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ヨーロッパ周遊記(20100816ロンドン→ダブリン)

睡眠21:45→7:00
5:00に起きていびきを聞きながらもう一度眠って、7:00に目覚める。まだ足がだらしいけど、ぐっすり眠れた。疲れて早寝してぐっすり寝て早起きするサイクルはいいな。
7:30まで荷物の整理をする。何のために荷物をまとめるのか、それは移動をしやすくするためだ。
地下階から上がった1階の食堂での朝食は、パン4枚にジャムを塗って、コーヒーを2杯、コンフレークを2杯にした。

シャワーを8:00から1時間ほどゆっくり浴びて、うるさくならないように手早くドライヤーを済ませる。髪の毛は生乾きだ。
何のためにヒゲやドライヤーをするのか、それは健康のためで、健康な方が他人に与える印象が良いからだ。清潔感は、相手に生理的に不健康を連想させないために必要なものなんだな。人は自分の健康に感心がある、と。デオドラントビジネス。
更衣室でガーナ人に、「野口英世を知ってるか」と聞かれて、「日本のお札になってるんだよ」と伝えると、「見せてくれ」と言われる。
自分の部屋の10番ルームに1000円札を取りに戻る。
おじさんは喜んで、他の外国人にもお札を見せびらかして「野口英世を知ってるか?」と話し掛ける。
野口英世はガーナでトップ10に入るぐらいの偉大な人で、ガーナの地で死んだんだそうだ。俺の勉強不足だな。日本人なのに。

チェックアウトは10:00までだったので、荷物をまとめて10:00ジャストに済ませて、カードキーのデポジットの10ポンドを返してもらう。
そして、ロビーの正面のパソコンルームにて、彼女と母親へのハガキを書いて、今後の予定を立てる。
同じくチェックアウトをして留まっていた日本人女性、シバタさんにライアンエアでの航空機の取り方、バスのナショナルエクスプレスの予約の仕方、ヨークやエディンバラやダブリンへの行き方、ネットでの検索の仕方を教えてもらう。
彼女は30歳ぐらいの皮肉屋っぽい人で、筑波大学を中退してロンドンの大学院で公共政策のポスドクを取って、研究費をもらいながら生計を立てているそうだ。ビザが切れても滞在しているのが、最近のヨーロッパでの移動を困難にしているらしい。
携帯、デジカメ、パソコンの、すべての充電はロビー前のパソコンルームにて済ませることができた。
彼女にお礼を言って、ネットワークの接続の調子が悪かったため大英博物館へと移動する。

果たして今日はロンドンなのだろうか、それともイギリス郊外なのだろうか、はたまたアイルランドなのだろうか。フワフワしていることに不安を感じながらも、自分の可能性が分からないことが、自分の脳味噌に刺激になる。ネットが使えたら検討しよう。まぁ、どうにかなるだろう。

12:30にホステルを出ると、今朝のガーナ人と遭遇した。握手をしてさよならを告げる。「今日はどこに行くの?」と聞かれて、答えられない自分が情けなかった。早めに行き先を決めないと。
そして、近くのコンビニで1.99ポンドのオレンジジュースを購入する。

近くの郵便局で彼女と母親にハガキを出す。ホステルで中央郵便局はないと言われた。恐らくここは大英博物館の最寄りの郵便局だ。そこで0.67ポンド×2枚の切手を購入する。

大英博物館の前の庭園にてWi-Fiを探す。公共の場では外でも無料のWi-Fiが繋がるとシバタさんから教えてもらっていたので、歩き回って接続の強いところで腰掛ける。

そこで、ルートン空港を20:25発の飛行機のチケットを予約する。教えてもらったライアンエアだ。230ポンド以上かかっちゃったかな。
イギリスに長居しすぎてはいけない。落ち着いてしまったら動けなくなるだろう。さきほどのシバタさんの話では、イギリスの高速鉄道は10万円近くするらしく、飛行機が最適な移動手段なのだそうだ。ブリティッシュレールパスを買う代わりに、イギリスからの動きは飛行機にしよう。ブリティッシュレールパスは4日間で19,500円だっていうし。

1ヵ月前に予約をすると7ポンド、4日前に予約をすると30ポンド、3日前40ポンド、2日前100ポンド、当日は180ポンドだった。

今夜、飛行機でアイルランドに行けたらアイルランドでの宿の予約と、今度は早めにパリまでの航空券を買おう。
知らない人は損をする。知っている人はトクをするのか。Googleを使っているときにも、わざわざそこから離れてURLを打ち直したり、違うサービスを使ったりしないよね。購買が決まってたら、わざわざそこから離れずに、他のサービスを使わないのが自然の流れだ。

最安値を更新していたBureau Exchangeでは1ポンド139円でさらに安くなっている。他は平気で145円とか151円とかやってるのに。
初日に見たピカデリーサーカスを、今日は落ち着いて経由して、トラベラーズセンターへと向かう。
トラベラーズセンターでは、空港への行き方を教えてもらうのだ。

トラベラーズセンターでは、丁寧にプリントまでもらって、バスの乗り方を教えてもらえた。そこで、乗り場の位置と、チケットの買い方を追加で尋ねる。チケットはバスの中で買えるらしい。
行き先と手段が決まって、自然と笑顔になれた。

バッキンガム宮殿の前の公園では、小さな女の子がサッカーをしていた。やっぱり日本とはサッカーの身近さが違うよな。

またしてもオレンジ色のスーパーで、セルフレジにてチップス0.49ポンド、チョコバー0.80ポンド、サラダ2.20ポンドを購入する。
グリーンラインのバス停を目指す。早めに乗り場も押さえて安心した。
グリーンラインで14ポンドを支払う。10ポンドって聞いてたのに。

17:00にバスが発車する。
空港までのバスでも、しばらくは市内観光バスのような名所が視界に入った。
日記を30分ほど書いて、バスに揺られておやすみなさい。

そして、睡眠17:30→18:00の30分で目が覚めた。アイルランドって時差があるのかな。

郊外は広い畑になっている。オーストラリアやニューヨークの郊外に似た景色だ。バスはスピードに恐れずに進む。1時間15分をして、ルートン空港に到着する。

空港にて、オンラインの受付をする。
そこで、予約表をプリントアウトせず手書きで控えの番号を書いたものを渡したら、ペナルティとして40ポンドの手数料を追加された。
なんてこった。6,000円近くも?
まぁ、英語のメールを読んだときに、そんなことが書かれてあったような気がしたんだけどね。
ライアンエアでは、セキュリティバッグを売っていたり、優先ラインは有料だったりした。
空港内で水1.5Lを購入すると1.89ポンドだった。なかなかのビジネスモデル。

19:45に搭乗時間だ。20:15まで無線LANを粘って、それでもネットに上手く接続できなかったため、宿の予約とチケットを後回しにして、メールだけ送る。広告付きのWi-Fiってビジネスにならないかな。
飛行機は小型で、自分で飛行機まで歩いて乗るタイプだった。バリのときと同じ乗り方だったっけ。

飛行機はすごく便利だ。飛行機を発明した人は一生遊んで暮らしていいと思うし、歴史に名前を残して、外国の教科書に載ってもいいと思う。

21:40にアイルランドは首都のダブリンに到着する。いよいよユーロ圏だ。
飛行機を降りるときにヨーロッパの国民性が垣間見れた。俺が俺が、ではなく優しい人が多い。悪くいえばがっついてないのかも知れない。
入国審査はEUとNonEUで区別がされていた。NonEUが空いていて良かった。
外は小雨が降っている。無事にリュックサックと再会して、背中が湿っていることに気が付く。

出国ゲートを出て、椅子に座ってWi-Fiを探していると、隣の人にこれが繋がるよと教えてもらえた。他人に優しくする文化があるんだね。信頼は取引を継続する大前提になるんだな。

取りあえずいくつかの宿の名前と、その中から一つだけ空き状況と地図で場所を確認する。
その宿の近くにはダブリン城があったので、ダブリン城を目指すことにした。
この時間ならネットで予約してもしなくても変わらないでしょう。

ダブリン空港はダブリン市内からは離れていて、鉄道はなくバスで移動するのが通常のようであった。
もしかしたらライアンエアが郊外の空港を使っているからかも知れないけど。
空港の案内に地図はなかった。ガイドブックにも地図はない。旅人のライフラインは地図であることを悟る。
バス停の番号を聞いたときに、案内のお姉さんは、エイトをエイチと発音したように聞こえた。
聞くところ、Houston駅がダブリン城の最寄駅らしい。
取りあえずバス乗り場にあった地図で、町の中心部にダブリン城があることを確認してほっとする。
繋がった。宿はダブリン城の近くで、ダブリン城は街の中心部で、バスは街の中心部へと向かう。
バスに乗れば、歩いて宿まで行ける。

7ユーロで教えてもらったバスに乗る。
空港で荷物を抱いて眠るのも覚悟していた。都心でどこか朝まで眠る場所を探すよりかはリスクが小さい。
しかし、意を決して都心に出てきてしまった。
窓からダブリンの夜景を見ておく。
ネオンが多い。ここいらでは、バーガーキングが人気のようだ。ルートン空港にはクリスピークリームドーナツがあったけど。

1時間ぐらい経っただろうか、車が小回りを始めた。きっと、目的地に近付いた証拠だ。
バスが川を越えた。そこで、街の中心部の地図に、川があったことを思い出す。地図を広げて停車場を照らしていくと、トリニティ大学に着いた。地図に乗っている大学だ。そこからしばらくちょくちょく停車する。これは街の中心部に間違いない。
問題は、そのどの停車場で降りるのが最適なのかだ。

しばらくして、停車場が地図で把握できなくなった。しかし、もう一度川を超えない限りは、街の中心部からはそう離れないはずだ。
そこから2つほど停車場が過ぎて、段々と不安が募ってくる。
そこで、近くに座っていた乗客の女性に声を掛ける。
すると、もう既に、街の中心部からは離れているという。仕方が無いので、次の停車場で下りて、歩いて引き返すことにする。

外はそれほど寒くはなかった。それは、歩いているからなのかもしれない。
外ではタクシーが多い。それから意外と警察ガーディアやパトカーがうようよしていて、こんな時間にゴミ拾いなどをしている。
看板には、英語と英語でない文字列が混じっている。
窓が大きい。これは日照時間が少ないからだろうか、それとも日が斜めにさすからだろうか。
カーテンでなくブラインドでもなくすだれを使っている家があってびっくりする。

飲み屋から離れて飲んでいた女性に尋ねるに、ダブリン城までは歩いて20分ほどらしかった。
バスで引き返す手もあったんだけど、行き先も停車場も曖昧だから、歩いた方が確実だ。
俺の前世は、伊能忠孝なのかもしれない。

いよいよ深夜0時を回った。まだ体力は大丈夫だ。
グリーンパークは閉まっていた。赤信号の歩行者用の押しボタンがピコピコ鳴っている。
歩行者用の黄色信号が長い時間光っている。赤と黄色が同じ人型のシルエットだ。
電車は、トレインでなくトラムと読むのか。バスもトラムも走っている。カジノもある。ここは眠らない町なのだろうか。

そう言えば、イギリスで、伝統的な料理はフィッシュアンドチップスぐらいなものだと聞いていた。ここでも同じフィッシュアンドチップスが、伝統的な料理として販売されている。
店内の時計で、ロンドンとダブリンには時差がないことを確認する。
そこで、ファーストフード店で、フィッシュアンドチップスセットを8.50ユーロで購入する。

フィッシュバーガーと迷って、店員さんに色々と質問するも、丁寧に相手をしてもらえた。
尋ねられたので、塩とビネガーを加えてもらう。恐らくここでの食べ方なのであろう。
大きくて食べ切れない。。。

こんなに広い地域で、ユーロを共通の通貨として用いるのは大変なことなんだろう。なにより、通貨の流通が把握できないんだからさ。
国をまたいで通貨をやりとりできるのってスゴい。日本での自分のサービスの信頼が日本円になって、日本円の信頼がユーロに、ユーロの信頼がユーロでのサービスの信頼へと変換される。
目的地に設定していたホステルはまだまだ遠かったので、他のホステルがないかを調べようと努める。

しかし、店内でも、大通りでもWi-Fiが捕まらない。
外で寝床を探すとしたら、どこだろうか。電話ボックス、お店の前、バス停。。。トンネルの下に浮浪者が住む意図が分かったような気がする。あそこは寝床になりそうだ。
自分に言い訳をしたくない。自分を騙し始めたら危ない。Wi-Fiを探す気力があるぐらいなら宿まで歩こう。

地図を見て歩いた感じ、さほど名所は多くはなさそうで、縮尺もあまりされていないようで、歩いても大して距離がなさそうだった。
閉まっている店が多いものの、飲み屋は開いていて、お酒を飲む人は多いようだ。
メインらしき通りに、ハンバーガー屋さんが3軒連続してオープンしていた。ファーストフード店はみな24時間営業なのだろうか。

酔っ払ったカップルのお節介な道案内もあり、なんとか2:30に、予約はしていなかったもののチェックをしていた宿にたどり着く。
ドアブザーを押しても反応がなく、諦めて帰りがけにもう一度押すと反応がある。
8ユーロでホステルに泊まる。

シャワー室を調べるもお湯が出ない。ただし、パソコンと電源は使える。
パソコン室で17日のホステルを予約して、18日早朝6:15発のパリの航空券を予約して、18日の宿を探して、寝る。2時間前に空港に着く必要がある。今日の教訓を今夜果たした。航空券は128.47ユーロだ。

部屋には意外と人が少なく、上下の空いたベッドの下段に潜り込む。布団は清潔だ。自分の居場所があることは素晴らしい。

やれることをやった。明け方、5:45におやすみなさい。

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ABOUT US
弦本 卓也
1987年、埼玉県生まれ。大学卒業後、大手広告会社「リクルート」にて不動産メディア「スーモ」(SUUMO)の運営に従事。新卒で入社して、スーモのメディアづくりを7年、その後にエンジニア組織の組織づくりを4年行う。 また、リクルート社内の部活動制度にて「大家部」を立ち上げ部長を務める。不動産投資に関する情報交換や物件見学のワークショップなどを行う。 入社2年目に新築一戸建ての広告を取り扱う部署に異動したことをきっかけに、「いい企画を作るためには、まずは自分で経験したい」という想いから個人で新築一戸建てを購入。その翌年には売却分野を担当したことをきっかけに売却も経験。マンションの売買なども行い、11年間で11回の引っ越しを経験。 「新しい住まいや暮らしを自ら探究したい」という気持ちで購入した東京都千代田区の神保町の中古ビル「弦本ビル」は、コワーキングスペース、シェアオフィス、シェアハウス、飲食店が入居する複合ビルとなっており、20代を中心とした若手社会人や学生のやりたいことを実現する場所として注目を集めている。3年間で延べ1万人以上の来場者を記録し、家賃年収1,400万円を達成しながら満室経営を続けている。 お金面とビジョン面の両立を大切にしており、モットーは「一人ひとりの可能性をもっと世の中に」。会社員を続ける傍ら、学生時代に起業した会社とあわせて株式会社を3社創業。うち1社は売却し現在は2社を経営している。他にもエンジェル投資家として若手実業家の支援を手がける一面も。 日経新聞や不動産業界紙、書籍や雑誌、テレビなどでも多数の注目を集めておりセミナー講師なども行う。宅地建物取引士を保有。