睡眠は2:00→8:15で、ぐっすり眠る。
朝食は7:30~10:00でチェックアウトは10:30と言われていた。
朝食に薄切りのパンを8枚とコーヒーと紅茶をいただく。
昨日のポーラとは別の韓国人2人と話をする。
ヨンセ大学という、早稲田と慶應みたいな関係の大学の女の子だ。韓国のソウルに行ったときに、ヨンセ大学は見学しに行ったかもしれない。1人は高校生のときに日本語を勉強したらしく、日本語も少し話すことができていた。韓国ドラマの影響なのか、ブタペストは韓国人に人気のようだ。
11:30にチェックアウトをして、12:30までパソコンと荷物の整理のためにしばらく滞在をさせてもらい、12:30にホテルを出ることに。
今日も土砂降りだったけど、しばらくすると降ったり止んだりの天気になった。
中央駅で郵便局で手紙を出して、列車の確認をして、13:10に発車。
綺麗な車両だ。昨日も今日も確認しておいたけれど、切符を買わずにパスで入れる。
これからの予定は、
・ブダペスト13:10→ウィーン15:54
・ウィーン→ブラスチラバ
・ブラスチラバ→ウィーン
・ウィーン22:23→プラハ6:15、プラハの宿
電車の中で考えをまとめる。
なんとなく、自分なりに自分の人生に対する答えが見つかったような気がしてきた。
人はみな、何も知らされずにこの世に生まれて、何も知らされずに人生をまっとうする。だから人生に答えはなく、自分で考えて行動するしかない。
地球上の生命は繁栄することが目的のはずなのに、個体すべてに寿命があるのは、進化して種として長く生きていくためだ。惑星にも寿命がある。おそらくすべての原子にも寿命があって、絶えず変化しているのではないだろうか。変化のない単なる定常状態があるとすれば、それは、はじめから存在しないのと同じことなのではないだろうか。
人類の発展の資産は時間、肉体、精神で、これを維持するコストを世代を超えて支えあうことで、種として発展できているのではないか。人生は維持するためにはコストがかかる。自分の衣食住ですら、役割分担をした他人のコストで助けられている。そのため、効率よく生きていくことができる。
お互いに支え合って種として繁栄していくことが、それぞれの個体の生きる目的ではないか。
人は幸せをもっと欲しいと思う本能がある。1度だけでは長続きがしない。幸せはだれかとやりとりして新しく手に入れていくもの、だから人は一人では生きていけない。
最終的には自分の考えたことや、それを生み出したフレームワークを後世や同年代に遺すことが人生の目的で、教育のように効率をよくして次の世代へとインプットしていく。
他の人が自分のようになりたい、やり方を知りたいと思ったならば、そのときに自分よりもコストを少なく達成できるようにするのが人生の目的。
そのプロセスを加速させているのが、お金という仕組みなのではないか。お金によって生きるコストを賄いやすくなる。
お金はだれかに貢献して「ありがとう」として受け取るものとなっている。お金は、社会に幸せを循環させるツールだといえる。生きていくにはお湯は必ずしも必要ではないし、ガスや電気もあったら便利なものではある。しかし、役割分担をしてお金を用いれば、効率よく揃えることができる。
会社が存続することもコストがかかる。働くとは、会社が生きていくためのコストを賄うために、会社が利益を確保するのを、社員が手伝うことで、社員が生きていくためのコストも賄う仕組みではないか。
よりよいライフスタイルを提供していくのがビジネスの余地で、そこに「ありがとう」のお金が集まる。
すべての取引は合意で成り立つはずなので、お互いにメリットがあるもの。だからお金を払う人が偉いわけではなく、互いに「ありがとう」のはず。
社会に「ありがとう」を循環させ、還元させるために働く。
人生は動くことで、働くことである。
そして勉強は働くため、生きるため、そして自己や人類の発展のために必要なものである。
『自分のために学ぶ、だれかのために学ぶ、人類のために学ぶ』
『自分のために働く、だれかのために働く、人類のために働く』
『自分のために生きる、だれかのために生きる、人類のために生きる』
『for me、for you、for the people』が人生のテーマなのではないか。
利益のための人員の確保、自分のビジネスをするための資金とノウハウを手に入れるため、時間と肉体と精神を提供する。
人はみなどうせ死ぬんだから、多くのことを学んで自分のためにして、多くのことを学んで他人のためにして、結果的に世の中のためにもなる生き方をしよう。
自分の好きなように働くためには、自分でビジネスを興すのがよさそうだ。
良い成績をとりたい、高い給料をもらいたい、お金を散財して他の人よりも良い経験をしたいのが、たとえ見栄ではじまったとしても、結果として「ありがとう」を循環させているのであればいいのではないか。
この世に変化しないものはない。太く長く生き残りたいか、細く短く生き残ることが全体を太く長く生き残らせるのか、これは人の一生も企業の一生も人類の一生も同じ。自分は長い長い人類の駒の一つで、地球の一つ。
困難を達成したら気持ちがいいのも本能なのかもしれない。頑張るエンジンが人には備えられているのかもしれない。生きるためのコストは悪ではない。不安も悪ではない。より良い変化を促すための淘汰の仕組みで、長い目で見ればより良い変化になる。
不安は良い方向に導く淘汰のためのコストである。肉体的な痛みも、精神的な痛みも、人間をより良い方向に導くための仕組みで、乗り越えていくためのものである。ポジティブもネガティブも、よりよい人生に導くためのバランスなんだろう。
一人で旅をした理由は、一人で考える時間が欲しかったからだ。自分の考えで、自分の言葉で、自分の人生を解釈したくて一人旅に出た。他人の伝記や名言ではなく、自分の信念を作る。
日常に縛られないで考えたいから旅に出た。有名な観光地に行くことよりも、移動中の電車の中で一人になって考えることの方が、俺の心は求めている。
具体的で細かいことに振り回されている日常では、人生などの抽象的で大きなことをあまり考えることができないのが日常になってしまっている。
forの3つをバランスよく満たさなければいけないのか。for meを賄うためのコストがfor youで、その循環の結果がfor the peopleなのかもしれない。
自分を良くすることは、他人を良くして、ひいては人類を良くする。幸福の連鎖、ありがとうの連鎖、お金の連鎖。
本や公開によってフィードバックを受けてより良い自分のもの、他人、人類のものにしたい。
就活でも出た答えで、自分でも何となくわかかっていたんだ。自分自身から上手く引き出せてよかった。
次のアクションとしては、旅の中ではこの仮説のサイクルをまわしてみること、残りの大学生活では、やりたいことも基本的には同じ。
だけど時間のある今のうちに、将来のために土台から大きくしておく。
学生時代に蓄えたネタ帳の仮説に区切りを付けて、ブラッシュアップとまとめをしてみる。
だれかのために公開してみる。抽象化して上の階層も意識する。
ウィーン駅に着いた。
駅のインフォメーションでも心から楽しんでやりとりをする。心なしか笑顔で丁寧に説明してもらった気がする。「ハバナイスデイ」まで言ってもらえた。
自分が生き生きとしていると、自分の心を鏡に映したように相手からの印象として受け取れるのかもしれない。生き生きしている人の方が一緒にいたいし、仕事も任せたいと思うものだと思う。楽しく生き生き生きている人の方が、自分も楽しく生き生きできそうな印象を受けるからだろう。
言葉なんて通じなくても、馬鹿なぐらい明るく元気で生き生きしていれば、相手も相手をしてくれるものかもしれない。どうせ同じ一日を過ごすなら、楽しく生き生き生きた方がいい。
ブラスチラバまでの往復のチケットは4ユーロ、現地のトラムにも乗れる特別券らしく、トラム付きでない場合には6ユーロになるらしい。
そして16:25に定刻通りに発車。いざブラスチラバへ。
列車内にてチリチップスとサラダ用のチーズを食べ、1時間ほどで17:25に予定通りブラスチラバに到着する。
知らなかった外の世界を知りに行くのは楽しい。
目印になりそうな王宮から目指して攻めることにする。そして噴水や教会を見てまわる。
切手をモチーフにしたホテルがあったものの、そこに切手は売っていなかった。その階にある本屋さんでは、犬や猫のスタンプが出てきた。
代わりにハガキを2枚で0.60ユーロで購入。そして高級そうなホテルにて、2ユーロでスタンプをゲット。駅で手紙を書いて投函。
20:34に乗ろうと思っていた電車は、駅の見間違いで、実際には21:01発車だった。
ブラスチラバからウイーンに行くには2つの駅があるらしいのだ。
21:59に着いて、走って駅を変えて、ミドル駅に戻って、22:23に乗らなければいけない。
電車が遅れても構わない余裕、チケットを買う余裕、買い物をする余裕、早めに自分の席を確定する余裕を持たなければいけない。後手後手の後回しはいけない。
とはいうものの、最悪の場合には前に泊まったホステルに戻ればいいか。不安は把握できていればそれ以上悩んでも仕方がないだろう。
21:59に下車、走って22:05に乗車、ミドルに22:12に到着。
22:23の470号車は、結局遅れてて22:33に発車。余裕だった。
チケットは不要で、パスで無料で移動できるらしい。
6人がけの席で、またもや韓国人と話す。話題はお互いの国についてや言葉や名前などについてだ。そこまで英語が上手くないにもかかわらず、話に付き合ってもらえて嬉しいなぁ。
歯を磨いて、1:00におやすみなさい。