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※この記事は、書籍『プロハ夢手帳』の記事の抜粋です。ご購入は こちら からお願いします。

目次

海外と日本をつなぐ活動

いいねJAPAN株式会社の代表として、海外と日本つなぐ活動を行っています。創業してまた1年ほどで、オフィスは銀座にあります。

事業内容を大きく分けると、地方創生、伝統文化継承、インバウンド・アウトバウンドです。日本文化を継承することを広めるべくこの3本の目的を軸として、自分の足を運んで日本全国で講演もしています。これはインバウンドやアウトバウンド活動のイベントを開いたり、海外経験を伝えることで、3つの目的を同時に達成する活動です。ほかには、日本の伝統的な文化や地方にある伝統的な工芸品を海外に発信するため、地方に訪れて取材しながら情報を発信しています。

もともと現在の事業体に行き着くまでに、すでに3回の会社設立をしてきました。1つ目の会社を作ったのは、いいねJAPANと同じようなビジョンでした。着物文化を広めようと、着物で海外に行くツアーや、着物を作る授業を行っていました。日本の文化を国内だけにとどまらず海外にも発信していました。当時は3人で働いていましたが、事業の立ち上げや起こしてからの経営の方法が全く分かっていませんでした。そのためうまく経営することができませんでした。

2つ目に設立した会社も、いいねJAPANと同じようなコンセプトでした。会社と社団法人を両方たちあげて、日本の伝統文化系のことを日本の株式会社で行い、国際協力や海外に対しての協力授業社団法人で行う形を取りました。組織としては成立していましたが、この2つに分かれた形だと自分がやりたいことを十分にやり切れないことがわかりました。結局、一緒に事業を行なっていたメンバーに会社をすべて渡すことになりました。

2つ目の会社を離れてからはフリーになり、何をやろうかと考えていたところに、映画って現在変わっている着物プロジェクトに参加することになりました。現在、ぼくはプロジェクト・アンバサダーを務めています。このプロジェクトは「世界はひとつ」という理想を日本から発信することを目的としています。世界中195カ国をテーマにした「着物」と「帯」を制作することを掲げ、各国のイメージをデザインして着物を作るという内容です。

起業したのは、自分のやりたいことを、法律というルールに則って実現するためには、株式会社という形式があっていると考えたためでした。そして誰かの目標やビジョンに共感して雇われる従業員ではなく、自らが代表になることでやりたいことに最も取り組めると考えたのです。

人類の進歩を求め続けた少年時代

僕が会社を3度も設立してやりたいことに向き合えるのは、漠然と人類の進歩に貢献したいという思いを持っているからです。

幼い頃から、人類の進歩に貢献するためには何が1番いいのかを考えていました。もっとも人類の進歩に貢献できる仕事はなんだろうと考えたとき、それは「宇宙飛行士」だと思い当たりました。進歩といえば人類がまだ行ったことがないところへ行く宇宙飛行士というくらいの単純な子供の考えでしたが、その時の思いを大学生なるまで持ち続けました。「もし宇宙飛行士になれれば、人類の進歩への貢献のための活動領域を広げられる」と、宇宙について学べる大学に進学したのです。

しかし入学してからすぐ、自分が本当にやりたいこととは違うと気づきました。

大学では、人間が地球以外の密閉空間や宇宙空間で酸素を循環させるための光合成微生物の生育関係の液体の研究に取り組んでいました。人間が宇宙空間を生きるの難しく、生存のためにはあらゆるものを循環させなくてはいけません。地球の重力、太陽との距離、公転スピード、月の公転、満ち欠けによる潮の満ち引き、惑星にある海の量、陸の量、水分と空気の組成とその瞬間、その他にも気温やオゾン層などの条件があり、それが全部組み合わさってようやく生存環境が成り立っているのです。これら要素のすべてを人間が意図的に再現するのはどうしても不可能です。研究を進めれば進めるほど地球以外で生きることの難しさにすぐ直面することになりました。

現在人類は、地球環境を破壊しながら、それを保つことすらできずにいます。地球環境を守ることは無理かもしれないといいながらも、一方で宇宙に目を向け、地球以上の環境作ろうとしている。これは進歩ではなく大きな矛盾ではないか、と感じるようになりました。家に行って人間が住める環境作ることを人生の目標とすることは、はっきり違うということです。例えるなら、自分自身が全く実践できていないことを人に教えようとするような、大きな矛盾でした。

地球環境を知るべく、旅を決意

宇宙への想いが変わってしまったことで、次に自分が行きている地球の環境問題に取り組もうと思いました。

最初は地球で起きている環境問題の原因を調べていましたが、研究の結果、地球のシステム全てを踏まえたうえで環境問題を解決するのは非常に難しいことがわかりました。

しかし、まだまだ地球の環境すべて理解したわけではなかったので「自分で世界中の環境を見て、現状を自分の目で学んでから考えよう」と思い至りました。

こうして、大学を卒業後すぐに日本を出発することになりました。僕の世代が大学を卒業する年はちょうど就職率が上向きになった時期で、同級生の就職もうまくいっていました。その状況で自分は就職せず、世界一周に出ることを決意したわけです。「自分がやりたいことをやらないのなら、生きている意味がない」と、やるか死ぬかの覚悟を持って出発しました。卒論発表後すぐに出発したので、卒業式にも出ていません。

最初にニュージーランドに向かい、その次にオーストラリアに行きました。滞在した期間が1番長いのはこのオーストラリアです。当時もお金もなく、英語も話せませんでした。最初肉体労働や農作業でお金を稼ぎながら、英語を学ぼうとダイビングのインストラクターになりました。外国人にダイビングを教えながら英語に触れるためです。インストラクターをしながら、2年間海の環境見てじっくり滞在しました。通訳の仕事もできるようになりました。働いている時間が長かったですね。

続けて6年間、世界中を旅しました。アメリカ、中南米、ヨーロッパ、中東、アジア、そして一度日本を一週してからアメリカ、ヨーロッパ、アフリカ、中東、アジア、日本の順です。訪れた都市に滞在しながら生活をしていました。

旅の途中、環境問題に対してどういうやり方で解決していくか、ビジョンとイメージが湧いてきていました。

ところがあるとき、日本に帰国することを決意しました。世界の環境をまだまだみたかった思いもありましたが、「なんとなく今日本に帰っておかないと、時代の流れに追いつかなくなるのではないか」と感じたのです。

帰国後、精力的に講演活動をおこなう

帰国してからは、東京拠点にしようと考えました。ところが東京に住んだことがなく、知り合いのつながりもありませんでした。

ところが、ここで情報発信していたことが活きました。世界中旅している間、Facebookやブログを定期的に発信していたので、いざ帰国し、「日本全国で講演します」と伝えると、すぐに大きな反響が得られました。1万5千人の方が見てくれて、40〜50の団体から講演のオファーがありました。

東京で講演をすると、共感してくれる友人も増えてきました。志を語ったら「この人に会ってみたらいいよ」や「ぜひこの人を紹介したい」というように、人を紹介してもらえるようになりました。こうして、次々とご縁がつながって行くのを感じて、東京でも人の輪が広がっていきました。世界一周をしていたのは6ねんかんですが、この6年間があったからこそ、東京で6年活動する以上に、多くの人の繋がりを得ることができたと思います。

日本について深く知る

世界中を見てきて、日本の文化の可能性を感じだからこそ、日本の文化を自分自身で学ばなければいけないと痛感しました。世界のことばかり見て、日本のことを分かっていなかったのです。世界一周の後に日本を縦断したのは、そのためです。

北海道から沖縄まで、徒歩で日本縦断を実行しました。歩いている間、たくさんの自由な時間がありました。縦断中も歩きながら、今のいいねJAPAN株式会社を立ち上げる準備を進めていました。柔軟の途中で出来心、授業に関心を持ってくれた方と、歩きながら何時間も電話することがありました。こうして、日本縦断が終わるとすぐにいいねJAPANを立ち上げました。これが、2017年1月のことです。

会社を設立するときや世界一周の旅に出る時もそうですが、どうせ生きるなら、何をしたいかを考えなくてはいけません。僕自身、自分がやりたくないことをするくらいなら死んだほうがマシだと思っています。

日本は自殺率が高く、他の国と比べても自分のやりたいことがやりづらい環境といえる面もあるかもしれません。日本で生きていたら、日本の中の常識で生きていくしかありません。ところが生きているのがつらくなって、本当に自殺して死んでしまったら残念です。

やりたいことが決まったら、やりたいことで生きられるか、死ぬかの二択しかありません。世の中の流れが何を選ぶのかという話で、結果は誰も恨む必要はないです。それは運もあるだろうし、実力もあるでしょう。

しかし、どうなったとしても、結局死にはしないです。僕自身が世界各国を旅してきたことも大きいと思いますが、仕事がどうなろうと、死ぬことはないと断言できます。特に日本ならたとえホームレスになって、仕事もお金もなくても、死にません。食料も歩けばあちこちに捨ててあります。公園には水があるし、凍死するほど寒くはないです。これが中東やサハラであれば、ホームレスになると水も食料も手に入らず、本当に死んでしまいます。アフリカは野生動物や有毒の生き物がうじゃうじゃいますから、こちらも死ぬ可能性が高いです。これら世界の他の国に比べたら、日本はどれだけ地を這っても、死に至ることはアマリないのです。おそらく誰しもつらいことや、やりたくないことをやるなら死んだほうがましだと思うことはあると思います。大事なのは、死んでもやりたいことがあるかどうかだけです。命に代えてもやりたいと思えるようなことがなかったら、死んでもやろうという発想は出てこないはずです。

自分自身も成長の過程で考え方が変わっていきましたし、もしかしたら今後、やりたいことがない状態になるかもしれません。

しかし、漫然と生きるのではなく、やりたいことをやっているほうが楽しいし、生きがいがあるのは間違いありません。やりたいことを見失うことがあったとしてもまた見つけるのです。

明るい未来が見えるなら、耐えることも大切

仮に死んでもやりたいことが見つかっていなかったり、もやもやしている状態におかれていたとしても、これから見つけられる可能性は大いにありえます。自分のしたいことが決まっていなくても、社会に出てから学ぶことで、その先に活路を見いだすという選択もあります。日本人の多くが、会社員になります。会社員になることが悪いことではないと思いますが、やりたいことがないまま会社員になる人も多いのではないでしょうか。その場合でも、「未来に可能性を残す」ことが大事です。

就職した先に可能性を残しておくことも1つの方法です。経験がなく、できないことやわからないことがたくさんあると思います。しかし就職をして仕事やスキルを学んで身につけていけば、次第に知見を広げることができます。知見を広げた先に、何か自分がやりたいことが見つかるかもしれません。そうなれば、希望を持って生きることは必ずできます。

気を付けて欲しいのは、人生の選択には「先に希望が見えない」選択肢もあるということ。何があっても、この選択肢だけは選ばないでほしいです。この先へ進んでも成長できる気がしなかったり、その先に活路を見出する気がまったくしなかったり。この先何もないなと思ってしまう道は選ばないでください。希望がない道は、絶望に繋がります。絶望してしまえば、実際に活路があるかどうかにかかわらず、自ら活路を全て無視してしまいます。自分で希望を持てるかどうかが大切です。たとえ、今不遇やストレスなど人間関係に疲れてつらくても、そこから逃げたところでもっと先が見えなくなるのであれば、逃げてはいけません。現在いる環境に食らいついてでも、自分を磨くべきです。一旦そこに立ち止まって、食らいつきながら自分を磨くことに励みましょう。この先に希望や可能性があるかどうかという事実よりも、自分自身に可能性があると信じることが大事です。可能性がないと自分で思えば、本当は希望があったとしても、すべてが見えない状態に感じてしまいます。自分が選んだ選択に希望があるか、それを信じられるかどうかがすべてです。

子供の頃のように、変化を恐れない

環境が変わるとき、変化を恐れてはいけません。幼いころ、いきなり自転車に乗れるようになったら、世界が変わりますよね。小学生で、電車に乗れるようになれば一気に活動範囲が広がり、考え方もガラッと変わりました。家から出なかった子供が家の中の時間を捨てて、外で友達と遊ぶと世界が変わってしまいます。このような大きな変化は、誰しも子供の頃に半ば強制的に経験しているはずです。ところが、成長し大人になっていくと、周りの環境が変わっていきます。大人の作った世界は大人が変化しなくてもいいように心地いい環境になっています。意識的に飛び出さなければ、今までの自分にこだわっていたらいつまでたっても家から出られません。僕自身も常々、「これが本当に楽しいのかな」と現状に疑問をもっています。

怖さもあると思いますが、子供の頃は常に変化したり、道や世界に飛び込み、そして違う自分になっていたはずです。人間は生きていれば必ず死にます。諸行無常で変化しないことなんてない世界です。だったら生きているうちは、あえて自ら変化することを楽しむことです。そうすれば、人生は単純に楽しめる、僕はそう考えています。

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ABOUT US
弦本 卓也
1987年、埼玉県生まれ。大学卒業後、大手広告会社「リクルート」にて不動産メディア「スーモ」(SUUMO)の運営に従事。新卒で入社して、スーモのメディアづくりを7年、その後にエンジニア組織の組織づくりを4年行う。 また、リクルート社内の部活動制度にて「大家部」を立ち上げ部長を務める。不動産投資に関する情報交換や物件見学のワークショップなどを行う。 入社2年目に新築一戸建ての広告を取り扱う部署に異動したことをきっかけに、「いい企画を作るためには、まずは自分で経験したい」という想いから個人で新築一戸建てを購入。その翌年には売却分野を担当したことをきっかけに売却も経験。マンションの売買なども行い、11年間で11回の引っ越しを経験。 「新しい住まいや暮らしを自ら探究したい」という気持ちで購入した東京都千代田区の神保町の中古ビル「弦本ビル」は、コワーキングスペース、シェアオフィス、シェアハウス、飲食店が入居する複合ビルとなっており、20代を中心とした若手社会人や学生のやりたいことを実現する場所として注目を集めている。3年間で延べ1万人以上の来場者を記録し、家賃年収1,400万円を達成しながら満室経営を続けている。 お金面とビジョン面の両立を大切にしており、モットーは「一人ひとりの可能性をもっと世の中に」。会社員を続ける傍ら、学生時代に起業した会社とあわせて株式会社を3社創業。うち1社は売却し現在は2社を経営している。他にもエンジェル投資家として若手実業家の支援を手がける一面も。 日経新聞や不動産業界紙、書籍や雑誌、テレビなどでも多数の注目を集めておりセミナー講師なども行う。宅地建物取引士を保有。