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※この記事は、書籍『プロハ夢手帳』の記事の抜粋です。ご購入は こちら からお願いします。

目次

母の一言をきっかけにパティシエの道へ

起業当時から、ウェディングケーキやオーダーメイドケーキの大型ケーキを中心に制作・販売を行なっています。ケーキは通販が難しい商品なので、注文からお届けまでをワンストップで行なっています。

また、料理のケータリングサービスも準備しています。料理とケーキを使ってケータリングサービスの準備を進め、2018年初頭にはリリースする予定です。

社員は自分ひとりですが、業務委託でパティシエ・配達業務のスタッフを数名抱えています。都内だけでなく、横浜や鎌倉、逗子など、関東圏内はどこでも行きます。千葉や埼玉、山梨からも仕事が入りますね。

音楽の道から飲食の世界へ

フィリピン生まれ、東京育ちで、パティシエになろうとは全然思っていませんでした。ピアノを12年習っていたので、音楽に携わる仕事をしたかったのですが、高校に入ってなんとなく音楽から離れてしまいました。飲食店でアルバイトをするようになり「料理が楽しい」と思ったのですが、甲殻類のアレルギーになってしまいました。

そこでまたピアノに戻り、ピアノを使える仕事をしようと保育士の学校に願書を出したのですが、そのとき母に「あなたはいつもお菓子を作っているのに、パティシエにならないの?」と言われて、ハッと気づきました。

高3の進路選択の時期、すでに保育士の学校に出していた願書を取り下げて、製菓製造の学校に出しなおしました。母の一言がなければ今頃保育士になっていましたね。

専門学校に2年通い、20歳で株式会社ブランドゥ・シーというウェディングの会社に就職。パティシエとして福岡の店舗に配属になりました。

経験を積みたいと、一旦1年で辞め、すぐにレストランのパティシエとなりました。そのときはまだ福岡にいましたが、最初の会社が東京に店舗を出すことになり、声をかけてもらったことと東京に帰りたいと思っていた時期も重なり、24歳の時に再就職しました。東京ではウェディングではないレストラン店舗の立ち上げをやりました。

働いているときは、将来のことを考えるよりも、ひたすら日々の作業をこなして生きていました。1日16〜17時間立ちっぱなしの仕事で、キャリア形成もとても難しい業界です。この会社で年を重ねて上司になるということは考えられませんでした。「やりたいことではないな」と断言できました。

もともと、父が個人事業主で、サラリーマンではない姿をみていました。その影響もあり、同じ会社でずっと働こうとはまったく思いませんでした。

上司からは次のステップを、といわれていましたが、乗り気にはなれず、「次はどこへ転職しようかな」と考えながら毎日働いていました。

イベントが起業のきっかけに

25歳の冬に一時期、私が働いていたところが「日本一忙しいレストラン」になりました。本当に忙しかったので何も考えられずにいましたが、ある日、キングコングの西野亮廣さんのSNSに、ホームレスの小谷さんという方がクラウドファンディングで資金を集めて結婚式を開く、という告知をみました。そのときはじめて「クラウドファンディング」という制度を知ったのですが、結婚式をカンパでやる、ということで面白いと思い、西野さんのコメント欄に「ウェディングケーキなら出せますよ」と書きました。

その時は起業しようとは全く考えていませんし、SNSも全然活用してなかったのに勢いで書き込んでしまって、返事が来るとも思っていませんでした。すると、新郎の小谷さんから「ケーキ、作ってくれるのですか」と連絡があり、とんとん拍子で話が進み、12月に結婚式。そのときはじめて会社ではないところで、個人でウェディングケーキを作りました。また、ちょうど同年の8月からウェディングプランナーの学校に働きながら行き始めました。ウェディングに戻りたい気持ちもありましたし、自分自身の結婚が重なって考えることも増え、次第に日本の結婚式の常識に強い違和感を抱くようになりました。

次のステップを考えたとき、パティシエのままでもかまわないけれど、違うこともしてみようと思い、プランナーの道を考えていたのです。

小谷さんとの出会いはまさにその矢先でした。純粋にこの結婚式いいな、と思いました。まったく無駄なお金もかかっていなくて、人の気持ちだけで動いている結婚式。それがとてもフィリピンの結婚式に似ていました。フィリピンは所得水準が低い国なので、ウェディングも手作りのものが多いです。キリスト教を信仰しているので、みんな教会でパーティーをします。とにかく人があたたかく、五祝儀もなく、だれでもお祝いしていい雰囲気が漂っています。自分がちょうど結婚することになり、打ち合わせも始まっていたのですが、日本の結婚式はお金がかかるし、面倒くさいし、よくわからないことが多いと感じていました。

小谷さんとの出会いをきっかけに、私はこのまま結婚式場に就職しても意味がないと思いました。小谷さんの結婚式のときにお客さんにケーキをカットして振る舞ったのですが、頑張って切って配り、お客さんが「美味しい!」と言って食べている姿を目の前で初めて体験しました。というのもそれまで、誰のケーキを作っているのかもわからなかったのです。新郎新婦の顔さえもみたことがありませんでした。

この時はじめて、新郎新婦のためにケーキを作ることを体験し、なんて素晴らしんだ。と感じることができました。この瞬間から、「レストランで働く意味はなくなった」と思い、その3ヶ月後に起業しました。ケーキ屋を始めるということは、パソコン1台ではできません。結構強めの積極的な起業となるために、強い決意と多大な起業資金がかかりました。

ケーキを武器に、できることからやってみる

突如起業した結果、職人で、お客さんとほとんど顔を合わせない仕事をしている人間がいきなり営業マンをしなくてはいけないという状況になりました。こうして、最初の2年間は集客でつまずきました。それでもやらなくちゃと思い、交流会やイベントに出たりしていましたが、なかなか手応えがつかめないまま時間がすぎていきました。やみくもな集客しかできていなかったのです。プランナー業をやりたいとは思いながらも、その時の自分の武器はケーキしかなかったので、まずケーキで事業を安定させようと思いました。パティシエに関わる仕事ならなんでもできると思い、ウェディングケーキを中心としながら、レストランのデザートのプロデュースなどをしていました。

結局、軌道に乗るまでには2年くらいかかりました。それを実感したのは、単純に売り上げが上がってきたことと、取引相手が法人になってきたということ。ぎりぎりだった時期から、お金ができてきて大丈夫だなと思い始めました。

これまでの経験から一つ言えることは、技術の身につけ方です。良い先輩の下で働けば必ず優れた技術が身に付くというわけではなく、すべて自分次第だと考えています。

私が起業当時にできなかったことで、今できるようになったことはたくさんあります。それは誰かに教えてもらったわけではありません。だから、経験してから起業すると考えているのでは遅い。どれだけ触ったか、経験がすべてです。

私自身、プランナーの学校に通いましたが、その費用と時間はもったいなかったと思っています。起業するためには、学校に行くよりも最初から現場に出ていたほうがよかったと思います。

やってみたいならば、すぐにやってみればいいし、弟子にしてくれる人なんていくらでもいます。もちろん、大手企業で働けば、お金の流れや、食料を大きく無駄遣いできるので、勉強にはなります。しかし、ケーキ屋として起業したいなら、ひとりでやっている方のアシスタントや少人数でやっているところ、オーナーシェフに近いところで経営を勉強しながらお菓子を勉強することもできます。直弟子が欲しいと思っている人は、意外にもたくさんいますよ。私も絶賛募集中です。異業種からでも、やる気があれば。

職人の世界は、経験がすべてだと本当に思っています。考えてからやる人はやめた方がいいですね。マイナスの発言をする人はまず起業に向かないと思います。しゃべるよりやる、できるだけ経験すべきだと思いますね。

職人であり続けるために、経営する

私の場合は職人でいたいがために経営を頑張っています。

職人でいるということは、すごくお金がかかることです。ケーキ作りは材料費がかかる仕事なので、経営がうまくいっていないと新しい商品が生めないし、いい材料も使えない。経営をうまくやらないと本物の商品が作れません。現場の気持ちを知って経営をするのか、ただ経営をするのかでは違います。どっちかに偏る人がこの業界は多いのですが、私は今どちらもできていて、いい経験をしているなと感じます。

ただ、職人魂は理解されないと思って仕事をしないといけないですね。変な言い方ですが、全く知らない人からすると、ケーキは全部同じケーキ。だからこそ、人と人とのつながりが大切で、経営センスや営業マンの力が必要になるのだと思います。一生懸命作っても、どれだけ他のところよりも安くて美味しかったとしても、やっぱり食べてもらい、知ってもらい、広めてもらわなくてはいけない。そのためには、やはりモノだけではなく、人間力が必要になりますね。

限界を超えて成長するのは自分の働き方次第

例えば、受けられないと思うような量の多い仕事でも、寝なくてできることなら寝なければいいし、なるべく仕事を断らないことが大事です。まだ売り上げがない状態で、自分の限界を決めて仕事を受けていたのでは絶対に成長しないからです。

特に20代のときは寝なくてもやっていけます。そんな働き方は逆に20代でないとできません。逆に私はいま、この働き方をどうしたらやめられるのか考えていますが、人の倍以上働いてきたからこそ、この若さでここまでできたのだと思っています。基本的に仕事は断りません。したことないことも、できる方法を考えてやってみること。それが失敗したとしても、すべて経験ですね。

経験を積んで技術を磨く

まずはやってみたら良いと思っています。例えば料理やお菓子なら、すぐ作れますよね。まずは作ってみて、人に食べさせてみて、あげてみて、人の反応をまず見ながら自分が向いているのか向いていないのか、本当に好きか嫌いかは試してみればいいと思います。

やったことがないからできないというのは、今の時代は通用しません。

みんな最初は未経験なのだから、とりあえずやってみたらいいと思います。会社に勤めながらでも、無給ならば現場に入ることもできますよね。職人は、お金がもらえないとしないというスタンスの人が本当に嫌いですからね。

たとえ会社員で副業できないとしても、本当にやりたいと思うなら、土日に給料をもらわず、経験として、タダで学校に行って学んでいると思って働けばいいだけです。現場は学校以上のものが得られると思います。大体成功する人はみんなやっていますが、私も会社員で長時間働きながら、別のパティスリーに無給で手伝いにいき、経験を積んでいました。言い換えれば、そのくらいのことをしなければ、技術力は絶対に上がらないと思います。

最初からお金をもらおうとするからいけないのです。勉強したければ、自分から飛び込んでいく。それくらいの気持ちを持てば、たいていのことは大丈夫だと思います。

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本書では、それぞれのページに、手書きで文章を書き込めるノート部分を設けました。

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弦本 卓也
1987年、埼玉県生まれ。大学卒業後、大手広告会社「リクルート」にて不動産メディア「スーモ」(SUUMO)の運営に従事。新卒で入社して、スーモのメディアづくりを7年、その後にエンジニア組織の組織づくりを4年行う。 また、リクルート社内の部活動制度にて「大家部」を立ち上げ部長を務める。不動産投資に関する情報交換や物件見学のワークショップなどを行う。 入社2年目に新築一戸建ての広告を取り扱う部署に異動したことをきっかけに、「いい企画を作るためには、まずは自分で経験したい」という想いから個人で新築一戸建てを購入。その翌年には売却分野を担当したことをきっかけに売却も経験。マンションの売買なども行い、11年間で11回の引っ越しを経験。 「新しい住まいや暮らしを自ら探究したい」という気持ちで購入した東京都千代田区の神保町の中古ビル「弦本ビル」は、コワーキングスペース、シェアオフィス、シェアハウス、飲食店が入居する複合ビルとなっており、20代を中心とした若手社会人や学生のやりたいことを実現する場所として注目を集めている。3年間で延べ1万人以上の来場者を記録し、家賃年収1,400万円を達成しながら満室経営を続けている。 お金面とビジョン面の両立を大切にしており、モットーは「一人ひとりの可能性をもっと世の中に」。会社員を続ける傍ら、学生時代に起業した会社とあわせて株式会社を3社創業。うち1社は売却し現在は2社を経営している。他にもエンジェル投資家として若手実業家の支援を手がける一面も。 日経新聞や不動産業界紙、書籍や雑誌、テレビなどでも多数の注目を集めておりセミナー講師なども行う。宅地建物取引士を保有。