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自分の心に正直に、理想の働き方に近づいていく。

※この記事は、書籍『プロハ夢手帳』の記事の抜粋です。ご購入は こちら からお願いします。

目次

雇われ起業家

「雇われ起業家」という肩書きで、フリーランスで主にベンチャー企業のウェブサービスやアプリの新規事業立ち上げコンサルティングを、「リーンスタートアップ」という手法に則って行なっています。デザイン思考をベースにアイディア発想フェイズから関わることもあります。最初は知り合いの社長から仕事を受けていましたが、その後は紹介や問い合わせも来るようになりました。現在は、複数の会社に関わっていて、一社当たり週一回、2〜3時間のミーティングに参加することを基本にしています。

本業以外でも様々な個人活動しており、今は2018年2月に本番を控えた「30路祭り」という、30歳が1,300人集まるイベント準備を代表としてやっているところです。もともと同世代コミュニティ運営していた経験もありますが、30歳の節目に大きなイベントやる事は、一緒に1度しかない経験だと思ってやっています。

キャリアバスを柔軟に描く

生まれは北海道訓路市。高校卒業後、大学進学で埼玉に出てきました。とりあえず北海道をでたかったのと、東京も埼玉も変わらないかな、という気持ちで上京しましたね。本当に何も知らない世界に飛び込んでみようと思って、大学では外国語学部ドイツ語学科を選びました。1か月間ドイツ留学にも行きましたが、結果としては、ドイツ語に本気で興味を持つことができませんでした。大学生活は、テニスサークルに入っていたので、テニスをしたり飲みに行ったり普通の大学生的な毎日を過ごしていました。

就職活動は大学3年生の10月から、周りよりは早い時期から始めていました。ただ、やりたいことがなかったので、合同説明会を含めると百社近く話を聞きました。まだまだ業界や場所、オフィスに行くことが好きだったし、グループワークも楽しかったです。いろいろなところに行き、たくさんの人に会うことを楽しく感じていました。当時は就職氷河期でしたが、就活を楽しめたのは、とにかく足を動かしたからかもしれません。いろいろ場所に行ったり、新しい駅に降りたり、それだけで楽しかったので、つまらない、つらいという気持ちも全然なかったです。面接の得意なほうで、内定もある程度いただいていたので、楽しかったのかもしれません。

ただ、就職活動中も、自分の好きなことや興味のあることが、これといってありませんでした。無理に好きなことを見つけることはもうあきらめて、社会人になって仕事をしながら見つけようと考えました。

最終的にはシステムエンジニアになろうと思い、いくつかの会社を絞っていて、その中で1番条件の良いところを選んで入社しました。システムエンジニアを選んだのは、できるだけ社会に広く関われる仕事がいい、と思ったからです。IT分野は色々な業界や世界とも密接に関わりがある。システムエンジニアは多様なキャリアバスがあり、その都度、自分で目標設定を考えながら、柔軟にキャリア設計ができそうなところに魅力を感じて選びました。

会社員としてのスタートに感じた違和感

2010年に社会人となりましたが、生活はイメージと全く違いました。IT企業は華やかな世界をイメージしていましたが、僕が入ったのは大手通信系で公務員気質な40〜50代のおじさま方がたくさんいるような環境でした。最初の半年間は研修があり、同期もいたので楽しかったのですが、実際に配属されると、1週間ほどで「自分には合わない」と感じました。システムエンジニアとしての業務の基本は、上流工程という設計フェーズやプロジェクト管理がメインでした。プログラミングは研修で学び、実務ではOJTを兼ねてやりましたが、バリバリやっていた訳ではありません。2年目に入った頃から徐々に仕事にも慣れて、定時に帰ることができ、時間に余裕が出始めました。趣味を作ろうと思い、最初は料理教室に通いました。その後も、スイミングスクールやサックス、絵画教室でデッサンもやりましたね。色々なことをやっているうちにフットワークが軽くなりました。

多様な生き方との出会いと漠然とした焦り

あるホンダの出会いが変化のきっかけになりました。家入一真さんの「もっと自由に働きたい」という本です。本に書かれた考え方に共感し、この人に会いたいと思いました。ちょうどディスカヴァー社の「U25フェスティバル」という出版記念イベントがあり参加することにしました。家入さん以外にも、 安藤美冬さんやはあちゅうさんなども登壇していました。起業家といっても、家入さんのような自由な生き方もあれば、安藤さんのようなノマドワーカー、はあちゅうさんのような新しい価値観に触れることができました。

これがターニングポイントになり、数多くのイベントに行くようになりました。次に参加したのが、87年会という同世代コミュニティーでした。当時は社会人3年目でしたが、このコミュニティで、すでに起業している人やフリーランスの人にはじめて出会いました。そこで感じたのが、同い年の人達との圧倒的な経験の差でした。普段は会社で同僚や同期とした関わる機会がなかったこともあり、自分がどれくらい成長できているかを知ることができていませんでしたが、すでに差がついていることを痛感しました。「入社してわずか2、3年でこんなに差が出ているのなら、この先20年、30年経てば絶対に取り戻せない」と思いました。様々な生き方がある事への刺激と、自分も早く何かしなければ、という漠然とした焦りだけを持ち帰りました。そこから面白そうなら行って見る感覚で視野を広げて、自分にないものを取り入れたいと思い、動き始めました。すべては経験だと言い聞かせ、よくわからないビジネスに声をかけられて話を聞くこともありましたし、起業塾に通ったりもしました。

「楽しい」気持ちがなければ勝てないと気づかされて

会社を辞めようと思ったきっかけになったのは、同期でした。当時、自分がしていた仕事はまったく興味が持てず、嫌嫌仕事をこなしているところがありました。ある日同期と話していて、愕然としました。その同期は、僕が嫌だと思っている仕事が好きだったのです。「ずっとその仕事をやりたくて、大学からその仕事につながる研究もしていて、本当に楽しい」と言っていたのです。これを聞いた瞬間、ハッとしました。みんなの嫌でやっているのだろうと思っていた仕事を、好きでやっている人がいる。これでは勝てない、自分の戦うフィールドをここではない、と聞きました。そのころちょうど、社長直下のプロジェクトで海外の案件に若手を行かせるという話が出て誘われていた時期でした。自分を変えるきっかけだと思いつつも、自信を持って手をあげることができませんでした。海外に行くことは楽しそうだと思いましたが、仕事内容でいえば日本で嫌嫌やっている仕事と同じ内容。結局、どうやってもこの仕事に興味を持てないという事は、もはやこの会社にいる意味がないということに気づき、退職を決意しました。プロジェクトに参加しないと上司に報告したのは、ちょうど4年目のクリスマスのころ。最近していることを聞かれ、起業塾に通っていることを話したら、とても驚かれました。「企業なんて、もっと先のことだよね?」という質問に「開ければ来年にでも起業します」と答えていました。その場で、退職の意思を告げ、その3カ月後には会社員生活に幕を閉じました。

楽しいこと・好きなことを武器に生きていくために

とりあえず会社を辞めたものの、何をするのかは具体的に決めていませんでした。まずはスタートアップウィークエンドという企業体験イベントに出ました。自分でピッチして仲間が集まり、イベントに土壇場参加できる「DOTASAN」というイベントキュレーションサービスのアイディアで優勝しました。これはち強化すべく、今度は東京都が主催している起業家コンテストにこのアイディアをお持ち込みました。最初の企業体験イベント出てきた仲間はいましたが、イベントが終わると、みんな日常生活に戻ってきました。ほとんど自分1人でやっていたので、最終的には頓挫してしまいました。別の仲間を誘えればいいのですが、一緒にやろうと誰かを誘う自信も、お金もありませんでした。ノープランで退職したので貯金もなく、アルバイトをしながらの生活になりました。途中で職業訓練学校に通い、デザインスキルを学びました。学んだスキルを活かして、歌舞伎町のホストクラブのデザイナーをしたり、夏は海の家を手伝ったりと、自由な毎日でした。合間に企業活動のようなことをしていましたが、これではさすがに埒が明かないと思いました。「本気で挑戦するためには、収入源となるような土台がまずないといけない」ということを痛いほど思い知りました。やっていた仕事や活動を一旦全部やめて、フリーランスのエンジニアとして開業しました。いろいろと手を出してみたものの、結局1番効率よく稼げるものが、自分の持っている中ではエンジニア業だったので、渋々エンジニアになりました。その後2年間はエンジニアをやりながら、個人サービスを作ったり、知り合いとスタートアップの会社を作って活動したりしましたが、結果的にそのチームも解散することになりました。

「雇われ起業家」の誕生

そこで、ある発見がありました。自分が企業活動の過程でしていた「アイディアを形にする」というプロセスそのものが、実は価値があるのではないかと気づいたのです。きっかけは、あるフリーランスのコミュニティー参加したとき。登壇者が「世の中の多くの人が既存の職種に自分を当てはめている。でもそうではなく、自分が自然体で生きていることで、それが新しい仕事になり、新しい肩書が生まれるスタイルもある」と言っていたことです。その時、自分が今までやってきた中で楽しかったことはなんだろうと思い出し、立ち上げプロセスに関わること自体を仕事にできないか、という発想が生まれました。エンジニア業は食べるためにライフワークとしてやっている感覚が強く、それ以上興味を持てなかったので、そこに力を入れるなら、もっと楽しいと思えることや好きなことを武器にして活動していきたいと思うようになりました。そしてエンジニア業を全部やめて「雇われ起業家」という肩書きで仕事を一本化しました。雇われ企業家という言葉は、2つの矛盾する要素をつなげて生まれました。みうらじゅんさんの「「ない仕事」の作り方」という本に、「矛盾する要素を2つ組み合わせると良いフレーズになる」という記載があり、その通り思いついたものを書き出してかきだしてみました。そこで「雇われ」と「起業家」という矛盾の要素つなげたら面白いと思ったのです。ただ雇われ起業家と言っても、実際には雇用契約を結ぶわけではなく、業務委託でコンサルティングを行います。社内に入り、アントレプレナーシップを発揮して、事業の立ち上げをクライアント企業の社員さんと一緒のチームで進めています。

理想のライフスタイルを実現させる

会社員を止めたときに、「もう会社員には戻らないぞ」という思いでまず金髪にしました。精神的にも見た目的にも、まず自由になりたかった気持ちの表れでした。表面的にでも、やりたかったら一体やってみて、気持ちが満たされたらその次にどうするから、また見えるはずです。

なんとかなる人とならない人の違いは、いい意味で「バカかどうか」だと思います。楽観的で、何とかなるだろうと思ってやり続けていたらなんとかなります。フリーになる前は、知らない世界を知ることや面白い働き方、生き方をしている方の話を聞いたりすること楽しく感じていました。その時は会社員という生き方しか知らなかったので本当にこんな生き方ができるのか、具体的にイメージはできませんでしたが、結果なんとかなっています。また、自分自身の行きたい方向性をなんとなくでも決めることが大事ですね。明確なゴールでなくて構いません。行きたい方向を思い続けて様々な選択を繰り返しながら、描く方向に近づでそのチャンスが来たら、その波に乗る。これくらいしていれば、いつの間にかいきたかった方向に近づいて、いい人生になっていくと考えます。現時点でやりたいことがなかったとしても理想とする自分のあり方は決められると思います。僕自身、今も遠回りしている感じがあります。ただ、そんなに焦らなくてもいいと思っています。様々な選択肢を捨てないことで、ある程度余裕を持ちながら、その時々でやってきたチャンスを掴みつつ、よりよい方向に行くことができる。どこを目指すかにもよりますが、最終的に毎日、自分のやりたいことができていたり、理想とするライフスタイルを実現できていたら成功ですね。20代のときはよく、「やりたいことリスト」を書いていました。たまたま先日昔のやりたいことリストを見る機会があったのですが、数年経って見てみると結構実現できていることがわかりました。今の自分がいるところは、3年前には行きたいと強く思い描いていた場所。その事に気づいたときは、描いた理想に近づいてきたんだな、と思いますね。

また、出会う人も変わりました。会社員のときは会社の人や、趣味や習い事として通っているコミュニティしかありませんでしたが、今は色々な生き方をしている人や、フリーランスとして活動している人に会うことの方が多いです。一緒に出会うためには、たくさんの人が集まる場所に行くことが大事ですね。そこから紹介に繋がったり、様々な取り組みに参加させてもらう機会につながります。自分が描いていた理想の働き方ができるようになったので、あと案件を継続的に受注してお金を安定的にさせる仕組みづくりをして、余裕があるような生き方できたら、と思いますね。

小さな気づきの積み重ねで理想を実現させていく

理想を実現させるためにはどうしたらいいのか。自分もそうでしたが、まずはライフスタイル先行型でもいいと思います。例えばエンジニアでも、常駐しなくてはいけなかったり、作業に時間がかかるとあまり自由がない。スキルの高い人は自由に仕事を選べますが、僕の場合自分の適性を考えると、そうではないと思っていました。これがコンサル形式であれば、もっと短い時間で価値を出すことができて、労働時間減らせる。それなら自由な時間も出来て自分のやりたいことができるようになる、と考えました。自分の毎日の仕事に違和感や、ストレスを感じているのであれば、それは理想ではありません。会社員のころ、残業していたときにはずっと早く帰りたいと思っていました。そういう気持ちも含めて、小さな気づきの積み重ねですね。自分自分としては、自分が新しい取り組みをやってみて楽しめているのか、実際にお金を頂いた顧客を満足させられるのか、どこに価値を感じてもらえるかをすべて検証している感じです。

基本は全てが「実験」。雇われ起業家も、本当に通用するのかわからないままやり始めましたが、最初のお客さんが見つかって始動し、日々チューニングしながら走らせています。顧客から求められていることともバランスをとりながら、自分ができることや、やりたいことを見つけて、試行錯誤しながら進めていくことが大事だと思います。複業はこれから当たり前になると思います。会社員であっても、複業で自分の仕事を作り、ゆくゆくは本業にすることも、そのまま複業として続けることも自由。そういう働き方をする人が、今後は増えていくのではないでしょうか。

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弦本 卓也

1987年、埼玉県生まれ。大学卒業後、大手広告会社「リクルート」にて不動産メディア「スーモ」(SUUMO)の運営に従事。新卒で入社して、スーモのメディアづくりを7年、その後にエンジニア組織の組織づくりを4年行う。 また、リクルート社内の部活動制度にて「大家部」を立ち上げ部長を務める。不動産投資に関する情報交換や物件見学のワークショップなどを行う。 入社2年目に新築一戸建ての広告を取り扱う部署に異動したことをきっかけに、「いい企画を作るためには、まずは自分で経験したい」という想いから個人で新築一戸建てを購入。その翌年には売却分野を担当したことをきっかけに売却も経験。マンションの売買なども行い、11年間で11回の引っ越しを経験。 「新しい住まいや暮らしを自ら探究したい」という気持ちで購入した東京都千代田区の神保町の中古ビル「弦本ビル」は、コワーキングスペース、シェアオフィス、シェアハウス、飲食店が入居する複合ビルとなっており、20代を中心とした若手社会人や学生のやりたいことを実現する場所として注目を集めている。3年間で延べ1万人以上の来場者を記録し、家賃年収1,400万円を達成しながら満室経営を続けている。 お金面とビジョン面の両立を大切にしており、モットーは「一人ひとりの可能性をもっと世の中に」。会社員を続ける傍ら、学生時代に起業した会社とあわせて株式会社を3社創業。うち1社は売却し現在は2社を経営している。他にもエンジェル投資家として若手実業家の支援を手がける一面も。 日経新聞や不動産業界紙、書籍や雑誌、テレビなどでも多数の注目を集めておりセミナー講師なども行う。宅地建物取引士を保有。

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