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※この記事は、書籍『プロハ夢手帳』の記事の抜粋です。ご購入は こちら からお願いします。

目次

ライフスタイルブランドを展開

株式会社dashi to spiceの代表として、「KRAS」という家具ブランドを手がけています。バリ島、ジャカルタ、ジョグジャカルタと日本国内の4つの拠点で、家具や雑貨などインテリアライフスタイル系のものを作り販売しています。

まず現地で協力してくれる工場探し、私がデザインをして「こんなものを作りたい」というイメージデザインを持っていきます。一緒に試作、品質検査をした後、自社で輸入し日本国内で売ります。日本国内で作ってくることもありますが、どちらの場合も製造以外の部分は全て自分で行なう形でブランド経営をしています。流通に関してもオンラインが中心です。ホームページも全て自分でコーディングしているので、売り場も自分で作っていることになります。またオンライン以外でも、自分の所で売りたいと言ってくれるセレクトショップに卸売をすることもあります。インテリア業界の中で高級ブランドというと、例えば椅子が一脚200万円というところもありますし、反対に安いブランドになると8,000円前後だったりもします。その中で私のブランドは、ソファーなら一脚5万円前後、テーブルで1万6,000円前後、雑貨なら4,000円前後の価格帯です。低価格のブランドより少し高いくらいの値段で、かなり良い品質のものが揃っています。普通の小売と比べると、半額かそれ以下の価格設定になっています。

原価計算をすると、他社のようにマージンを取らない分、上代が普通の半額程度に抑えられています。業界的にみても、他と違って珍しい価格構造になっています。通常、原価を20%程度にし、80%上代(利益)にしていますが、私のブランドでは原価の比率はもっと高く、上乗せ分を従来ブランドのようには取っていません。

現在は日本橋本町にオフィスがあり、倉庫は小田原と浅草にあります。現在社員はおらず、基本的には私と、経営面で手伝ってくれている旦那と、力を貸してくれる知人・友人が中心になっています。スタッフは業務委託でたまに手伝ってくれる方はいらっしゃいますが、必要なときに必要な人にお願いするスタイルです。働き方としては、3ヶ月に1回はバリ島とジャカルタに出張しています。倉庫との打ち合わせや、販売の営業にも自ら行きます。

人材嫌いが、人材の会社に

兵庫県生まれ、大阪育ちです。大学までは大阪で過ごしました大学では人間科学部のコミュニケーション社会学という、人と人との情報伝達について、またどう影響しあうのかなどを学びました。

新卒では、リクルートエージェント(当時)に入社しました。じつは私、もともとは人材の業界がすごく嫌いでした。人材系を目指している就活生の多くが「人が好きだから」などといっていましたが、私は「人が大好きなら、人を商材のように扱う仕事なんてするべきではないのでは」と考えていました。もともと広告代理店に興味があった私は、京都にある会社にインターンにいくことにしました。その会社が主に行なっていたのは新卒媒体の営業で、リクルートでいうと「リクナビ」にあたるような小さい自社サイトの営業です。記事を書いたりもしましたが、基本的には営業が主体のインターンをしていました。こうして結果的に、もともと自分が嫌いだったところにインターンでいってしまったのです。

そんななか、東大阪にある中小企業に営業に行ったことがありました。社長さんに新卒採用どうですかとお話をしていくと、「新卒採用は考えていない」と言われてしまいました。「アポをとっておいて、なぜ?」と思いましたが、きっと何かを感じたからアポをくれたのだと思いお話を続けていきました。すると「本当は新卒を育てたい。でも中途で退職者を出した身としては、新卒を抱えるとブラック企業になってしまうのではないかと思う」と本音が聞けました。何もできない新卒を育ててあげられる体制が、自分の会社にはないと社長さんが思っていることがわかったのです。しかし、私と話しているうちに「こんな人が来てくれるなら新卒もありだなと、井上さんを見て思いました」とおっしゃってくださいました。結果、これをきっかけに新卒採用を踏み切るという決断までしていただけたのです。これはただ単に私がおしゃべりをしにいったわけではんく、営業に行ったことで得られた結果だと思っています。私は私で、自分の仕事を一生懸命したい、誰かのためになることをしたいと思い、その結果社長さんの心を動かせたのだ、と思えました。「あなたがこの会社に来たいと思えるような原稿を、あなたに書いて欲しい」と、このとき初めて受注をして、はじめて原稿を書いて、納品をしました。

人を採ることは、人を採りたいからではなくて、例えば「会社を育てたい」とか、「自分が諦めかけていた事業でも、人をあてがえられればできそうだ」というときに人を採るわけです。ですから、小さい企業にとっての採用はものすごく大事で、誰と仕事をするかの根幹でもあります。単に「人が大好き」だけの話ではないのだと、この経験を通して感じました。もともとは嫌いだった人材系の業界に興味を持ち始めたのも、このことがきっかけになっていると思います。もしかするとここなら広告代理店よりももっと、ビジネスの根幹の部分をみることができるのではないかと思ったのです。出す商品に対して何かではなくて、まずは誰と何をつくっていくかなどの話もできるかもしれないと感じました。同じ営業をするなら、クリエイティブにいくよりも、まず人材の営業をしたほうが、自分の未熟さを埋められるのではないか。こう考えて、人材の方向に進むことにしました。

急に訪れたチャンスを逃さない

もともと学生の頃からバリ島に関する仕事ができたらいいなと思っていたので、入社したあと30歳くらいまでは会社に勤めて、そのあとはものづくりを学んだり、準備をしながらそっちの方向に繋がるようにしていきたいと思っていました。しかし、会社の中で評価をしてもらえるようになってきた頃に「子供や親のことなどもまだ考えない、なんのしがらみもない今の時期だからこそ、踏み出せることもあるのかもしれない」という考えが自分のなかに出てきたのです。そこで「もともとバリの仕事をいつかやってみたいと考えていたが、いますぐにその道に進むことを考えている」と会社に伝えてみることにしました。またこの頃はプライベートでも「バリの仕事について何かできることはないだろうか」と周りの人に相談し始めた時期でもありました。

すると、周りの人たちからの紹介などもあり、あれよあれよという間に環境が整い、ブランドを立ち上げられる状態ができあがってきました。目の前にこんなチャンスがあるのに、とりあえず3年後くらいにやろう、という選択肢はないと感じました。30歳頃にと考えていたことのチャンスが25歳のときにすべて揃ってしまったわけですが、もうこれはやるしかないなと思いました。

当時の上司に相談をしたところ「チャンスがきたのなら、摑み取れ」といってもらえました。部下をやめさせることは、上司としてはマイナスになることがわかっているのに「バリの仕事が夢だったことは知っているから、応援するよ」といってくれたのです。そんな上司の気持ちにも後押しされて「一生懸命やってみよう」と思うことができました。

起業で最初に直面した壁

そもそも私がやりたかったことは、バリ島の伝統工芸を次世代に伝えていくことと、それを新しい方向に育てていくことでした。それに加えて、ものづくりもやってみたいと思っていました。そこで日本にもバリの伝統攻撃の素晴らしさや新しい見せ方をできる分野はなんだろう、そして自分が好きで熱中できるものはなんだろうと考え、その二つがかけ合わさったときに見えたものが家具だったのです。

私はもともと起業が目的だったわけではなく、実は最初の頃はベンチャーの会社からお誘いを受けて、一緒に立ち上げようとしていました。しかし悩んだ結果、自分で起業してブランドを設立しようという流れになりました。そのため、起業したことはあくまでも結果だと思っています。社名の「dashi to spice」にもこだわりがあります。じつはこれにもものづくりが関係しているのですが、この社名なので「食料品を卸している会社ですか?」といわれることも多いです。私は料理が大好きで、毎日必ずするものづくりは料理だと思っています。リクルートのときから、たとえ深夜12時に帰宅をしても自分で料理を作って食べてしまうほど好きです。

料理は二、三品を一度に作るマルチタスクですから、それをすることでずっと考えてしまっている、煩わしい悩み事などを一旦クリアにできるのです。できあがったら食べて、ほっとして「ああ、これで身体も健康だからまた明日も頑張れるな」と思うことで、心もクリアになっていきます。その意味で、すごくストレス発散にもなりますし、自分を保つ術でもある料理が大好きなのです。少し視点を帰ると、ものづくりと料理の考え方をくっつけておけば、毎日料理をすることでものづくりの大切なポイントを繰り返して思い出せると考えました。そこから「ものづくりをする会社の名前を、料理で思い出せる名前にしよう」と考え、この社名にしたのです。「dashi to spice」の意味については、まず「お出汁」は料理のベースになるもので、スパイスは「味付け」の部分にあたります。これを伝統攻撃に置き換えると「守るべき技術」はお出汁であるベース部分、そして「デザイン」は「味付け」になります。ですから、伝統攻撃といっているのに、技術部分や今まで培ってきた風味の部分を壊してしまっては意味がありません。ベースであるお出汁の部分をしっかり理解して守る、丁寧に抽出をして、その中でお出汁の風味を活かしつつそれに合った味つけをするという意味でのデザインをのせることができれば、いい物がつくれるのではないかなと考えています。社名にすることで、このポリシーを毎日繰り返し思い出せるようにしています。

健全なパートナーシップをつくる

起業して直面した問題や課題は、山ほどあります。その上で1番大きな課題だと感じたのは、取引における人間関係の作り方でした。自分が何か始めるときは様々な人の力を借りなくてはならないのですが、その人との人間的な関係が対等であるかどうかをおろそかにしがちです。この「対等の関係で一緒にやっていけるかどうか」は、例えばある程度大きな力を持った人が手伝ってあげるよと言ってくれたときに、必要以上に弱い立場になってしまうことがあります。もちろん甘えるべき部分もあると思いますが、それが上下関係になってしまうとうまくいかないことが出てきたりするものです。相手の都合で勝手に何かを変えられてしまったり、相手からの連絡待ちで自分が困っていてもそれに意見がいえないなどの関係が、後々トラブルを招きます。事業の初期のフェーズであれば、お金の面がすべてではないと考えています。支払えるものが多くなくても、人間関係として対等、つまり今これから大きく育てていくものに対して、お互いが投資をしている段階なのですから。やりたいことを実現してくれる相手だからといって、自分よりも絶対的に上の立場のように考えていては良いものが作れません。うまくいく場合は、やはり対等です。新しいものを1から作る場に自分も立ち会いたいと言って、私のために何かしてくれますが、それは私が頼み込んでやってもらうわけではありません。相手も面白いからとか、協力したいから手伝おうという気持ちでやってくれているので、それはある意味で上下関係ではありません。一方で失敗してしまうのは大きな力を少し借りて何かをするときに、こちらが頼み込み、土下座をするような関係です。よくありがちな関係でもありますが、これは良くないと思っています。後々相手から「あの時〇〇してあげただろう」と脅されるような関係にもなりがちです。自分であるとか、人にやってもらうことに対して経営者として対峙をしていかなければ、自分の足元をすくうことにもつながります。これは会社員のままではわからなかったことだなと思います。

ものづくりを仕事にする環境は整っている

起業して2年になりますが、自分でこんなにできるとは思っていませんでした。作ることに対しても自分の中で新しい世界観や使いたいものが出てきたり、たくさんの人にみてもらえる。あとはクリエーターだからこそ会いたかった人に会えたり、認めてもらえると思っていなかった人から認めてもらえたりもそうですね。何よりこんなに早く自分のつくりたいものをつくれる環境になると思っていなかったので、その意味ではとてもハッピーです。ものづくりを仕事にするのは、芸大出身とかでなくてもいいんだ、自分でやっていいんだ、と思いました。今の時代は少し覚えれば使える便利なツールがたくさんあります。ものすごく修行しなければ印刷一つできない時代ではないわけです。作りたいものをある程度コンピュータの上で処理できて、発注ができて、世界中の工場とつながれるような環境が助けてくれた部分は大きいと感じています。自分でホームページも作れますし、言語を覚えればコーディングもできるのです。「デザインってどれくらいやってから起業すればいいの?」と不安な人もいるかもしれませんが、どれくらい経験を積んでプロになるかは、明確な答えはないと思います。例えばデザイナーになると言ってイラストレーターを使っていくのであれば、ペンが一本あればいいわけですし、そのペンで◯を独創的に描いてそれに値段をつけて売ってもいいのです。だから思ったその時、0日目から起業すればいいと思います。「イラストレーター」などのソフトが使えるようになることなどは、ガイド本を読んで、自分で身につけてやっていけばいいわけですから、必ずしも就業云々の話ではないと思います。とは言うものの私にもこういったことを考えた時期がありました。菊池敦己さんという有名なグラフィックのデザイナーさんがいまして、私は以前菊池さんの講演会に行ってご本人とお話しさせていただくことができました。そこで私は「ほかの人たちのように体系的にデザイン学んできたわけがないので、このままデザイナーの道を歩んでいいのかと悩んでいる」と聞いてみたのです。すると菊池さんは「僕も美大をすぐにやめて、起業して今の状態にある。体系的な教育を受けていない人にはその人なりの斬新な考え方があって、それはとてもすてきなことだから、体系的な教育は必ずしも必要ではない」と言ってくれました。この言葉は私にとってすごく勇気を与えるものになりました。この言葉をきっかけに、修行のようなものは日々のプロジェクトの中でやっていくものだと、気持ちを切り替えることができました。ものづくりを目指す人は、作りたいという気持ちだけで何かを始めるのもいいと思います。後は、例えば私なら営業時代に培ったものが今も武器になっていたりするので、別のフィールドにいるヒトでも自分なりのやり方で、自分なりの武器を生かしながらやってみれば良いのではないかなと思います。たとえ売れるかどうかわからなくても1つ作ってみれば、もっと使いたいとかこんなところに行っていきたいと、新しいことが見えてくるかもしれません。受け入れられるか、成功するかどうかよりも、まずいくつか作ってみる。そこから始めればいいのではないでしょうか。

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本書では、それぞれのページに、手書きで文章を書き込めるノート部分を設けました。

文章を読んで、思いついたことを自由に書き込み、「自分だったら何ができるか?」、「自分だったらどう考えるか?」をまとめながら読み進めることができます。

特製ワークシートで自分と向き合う。

本書の章末には、学んだことを整理し、自分の次のアクションを生み出すために、オリジナルのスペシャルワークシートを設けました。本書のワークシートを書き上げて人と対話することで、さらに大きな成長のチャンスを得ることができます。

自分と向き合い、気づきを得るために、ぜひワークシートにチャレンジしてみてください。

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本を読み終わったら、単に読むだけではなく、自分だけのメモが書かれた本を持ってぜひ

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『プロハ夢手帳』の出版の経緯

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ABOUT US
弦本 卓也
1987年、埼玉県生まれ。大学卒業後、大手広告会社「リクルート」にて不動産メディア「スーモ」(SUUMO)の運営に従事。新卒で入社して、スーモのメディアづくりを7年、その後にエンジニア組織の組織づくりを4年行う。 また、リクルート社内の部活動制度にて「大家部」を立ち上げ部長を務める。不動産投資に関する情報交換や物件見学のワークショップなどを行う。 入社2年目に新築一戸建ての広告を取り扱う部署に異動したことをきっかけに、「いい企画を作るためには、まずは自分で経験したい」という想いから個人で新築一戸建てを購入。その翌年には売却分野を担当したことをきっかけに売却も経験。マンションの売買なども行い、11年間で11回の引っ越しを経験。 「新しい住まいや暮らしを自ら探究したい」という気持ちで購入した東京都千代田区の神保町の中古ビル「弦本ビル」は、コワーキングスペース、シェアオフィス、シェアハウス、飲食店が入居する複合ビルとなっており、20代を中心とした若手社会人や学生のやりたいことを実現する場所として注目を集めている。3年間で延べ1万人以上の来場者を記録し、家賃年収1,400万円を達成しながら満室経営を続けている。 お金面とビジョン面の両立を大切にしており、モットーは「一人ひとりの可能性をもっと世の中に」。会社員を続ける傍ら、学生時代に起業した会社とあわせて株式会社を3社創業。うち1社は売却し現在は2社を経営している。他にもエンジェル投資家として若手実業家の支援を手がける一面も。 日経新聞や不動産業界紙、書籍や雑誌、テレビなどでも多数の注目を集めておりセミナー講師なども行う。宅地建物取引士を保有。