 学問とビジネスは、それぞれ問われる⼒が違うので、少し難しい質問ですが、結論からいうと、受験や勉強で培った⼒は社会で役⽴っています。⼈⽣を切り開くには、ビジネスマンとしての⼈間⼒、ひいては幅広い知識が求められてくると思います。そして幅広く興味を持てるのは、受験勉強を通して関連知識を習得しているからこそ、できることだと思うのです。学び⽅そのもののスキルも、受験勉強を通して培われてきたと思います。会計や法律なども、さまざまな職業の⼈たちと話をするときに、昔習った知識とつながるのは、特に⾯⽩いですね。
知識を⾃分のものにするには、アウトプットが⽋かせません。知識のインプットとアウトプットで気を付けていること、習慣などはありますか。
弦本 ⾼校時代には無印良品の⽩紙のメモ帳を買って「ネタ帳」と題して⽇々気になったことや感じたことをひたすらメモしていました。⽂章や絵で、飲んだコーヒーや⾷べたラーメンの評価、睡眠時間、⾒た夢、勉強時間などを書き込みました。メモの量は、1⽇平均で400⽂字ほどでした。
⼤学時代も、インプットとアウトプットを⽋かしませんでした。時間術や資産運⽤の本など、⾃⼰啓発書を読むのが好きだったので、読書ノートに感想などを書き込んでいました。また、くすっと笑えるようなネタだけど、知的で考えさせられるような⾔葉をSNS(mixi)やブログに公開していました。あまり表現をするのが得意ではなかったので、できるかぎり短い⽂章で、できるかぎり深い意味や気づきがある⽂章を⼼がけていました。
座右の銘はありますか。
弦本 少し恥ずかしいですが、⼤学時代にヨーロッパへ⼀⼈旅した頃にふと思いついた「フォーミー、フォーユー、フォーザピープル」という⾔葉が気に⼊っています。意味は、近江商⼈の「三⽅よし」という⾔葉を後から知ったのですが、同じような意味です。何を始めるにしても、まずは⾃分がワクワクすることが⼤事。その仕事が相⼿のためになり、ひいては世の中のためにもなる。そういう働き⽅がしたいと⼼から思ったのです。もう⼀つは「ひとりひとりの可能性をもっと世の中に」という⾔葉。この思いは⾃分の仕事を振り返ったときに、「⾃分は頑張っている⼈を応援したいのだな」ということに気が付き、⾔葉にしたものです。
その話を聞くと、いまのイベント事業、学⽣紹介事業、そしてリクルートの本業に打ち込む弦本さんの姿勢は、筋が通っているように思います。⾃分⾃⾝がワクワクしなければ、やり遂げられない事業ばかりです。
弦本 ⾃分がワクワクすることが⼤前提。万が⼀失敗しても、⾃分がワクワクして楽しければそれで良いというのが、私の価値観です。だから損得勘定もないし、商品を売らなければいけないという強迫観念があるわけでもない。
本当の意味で、“フォーミー”なんです。
とはいえ、起業や経営はうまくいく事ばかりではないと思います。そういった時、弦本さんはどのように⼼のバランスを取られているのでしょうか。
弦本 根がポジティブなので、『どんなネガティブなことも裏を返せばポジティブに捉えられる』と思っています。
⼿元のコップの⽔が「もう半分しかない」と思うか、「まだ半分ある」と思うかの差です。
ビジネスマンとして成⻑する上で、どんな⾃⼰投資をしてきましたか。
弦本 あらゆる経験を積むことです。先ほどお話したヨーロッパ⼀⼈旅などが、それです。⾃分の仕事は「⾃分がワクワクするかどうか」で決めていますが、そのこと⾃体が経験になっているという意味では、常に⾃⼰投資をしていると⾔えるかもしれません。
対⼈関係(コミュニケーションスキルなど)については、どのような⾃⼰投資をしていきたいと考えていますか。
弦本 対⼈関係については、⾃分よりも、むしろ周りに還元したいという気持ちが勝っています。今の恵まれた社会は、先⼈が築いた礎があるからこそ成り⽴っています。今は私たちが社会の恩恵にあずかっていますが、今度は私たちが社会の新しい形を残し、後の世代へ還元し、良い循環をつくっていきたいと思います。
ありがとうございます。最後に、弦本さんの夢をお聞かせください。
弦本 実は具体的に「コレ︕」というものはないのです。⾃分がワクワクしていて、目の前の⼈の役に⽴っていて、世の中の為にもなっていて、それがお⾦にも変わるという『フォーミー、フォーユー、フォーザピープル』の信念を絶えず継続することが、あえて⾔えば夢でしょうか。
編集後記
不動産オーナー、サラリーマン、経営者――と3つの顔を持つ弦本⽒。そんな彼は「⼈を引き込む⼒」に⻑けている。そう感じた取材だった。本⼈は「ワクワクしながら没頭すれば、⾃然と⼈が集まってくる」と明かしたが、目の前の仕事にワクワクするのは簡単でない。世の中には「夢中になれる仕事」を⾒つけるのに四苦⼋苦する⼈も案外多いからだ。弦本⽒に、そうした悩みはない。このギャップの秘密は、⼀つはインプットの量が関係している。なにしろ弦本⽒は、幼少時代からあらゆる知識をシャワーのように浴びてきた。リクルート内定後は、同期約100⼈に話しかけて、⾃分にない価値観や知恵を地道に吸収した。その結果、夢中になれるビジネスがいくつも浮かんだに違いない。輝きを放つ⼀連の肩書きは、彼の⽣き⽅そのものなのだと実感した。
出典: toshi.life